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02 : 高遠 清十郎 … 質実剛健な蘇芳家譜代の臣


 永久子がこの世に生を受けて一八年。長いようで短かった月日が、矢のように過ぎ去っていった。


 永久子が自分の前世を自覚したのは、生まれ落ちた瞬間であった。

 この地、この時、この世ではないどこかで。永久子は魔王として生まれ、魔王として死んでいった。その一生はさして長くはなかったが、魔王に己の人格を形成させるには十分であった。


 果たして、魔王は200と20、そして2年生きた。ぞろ目である。

 魔王であった永久子は、およそ多くのものが想像する魔王であった。魔物を差し向け、勇者を迎え、自らの滅びさえ快楽として、魔王は222年を過ごした。


 そんな魔王が突然、赤子となって別の世界でスタートする。お笑い草である。世界の全てを牛耳っていた魔王が、己が手で母の乳さえ掴む事が出来なかったのだ。

 生まれ落ちたその瞬間から魔王としての自覚を持った永久子にとって、赤子として生を歩むことは、勇者を打ち滅ぼすに匹敵するほど難しいことであった。


 人間の身の脆さ、儚さ、煩わしさ――そして、魔王の時にはなかった感情というものにも戸惑った。夜の灯りに集る羽虫のほうがまだましだと、こける度に傷を作る我が身を呪った。


 しかし、人として生きていけば情も沸く。

 永久子は、次第に自分を取り巻く環境を愛していった。知らなかった感情だ。愛情、というものを。永久子は次第に知り、慈しみ、大切に自らの手の中に収めていった。治めることは得意だった。何しろ、222年も、ただそれだけをしていたのだから。


「永久子様、こちらにおられたのですか」


 掛けられた声に、永久子はふうと息を吐いた。この男の前で、自分を偽る必要はない。


「清十郎、遅かったな」

「私を撒いて行かれたのは、永久子様ですよ」

 呆れたようなその顔は、既に何度目かになるお小言を吐きだす。


「あまり心配かけないでくださいね。珠の肌に傷でもついたらどうしてくれるんです」

 清十郎はそう言うと、永久子の背後に付いた。永久子にとっての、左後ろ。ここが清十郎の定位置だった。


 高遠たかとお 清十郎せいじゅうろうは、永久子と同じ年の付き人であった。

 代々蘇芳家に仕える高遠家の次男として、永久子と同じ時、同じ環境で育っている。蘇芳家に部屋を持つ限られた使用人の一人でもあり、永久子が子供である限り、永久子の全てを共有し、全てを支える権利を持つ男であった。


「口うるさく育ったのう」

「永久子様はいつまでもお稚児のように悪戯を止めてくださらない」

「誰が稚児だと」

「ならば、私を撒くのはやめていただきたいものです」

 主従関係などどこ吹く風。威圧的な笑みを浮かべて詰め寄る清十郎に、永久子はうっと口籠った。


「そ、それは……」

「なんでも。カフェテラスで騒ぎを起こしたとか。お父様の耳に入れば、きっとさぞやお心を痛められることでしょう」

「わらわを強請ゆするか、清十郎」

 ほーう、と腕組みして永久子が睨み返すが、清十郎もただでは負けてやらない。


「お父上のためを思うのでしたら、あの女生徒に関わるのはおよしなさい」

「年々じいやに似てきおって……」

「この上ない誉でございます」

 過ぎる口に何も言えないのは、これが初めての事ではないからだ。清十郎は、永久子が花純と共にあることをひどく厭った。


「貴方に得は有りません。あのように――貴方のご婚約者と周知である、一条様に粉をかけるような、子狐など」


 笑顔のまま、吐き捨てるように言った清十郎に永久子は微かな笑みを返すことしか出来なかった。


 一条(いちじょう) 友康(ともやす)とは、永久子の婚約者である。この白鳥学園において、蘇芳より格式の高い家はとても限られている。その限られたうちの、一本が一条家であった。

 幼い頃に家柄と年の近さだけで決められた、近代日本にいいては珍しいものとなっている“許嫁”である友康と永久子は、別段それほど仲がいい二人というわけでもなかった。年に数回開かれるパーティーでは当たり前のようにエスコートをされ、世間話程度はかわしていたが、それだけだ。お互い、そこに熱い感情が芽生えることは無かった。


