第一話 笑顔を忘れた街で、謎はさらに深まる その9
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女王が右手を上げると、騎士たちが一斉にボウガンを構えた。
だめだ。僕たちの旅もここで終わりだ。どうすることも出来ない。
ちらとローランドの顔をうかがう。
彼の表情は落ち着いている。焦りの色は浮かんでいない。何か策でもあるのか。それとも、ただ最後まで希望を捨てていないのか。ふいに僕の脳裏にカーメンの姿が浮かんだ。そうだ、彼女は僕の帰りを待っている。たとえ、もうこの世にいないとしても、ネクロマンサーを連れていけば約束を果たせる。ここで、こんな所であきらめる訳にはいかない。
「年貢は納めたかな? なかなかに楽しかったぞ」
女王はぶきみな微笑を浮かべた。
「さらばだ」
女王が右手を振り下ろそうとした時だった。
騎士の一人がボウガンの矛先を女王に向け、躊躇なく矢を放った。
女王が驚愕すると同時に、矢は彼女の右腕にふかぶかと突き刺さった。
「おのれ、何者か!」
女王は左腕で気を飛ばした。裏切った騎士を直撃する。
「キャアッ」
騎士から悲鳴が上がった。女だ。鎧は粉々に砕け、背中をつきやぶって肉片が飛び散る。
「エリシャ!」
騎士の顔を確認した僕は続けざまにこう叫んだ。
「偉大なる医術」
これが僕の能力だ。
十本の指から気でできた針と糸を飛ばし、相手の傷を縫合する。
エリシャの内臓、皮膚すべてを縫合する。
僕はエリシャの元に駆け寄った。
彼女の臓器は完全に破壊されていた。僕の能力は切り傷などの軽傷は治すことが出きるが、臓器の復活などは不可能だ。
彼女はもう助からない。僕はローランドをねめつけた。
「ローランドさん。あなたのせいですよ。あなたが彼女をけしかけるから!」
「……」
「くくく、心配するな、すぐに同じ場所に送ってあげる。さあ、やってしまえ」
女王の号令とともに、騎士たちは一斉に矢を放った。矢の雨が僕たち三人に襲いかかる。
その時、ローランドが叫んだ。
「騎士たちを呼んだのは失敗だったな。俺に武器を与えたようなものだ」
鞭がしなる。騎士たちの放った矢を一本残らずはじき返す。
地面に倒れていくのは騎士たちのほうだった。
それだけではない。ローランドの鞭は騎士の身体をも攻撃へと変換させた。
騎士の身体を女王めがけて繰り出したのだ。
騎士たちの肉体を雨のように降らせ、矢も飛んでいく。
女王はたまらず空へ逃げた。
「終わりだな」
ローランドの鞭が女王の左腕を固定する。
続いてレオノールが短剣の雨を飛ばす。
女王は右手で気を飛ばして短剣を防ごうとするが、痛めているのですべては返せなかった。
短剣の何本かが女王の身体を貫く。
「ぐお!」
悲痛な叫びが室内にこだまする。しかし、ローランドたちの攻撃はこれだけではなかった。
短剣に隠れるようにして、緑色の玉が女王に放たれていたのだ。
玉が女王に触れると、キンという音とともにはじけた。
女王の周りを緑色の光の粒子がきらめく。
「ファイルーザ。お前の魂の声を聞かせろ」
ローランドが大声で叫んだ。
●
気を失っていたファイルーザは激痛に眼を覚ました。
仰向けに寝かされ、醜悪な顔の男が彼女に覆い被さっている。
「へへへ。眼を覚ましたか、お嬢ちゃん。叫んでみろ。そのほうがこっちも盛り上がるってもんだ」
臭い息が顔に振りかかる。
ファイルーザは顔をそむけ、辺りに視線を走らせた。
数十人の男がファリルーザを囲んでいる。
「おい、まだか」
「次は俺だぞ」
怒号とともに男たちは、にやにやと気持ち悪い顔を浮かべている。
「鎧なんか着て、男の真似をするからこうなるんだ」
上にいる男のよだれがぼたぼたと顔に垂れてきた。
「いやあああああああ」
ファイルーザは力の限り叫んだ。
●
何日が過ぎただろう。
朝日が洞窟の入り口から顔を見せた。
ファイルーザは放心状態で朝日を見ていた。
木々の隙間からちらちらと差し込む光は、洞窟内の男たちの死体を浮き上がらせていた。
●
城内に悲鳴が上がった。
「ハルさんが、ハルさんが――」
女中の叫びとともに城内は騒然となった。
●
突然開かれた扉にゼタ王は驚いた。
「お久しぶりです、お父様」
訪問客の顔を見て、ゼタ王は安堵した。
「生きていたのか、ファイルーザ」
ゼタ王は安堵してイスに腰を下ろした。
「どうして捜索隊を出してくださらなかったのですか?」
「生きているとは思わなかったからだ」
ゼタ王は様子の違うファイルーザを訝しんだが、そのまま続けた。
「しかし、タイミングの悪いときに帰って来たものだ。今城内に侵入者が紛れ込んでいる。どうやら、ハルが、殺されたらしい」
ファイルーザはゆっくりと父親の元に歩み寄った。
「婆やを殺したのが、私だと、云ったら?」
「なに!」
ゼタ王は立ちあがった。
「なぜそのようなことを」
「婆やが、私の姿を見て笑顔を見せたから」
「たったそれだけでか。馬鹿なことを」
「馬鹿だと思っています」
ファイルーザは父親の眼と鼻の先で歩みを止め、父の顔を冷やかに見据えた。
「こんな私でも許してくれますか?」
