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03 : 一条 友康 … 孤高でいて冷淡たる生徒会長

「永久子、少しいいかな」

 廊下を歩いていると、声をかけられた。永久子の足が止まり、清十郎の足も止まる。

 永久子の名前を呼べるものは限られているし、ましてや敬称を付けないとなると片手の指で足るほどに稀有であった。


「なんでしょう、友康様」

 生徒会長である友康は、切れ長の涼しい顔立ちをしたイケメンである。攻略対象として誂えられているのだ。イケメンで当然である。


「まぁ、一条様よ……最近蘇芳様といらっしゃるところをとみにお見かけするわね……」

「お似合いのお二人ですもの――とても素敵」

「今日びは一条さまもとても穏やかになられて……」

「以前は、目が合っただけで血も凍りそうなほど、ご機嫌が優れないことが多かったですものね……」

「兼ねての冷ややかな一条さまも素敵でしたが、近ごろの穏やかなお姿もまた素敵……」

 廊下の脇でひそひそと声を潜める女生徒たちを通り過ぎ、永久子は友康の元に足を進めた。


 小さなころから、永久子のそばには清十郎と友康がいた。そのイケメンたちに囲まれていた永久子は物差しが少しばかり人と違うのだろう。くらり、と廊下の向こうで女学生が倒れた。友康の美しさにやられたという、何とも意味の分からない理由である。永久子が初めてそれを目にしたとき、まず第一に友康がインキュバスでないかを疑った。インキュバスであれば、自分の支配下におけると昔の癖が出てしまったのだ。しかし残念ながら、永久子は今魔王ではなかったし、友康は夜な夜な処女の夢枕に立つことを望みはしなかった。


「あぁ、君はいい」

 永久子が友康と共に歩こうとすると、当然のように清十郎が付き従おうとする。その清十郎に、友康は命じ慣れた声でそう言った。


「大変恐縮ではございますが、永久子様の御身を預かる者として、おそばを離れるわけには――」

「清十郎。かまいませんわ。あとで迎えに来てくださる?」

 外用スマイルで微笑む永久子の笑みに、清十郎も笑みを重ねた。この野郎、覚えてろよ。永久子は清十郎の笑みからそう聞き取った気がして背筋を震わせた。


「では永久子様、後ほど――許嫁とは言え、今は婚約の身。どうぞご配慮くださりませ」

「わかっている」

 呆れたように清十郎を手で追い払った友康は、清十郎の後ろ姿を見送ると溜息を吐きだした。


「君の従者は変わらないな、十年前にも、あんな目で俺を見ていた」

「まぁ。十年程度では何も変わりませんわ」

 ころころと笑う永久子を、友康は更に呆れた目で見下ろした。

「永久子がそれでは、彼も報われないな」

「言いがかりですの?」

「いや、それよりも話をしよう。俺たちの将来について」

 意味深に永久子の手を取ると、友康は有無を言わさぬ足取りで永久子をエスコートした。





「永久子はどちらがいいと思う?」

 そう言って差し出す二つの髪飾り。永久子は恭しく、友康が左に持つものを受け取った。


「ではこちらを」

「あぁ、君によく似合うだろう」

 貸してごらん。そう言って友康はバレッタを永久子の手から受け取るって髪へと挿した。仕上がりに満足したように頷いた友康は、残ったもう一つのバレッタを見下ろす。


「――では、これは」

「不要になってしまいましたね。どうぞ、誰ぞに下げ渡してくださって結構ですわよ」

 永久子はにこりと微笑んだ。許嫁というポジションとして、これ以上彼の背を押すことは出来ない。友康もそれを知っているのか、苦笑してバレッタを握る。


「君には――」

「あら、鐘がなっているようですわ。もう行かなくては」

 友康が謝罪を吐き出す前に、永久子はそれを遮った。友康はそれに贈る感謝のしるしとして、永久子の髪を一束掬った。指を流れるしなやかな黒髪に唇を寄せ、目を閉じる。薄く開いた唇で言祝ぐ。