 生徒会長を務めるという友康を支えるため、副生徒会長を目指していた永久子を、清十郎はよく覚えているのだろう。永久子にとっても、そう遠い過去の話ではない。一年で書記を務めていた永久子は、二年への進級時にもそのまま生徒会に残るはずであった。


 その永久子が今、生徒会に籍を置いていない理由――それは酷く簡単だ。


「噂が立っていますよ。志田花純が、生徒会の席欲しさに、傲慢にも貴方に情けを乞うたのだと」

「馬鹿なことを言うな。わらわがあの程度の子娘に屈するか」

「ええ、そのようなことは、到底、微塵も、懸念しておりません。ですが貴方は生まれながらに高貴な身――いやしくも下賤な身の者に乞われれば、無下にはできないでしょう」

「ならばわらわも言わせてもらおう。席を譲ったのではない。自ら降りたのだ。友康様には、可憐な花が似合うと思うてな」

「やはり害悪にしかなりえぬようですね、根こそぎ毟ってまいりましょう」

「まぁー! 待て待て待て待て!」


 踵を返し花純を探しに出かけようとする清十郎の怒気に、永久子は慌てて振り返った。

 端正な顔立ちと、確かな知力。そして蘇芳家への縁により、幼い頃から集る蝶の絶えなかった芍薬のようなこの男は、蝶の数に比例するかのように女を嫌っていった。嫌悪と言ってもいい。


 お前、そこまで女が嫌いだったか?


 腕を引っ張り引きとめると、永久子は嘆息した。呆れてものも言えずに顔を上げると、見事な顔面と鉢合った。本当に、嫌になるほど整った顔立ちをしている。

 永久子が再び嘆息する。彼の魅力に気がてられそうだったからだ。


 ―― 一条友康ならびに、高遠清十郎。

 そのどちらも、美形である。そのどちらも、花純の攻略対象だからだ。


 魔王の記憶を持つ、生まれながらにして生粋の令嬢であった永久子。もちろん、乙女ゲームがなんたるかなど、知る由もなかった。

 そんな永久子に乙女ゲームを教えたのは――もちろん、花純であった。


 花純が攻略対象として的を絞っていたのは、前述したとおり永久子の許嫁である一条友康である。そのため、最重要キーマンでもある永久子の協力があれば、ルートクリアの手助けになると花純は考えたのだ。それにはまず、永久子に乙女ゲームとはなんぞやを理解してもらうことが最重要事項であった。

 乙女ゲームについて花純が詳しく説明する度に一々口を挟む永久子を、花純は大胆にも面倒臭く感じてゆく。

 そして花純は前世の記憶に一番近いような乙女ゲームを、永久子に渡した。


 永久子はそれまで、ゲームというものに対して無知であった。そんな永久子が、ぽんとソフトを渡されたところで、パッケージを振る程度しか出来なくてもおかしくない。

 永久子は帰った途端、清十郎に用を申付けた。現物を持っているところを見せるわけにもいかないため、友人の間で話題になっているというていで、件のゲームを購入させてきたのだ。


 小さな携帯のような機械と、花純に渡されたのと同じものを買って帰ってきた清十郎に、永久子がそのままプレイを命じた。

 清十郎はすごく嫌そうなオーラを流しながらも、永久子の部屋のソファに腰掛け、ゲームを起動させる。


『薔薇色学園! ~ 貴方と恋の三平方 ~』


 可愛らしい少女の声が、部屋に響いた。その時の清十郎の顔といったらない。

 見慣れているはずの家の者でさえうっとりとさせるほどの端正な顔を、極限にまで顰めていた。鼻の上に皺を寄せ、眉間に深く川を刻み、唇はへの字に曲がっていた。その顔があまりにも面白くて、永久子は全てのプレイをその場で命じた。


 永久子は清十郎の肩に手をかけ、顔を寄せて画面を見た。座るのに疲れた時は、自分のベッドに横になる許可も与えた。清十郎は非常に嫌そうな顔で「この大魔王め」と永久子にとってうれしい言葉を吐き捨てた。

 興味がなかったゲームも、清十郎の反応ですべてが楽しくなった。さすがに男キャラクターが清子ヒロインに対して至らぬことをしようとする時は、清十郎の目と耳を手と体で塞ぎ、見させなかった。