「許す……だと」
ゼタ王は踵を返して両手を広げた。
「敵の捕虜になるような力無きお前を許せだと。ふざけるな。何の為にお前を鍛えたと思っているのだ。もう一度鍛えなおしてやる。これまで以上の厳しさでな。ははははは」
「笑うな……」
ファイルーザが鬼のような形相になる。
「笑うな~!」
涙の混じった声と同時に拳が振り上げられた。
●
静寂のあと、謁見室の扉が開いた。中に入ってきたのは初老の男性だった。
その視線は仰向けに倒れている女王へと向けられている。
僕は突然の来訪者を、ただ見ていた。いや、奇妙な現象に、動くことができず、見守ることしか出来なかった。女王に何が起こったのか、僕の知識の範疇を超えている。
女王は緑色の玉を受けたあと、呆けたようにして倒れ伏した。何処にも、外傷はないのに。あの霧は毒なのか? それならば、僕たちも危険なのでは? いや、ローランドとレオノールは解毒剤でも飲んでいるのだろう、じゃあ、危険なのは僕だけ? でもこの老人は? 考えても答えは出てこない。だからじっと成り行きを見守る。
女王の眼の焦点が定まると、初老の男性を捕らえた。
「お父……様?」
男性は女王の元まで来ると、膝をついた。
「お父様の教えどおり、私は力を手に入れました。男に負けない力。誰にも負けない力。そしてこの街を守ってまいりました。私を、私を許してくれますか? 私を、認めてくれますか? 私を……愛してくれますか?」
男はファイルーザの手をやさしく取ると、にっこりと微笑んだ。
優しい、優しい笑顔だった。
「おおおおおお……」
ファイルーザは泣いた。
今までこらえてきた分を一気に流しさるように、涙はとめどなく流れる。
レオノールが男性の背後に立った。
赤黒い剣を取りだし、振りかぶる。
「な、何をするんですか!」
僕の叫びは空を切った。レオノールの剣は男性を貫き、そのまま、ファイルーザをも刺し貫いたのだった。
謁見室には死体の山が出来あがった。
僕は二人の元へ駆け寄ったが、手後れであることを悟った。
女王は、顔に笑顔を浮かべたまま事切れていた。しかし、その笑顔は深層からにじみ出ているかのように感じられた。
「ローランドさん。この人たちを殺す必要があったのでしょうか」
僕はローランドに問いつめた。
「この女はやりすぎた。何よりも、レオノールに傷をつけたのだ」
ローランドはエリシャの元に歩み寄った。
そして、耳元で何事かを囁くと、緑色の玉を取りだして、それを割った。再び光の粒子が舞う。まただ。この人は何をやっているのだ?
「エリシャさんは、もう助かりません。あとはもう死を待つばかりです」
ローランドは小さく呟いた。
「そうかな……?」
瀕死だったエリシャが突然、眼をかっと見開き、僕の背後を凝視した。
僕は視線を追って頭をめぐらせると、そこには一人の男が立っていた。その顔に、見覚えがある。誰だったか……考えてみるが思い出せない。
「ああ、ああ……」
エリシャは男を見ると大粒の涙を流した。
顔を戻した僕に、ローランドが一枚の手紙を手渡した。
ローランドの顔をちらりと見た。ローランドは軽くうなずいた。
読めということか……。
男は膝をつくと、エリシャの手を取った。
僕は男の行動と手紙を交互に見ながら、手紙の内容を音読した。
「私はエリシャにあやまらないといけない。ずっと、君に冷たい態度をとっていたが、それは君がにくいからではなかった。むしろ、その逆だ。私はエリシャ、君のことを愛していたのだ」
エリシャは意識がもうろうとしていて、僕の読む手紙を目の前の男が語っているかのように感じているようだ。僕はかまわず続けた。
「このような職業についている私に、君を愛する資格などないことは解かっている。だから冷たくあたっていたのだ。許してほしい」
手紙にはまだつづきがあったのだが、僕は、それを口には出来なかった。
「いいえ、いいえ、その言葉を訊けただけで私は幸せです」
エリシャは満面の笑みを浮かべている。何という美しい笑顔だろう。
「先に逝く私を許してください。ウーフさん、私もあなたを愛しています」
そう云うと、エリシャの身体から力が抜けた。
手紙の最後にはこう書かれていた。
『私はもう間もなく死ぬだろう。死ぬ前に、この手紙を愛しの君にささげる』
私は視線を手紙から男に移した。
男はいない。忽然と姿が消えている。そのとき気づいた。もしや……。
もしかして、ローランドは……。
●
城を出ると街は喧騒につつまれていた。すでに女王の死が広まっているようだ。
長年笑顔を捨てていた人々だ、心の底に恐怖がこびりついていて、そうすぐには笑顔を取り戻せないだろう。
だけど、人間にとって笑顔が必要なことである以上、それも長くはつづかないだろう。すぐに戻るはずだ、と僕は信じている。
街の出口付近に、花を売っている少女が一人立っていた。
眼が合うと、少女は僕に声をかけてきた。
「あの……花、買ってくれませんか?」
「今日はめでたい日だ。それにシャボウの花は大好きなんだよ。だから全部もらおうかな」
僕がそう云うと、少女はにっこりと微笑んだ。
つづく