「永久子の足元が、明るくあるよう」

「友康様の未来が、明るく照らされていますよう」





「用はお済ですか」

 微笑みを湛えた清十郎に、永久子はこくりと頷いた。ここまで送ってくれた友康は、先ほど可憐な花を見つけて足取り軽く駆けて行った。

「すまなかったな、待たせて。車を回しておいてくれたのか」

「友康様とのお話の後はいつも裏門の方が近いですからね」

 どうぞ、と清十郎が車の扉を開ける。永久子は黒い革のシートに腰掛けた。

 車が発進を感じさせない滑らかさで進み始める。永久子はそっと、清十郎の肩に寄りかかった。


 友康が右手と左手に持っていた、正反対なバレッタを思い出す。

 彼は不義理な人間ではない――いや、不義理な人間では、なくなった。

 幼い頃から許嫁とされた永久子をないがしろに扱ったことは無いが、それだけであった。誕生日やクリスマス以外に直接プレゼントを渡された記憶など、ついぞない。ちなみにいえば、彼自身にプレゼントの中身を選んでもらっていたかも、不明である。


 永久子はポケットからバレッタを取り出した。友康が去ってから、すぐに外していたのだ。


「それは?」

「綺麗だろう、降り始めた雪のように白くて丸い真珠。高校生に贈るようなものではないな」

 連なる真珠は大粒から小粒まで、バランス良く配置されていた。友康のセンスが伺える、上品な逸品だ。


「もう一つ、わらわに見せてきた。琥珀で野の花を固めたなんとも地味なものだったよ。レンゲ、スミレ、アザミ、ナデシコ……そして、カスミ草」


 ふふ、と零れそうになる笑みを隠すために、永久子は清十郎の肩にすり寄った。額をぐりぐりと押し付ける。清十郎は、微動だにせずに永久子を受け入れていた。


「彼はとても、人らしくなったな」

 羨ましいよ。永久子の言葉に、清十郎は膝の上で拳を握りしめた。


「お辛いですね」

 何故だ? という風に永久子は首を捻った。その姿をまるで痛ましいもののように、清十郎が見ている。


「慕うお方のお心が別にあって、お辛くないはずがありません」


 清十郎が絞り出したその言葉に、永久子は目を見開いた。


「お前、好いた者がおるのか」

「今は私の話では――」

「おるのかと聞いておる」

 肩から離れ、清十郎の膝に両手をついて永久子が身を乗り出した。永久子の香りが鼻腔に突き刺さるほどの近さだ。清十郎は仰け反るのを必死に耐えた。


「――ええ、おります」

「男か!?」

「蹴飛ばしますよ」

「ほー、これ程の美女が傍におりながら女嫌いなどと意味の分からぬ病を発症しておったくせに。このちゃっかり者め!」

「恐れ入ります」

「どやつだ、わらわが知っておる者か」

「どうぞご容赦を」

「では、どのような者だ」


 詰め寄る永久子の真剣な声に、清十郎は白旗を振った。


「想定外のことばかりをして人を振り回し、故意か無自覚か、人を乱すのが大変得意なお方です」


「――こう言ってはなんだが、お前、趣味悪いぞ」

「ええ。私も、心底。そう思っておりますとも」


 清十郎の切実な声が、車内に満ちた。




***




 女嫌いの清十郎に好きなものがいるとは、考えたこともなかった。

 自室に戻り人を下がらせ一人になると、永久子はソファにしなだれた。清十郎から聞いた言葉が体の中で渦を巻き、上手く消化できない。


「いやこれは、あやつの趣味が悪いから心配しているのであって……」


 清十郎は誠実な男だ。あの男に心底惚れられて、厭う者はいないだろう。手を差し出せば爪を砥ぎ、足を差し出せば揉み解す。熱いと言葉にせずとも空調を整え水を差し出し、永久子が泣いて眠れぬ夜は一晩中手を握っていてくれた。永久子の作った不出来な菓子を嫌味を言いながらもすべて平らげてくれたのは、清十郎だけだった。