 ゲームは、当然のようにコンプリートされた。清十郎、与えた仕事は全うする男である。

 途中で何度涙したか。途中で何度心が挫けそうになったか。永久子は清十郎の膝の上で泣いた。清十郎も泣いていた。男として大事なものを失った気分だったと後に言った。


 ゲームを体験した永久子は、すべからく乙女ゲームというものを理解した。婚約者である友康と、清十郎――そして、ライバルキャラである悪役ポジションの自分の立場も。



「わかりましたね、永久子様」

 ハッとして永久子は顔を上げた。清十郎が真顔でこちらを見下ろしていたが、永久子が話を聞いていなかったとわかるとその顔に笑みをたたえた。永久子が幼い頃から逆らえない、恐ろしい笑みである。


「脳みその中のワタを全て詰め替える必要がありそうですね」

「すまなかった、清十郎、すまなかった!」

 待て、待て待てと家庭科室へ急ごうとする清十郎に、永久子は追いすがった。





 清十郎が花純を嫌悪するには、理由があった。


 花純は入学当初、とても地味な生徒だった。目立つ行動もなく、問題も起こさない。常に教科書とにらめっこしているような、およそ模範的な奨学生。

 後ろ盾もなく、自身の力一つで這い上がってきた生徒に、清十郎は当初好感を抱いていた。それが憎悪に変わったのは、彼女が永久子のポジションを食いつぶそうとしていることに気付いたからだった。


 一つ一つは、なんてことがなかった。


 勉強に励み白鳥学園に入学したことも、一条にひょんなことから気に入られたのも、生徒会へ入ったことも。全て、数年に渡りちりばめられた偶然であった。そのはずだった。


 それが一つの線に繋がった。

 その先の全てに、永久子がいたのだ。


 そして花純は、永久子に接触した。永久子から仕向けるように、巧妙に花純が手を回したのだ。花純を同じ生徒会のメンバーとして庇う友康に、永久子は刺激された。その常にない怒り様に触れ、清十郎はそれを悟った。

 

 永久子はこれまで、友康に深く恋慕を抱いている様子を誰にも見せなかった。

 しかし、花純が現れてそれが変わった。友康が一瞬視線を花純に投げるだけで、永久子は怒りを表すようになった。


 一度機会があり、清十郎は花純と会話をしたことがある。花純が必要以上に自分を意識しているのを、清十郎は敏感に察した。清十郎は自らの顔を利用して笑顔で問うた。近頃、永久子が貴方にきつく当たっているのを見かけるが、どんなことを言われているのか。辛くはないか――と。

 花純は、永久子の付き人である清十郎の言葉を、信じられないほど容易く受け入れた。あまりの呆気なさに眩暈がしそうなほどの愚かさで、花純は頬を桃色に染め上げて清十郎を見上げたのだ。


『ご心配なさらないでください。辛い事など何も言われておりません。どうぞ永久子様を責めないでくださいね――男子にはちょっと言いにくい、恋の話などをしているだけですから』


 この厚かましい女狐にさえなれていない子狐を、どうしてやろうかと清十郎は心の中で考えた。

 花純は、言ってはならぬことを言った。

 この学校へ入学したことも、一条に気に入られたことも、生徒会へ入ったことも。全て。この一言には及ばなかった。


 花純は、一条の婚約者である永久子に向かって、一条との恋を語ったと言ったのだ。


 永久子がどのような気持ちでそれを聞いていたか。永久子がなぜ、あれほど敏感に花純に反応するのか。清十郎は胸をかきむしられる思いであった。


 しかしそれは、周知するところではない。そのような不名誉な話は、清十郎の胸一つに留めておかねばならない。


 これまでの永久子の評判が、今はまだ彼女を支えている。今は誰もが、この学園一の理想のカップルに、花純が横恋慕しているだけだと見ている。しかし、友康が日に日に花純へ思いを募らせているのが露呈するのは、時間の問題に思えた。


 その時。

 友康が花純につけば。


 永久子を糾弾することで、彼女の保身を図ろうとしたら。


 清十郎は、永久子にとにかく花純に関わってほしくなかった。それなのに永久子ときたら、日を増すごとに清十郎をうまいことあしらって花純に近づいていく。清十郎はそのたびに、清十郎の思案など一遍も慮ることのない永久子を追いかけるのだった。








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