「……どの娘であろうか」

 家の若いお女中か、それとも学園の女学生か。


 清十郎の行動範囲は、全て永久子と重なる。清十郎が永久子の影であるのだ。

 しかし、行動範囲の中でどのように生活しているのか。清十郎は永久子を把握していても、永久子は清十郎を把握していない。


 永久子はバレッタを見た。先ほどまで、あれだけ微笑ましい気持ちになっていたというのに、今はそんな気持ち何処からも湧きあがりそうにない。


「あーあ……」


 もう一本、乙女ゲーを買ってくるか。清十郎の嫌がる姿はすこぶる楽しく、彼の体温は柔らかかった。あの空間にまたいたい、と。永久子はいつの間にかうつらうつらしてしまっていた。





 夢だ。永久子はそう思った。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。永久子は、夢の中を漂っていた。


 緑が生い茂った、手入れの行き届いた庭に、白いテーブル。永久子のお気に入りのテラスだった。そこに、オレンジジュースと、幼い体に不似合いなほどの勉強道具を携えて、小さな永久子が座っていた。


「わらわは魔王なのに、こんなことをせねばならぬとは……人の身とはなんとも面倒だ。儘ならぬ」

「そうですね、頑張りましょう永久子様」

 今よりも数オクターブ高い、清十郎の可憐な声が永久子に応えた。


 あれはまだ、幼稚舎に通っていたころだった。永久子は前世が魔王であったことを当たり前であるが公言していた。幼い永久子にはそれがどれほど異質なことか判断がつかなかったし、222歳の年寄り魔王は人間の理など歯牙にもかけなかったからだ。


 魔王少女永久子は、割合早い段階から家庭教師を付け勉強に励んでいた。マントの代わりにスカートを。魔法の杖の代わりにペンを。そして勇者の代わりに、家庭教師に出された山のようにある宿題をテラスで倒していたころの話である。


 算数の問題で、引き算があった。

[ 問5 . パンが五つ、子供は七人。さて、何人がパンを食べられないでしょうか? ]


 ありきたりな問題だった。しかし永久子は、パンを食べられない人間を憐れんだ。およそ人間らしい感情に、人間になりたてだった魔王少女は喜んだ。そして嬉々として、隣で宿題の面倒を見ていたじいやに言ったのだ。


「パンが食べられないとは不平等ではないか。哀れすぎる。二人を殺してしまえば、全員食べられるな?」


 その言葉に、周囲は笑った。魔王少女の突拍子もない残酷な発言に慣れっこになっていたのだ。皆、誰もが。永久子がこの言葉を真剣に言っているとは思っていなかった。テレビアニメで見た、悪役になりきっているのだと。誰もがそう思っていた。


「ならその二人を、私めと清十郎にしていただけますかな」


 ――じいや以外は。


 きょとん、とした顔で清十郎が祖父であるじいやを見上げる。その愛らしい顔を見て、永久子は焦って口を開く。


「な、ならん。何を言っておる。お前達を殺すなどと――冗談でも言ってはならぬ」

「ありがとうございます、永久子お嬢様」


 じいやは皺だらけの目元を緩めると、小さな永久子の手を取った。


「みな誰もが、永久子様にとっての私であるのです。誰もが、人を愛し、そして、愛されております」


 皺だらけの手は、今にも折れてしまいそうなほどか弱かった。きっと永久子が前世の魔王のままであったなら、触れた瞬間に粉々に粉砕していたことだろう。


 そして魔王であった永久子は、それを何とも思わないのだ。

 この背筋に走る恐怖も罪悪感も知らないまま、魔王は死んだのだから。


「わかった……もう、言わぬ」


 人の身とは、難しい。心がしくしくと痛む。こんな気持ちを、魔王は人になって初めて知った。


 魔王はその時、初めて思った。人と自分は異なる存在なのだと。


 永久子が、永久子として。

 魔王としてではなく、永久子として育っていたら。一体どんな娘に育っただろうか――と。


 魔王の感覚や、記憶がなく。人を甚振いたぶれば痛みを覚え、生き物を殺せば罪悪感が沸き、土地を奪えば後悔するような。脆弱な、人の心のまま育ったら。


 わらわの魂など、ここになければ――


「永久子様」

 声をかけられて目が覚めた。永久子は、うっすらと目を開く。


「せい、じゅーろ……?」

「風邪を召されますよ」

 部屋はいつの間にか薄暗くなっていた。体にかけられているブランケットを剥がして起き上がる。


 何か夢を見ていたような気がする。その片鱗を掴もうとして、手に何も持っていないことに気づいた。

 確かにバレッタを握っていたはずなのに。あんなに脆く、傷つきやすそうなものを落としたのだろうかと、慌ててソファの下を覗く永久子に清十郎が声をかける。


「―― 一条様からの賜りものでしたら、裁縫係に預けて保管しております」

 必要なら持ってまいりますが、と続ける清十郎に永久子は首を横に振った。


「よい、落としたかと思っただけだ」

「恐れながら、あまり乱雑に扱わぬようお願い申し上げます」

「あーあー。すまなかった。わらわの不手際だ」

 年々口うるさくなる清十郎のお小言に、永久子は耳を塞ぐ。


「永久子様、聞いておられるのですか。永久子様」


 清十郎の口が大きく開く。

 いつかその口で、愛しい者の名を、呼ぶのだろう。


 何故か、心の底から。永久子は、清十郎を殺したいと思った。


 永久子が人の身になって、初めての、明確な殺意であった。




***




「清十郎、正しなさい」

 蘇芳家の清十郎に与えられた部屋は、さして広くない。ベッドと勉強机、そして少しの荷物を置けば詰まってしまうような部屋であった。

 その部屋で清十郎が一人佇んでいると、勝手に開いたドアから声をかけられた。清十郎は崩していた足を整え、背筋を伸ばす。入ってきた祖父を一度見上げると、頭を下げた。


「近頃、永久子様のご様子がおかしいようだが」

「大変申し訳ございません」

「それもお前だけにときた。まさか、何か――」

 不貞を働いたのではないだろうな。祖父の声なき声が聞こえ、清十郎はしっかりと首を横に振った。


「誓って、ございません」

「では、なんとする」


 祖父の目は怒りに燃えていた。永久子に対しては笑みを崩したことのない好々爺であったが、清十郎に対しては誰よりも厳しかった。


「――気持ちを、察されたやもしれません」

「こんの、愚かもんがっ!」


 祖父が拳を振り上げた。その骨と筋だらけの細い腕の何処にこれだけの力があるのかと思うほどであった。清十郎の脳天が揺れる。


「永久子様に避けられている今なら丁度いい。しばしお前を傍仕えから外そう。頭を冷やしなさい」


 祖父の言葉に、清十郎は深く頭を下げた。「しばし」に終わりがやってくるかどうかは、清十郎次第だろう。


 清十郎に想い人がいると永久子に告げてから、二週間。

 初めは、偶然かと思った。次は、間違いだと思った。そして最後に、確信へと変わる。


 永久子が、清十郎を避けているのだ。

 生まれてこの方、初めての経験であった。永久子に避けられることなど、清十郎は想像したことさえなかった。生まれた時から共にいた。傍で見ていた。

 いつもは真っ直ぐに清十郎を捉える永久子の勝気な目が、すいと逸らされた時の清十郎の衝撃は、あまりに大きかった。


「物の道理を弁えろ」


 祖父はその言葉を最後に部屋を辞した。清十郎は、カーペットに額を付けて、唇を噛みしめた。









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