最終話 第五章 レオノール
5章レオノール
いつから間違いに気づいていたのか、今となっては知る由もない。
DNAに記録されていたことを、すなおに従っただけだ。
不死への願望。
私は研究し、追求し、あるひとつの可能性を見つけ出した。
しかしそれが、間違いだらけの欠陥だと知ったときには、もう戻れないところまで来ていた。
いつからだろう、自分を欺いていたのは。
いつかは虚構も現実になると信じていた。開花すると願っていた。
しかしそれは蜃気楼の想いだった。
ああ……これで……楽になれる。
絶望の淵に立たされたとき、真実は、世界樹が教えてくれた。我が身と一体化し、世界樹の気持ち、思考が流れ込んできたことにより、知ることが出来た。
私が目指していたちからは、間違っていなかったのだと。
●
それは実際に起こったのだ。
辺りにまばゆい閃光が走った。次の瞬間、マシアスの身体がはじけ飛ぶのを……。
光の領域に達したローランドの鞭が、思考力を支配されたマシアスが避けきれるはずもない。僕ははっきりと見た。
それなのにどうして、マシアスは眼の前に立っているのだ? しかも、五体満足で……。
理解の範疇を超えている。彼の両腕は切断されたはずだ。それだけではない。身体自体も、はじけ飛んだはずだ。
「ワトリングとは……」マシアスがゆっくりとくちを開く。影になっていてその表情は見えない。「収縮されたエネルギー体なのだ。使用者が、そのエネルギーを自在に操ることが出来る。それがなにを意味するのか、わかるか?」
ワトリングは普通の鞭の形状をしているが、それは器にすぎない、ということか? まて、マシアスは見事に復活をとげたが、よく見ると、普通ではない。両手が、ゆらゆらと揺れている。それはクラゲの足のように、柳の葉のように、ゆらゆらと……。
「私は、ワトリングと融合した。失われた腕、細胞、筋肉、皮膚、それらをすべてワトリングで補った。もう私を倒せる者は存在しない。ノリエガよ、お前の能力もまた、必要ない」
僕はローランドへと視線を走らせた。うつぶせになり、ぴくりとも動かない。顔を戻す。
マシアスが両腕を上げた……いや、腕と呼べるものではない。触手だ。
ローランドの元へ近づき、彼の身体を治療する……絶望的だった。筋肉は断裂し、神経も健もすべて切れていた。かろうじて、呼吸をしている状態だった。
「世界樹の放つ威光、威圧、それらは邪魔だ。私はこの世界を、新しく作り直す」
そのときレオノールが僕の前に降り立った。両手を広げ、守るように。
そして次の瞬間、彼女の身体は鞭のような管のような肌色で細い棒に貫かれていた。棒の先を追うと、マシアスの腕だとわかった。
「さらばだ、レオノール。どうしたことか、哀しみを感じない。もう、いてもいなくてもどっちでもいい。さようなら、レオノール。かつて愛した……愛した? 愛とはなんだ? わからないからどうでもいい。ばいばい。いや、忘れてはならない。お前の記憶。記憶? やめろ!」
どこからか太鼓をたたく音が鳴り響いている。リズミカルに、ときに抑揚をつけて。
なんて音だ!
涙が、とまらない……。
かすむ視界の中、レオノールを足をふみならしていた。膝を高く上げたり、小さく上げたり、足首をひねり、音質を変化させている。
ああ、レオノール、ああ、なんて音楽なんだ、ああ、ああ……。
僕は確かに見た。焼け野原と化した大地に新しい緑が顔を出し、それらがあたり一面を埋め尽くし、大地は活力を取り戻した。見ている間に、すくすくと育つ。どんどん伸びる。その形状は――
世界樹。
いや、どこか変だ。植物らしくない。感情を感じる。ああ、なるほど。ローランドは世界樹とリンクしたのだ……いや、そうじゃない。
世界樹と一体化した、ラースと心が触れ合ったのだ!
一本、二本、数えきれないくらいの世界樹が林立し、それらがいっせいに輝いた。
光に呑み込まれる瞬間、マシアスが、満足そうな笑顔を浮かべているのを、見たような気がした。
静寂を優しい風がなでていた。摩擦で生じた風と大地と世界樹の旋律が、ナンセンスな旅を慰めているようだった。いつまでもこの風に身をゆだね、ゆっくりと傷を癒したいと思ったけどそうもいかないので激痛が走る身体に鞭打って立ち上がった。
長時間の治療が始まった。その甲斐あって、ローランドが眼を覚ました。
「これからどうするんですか?」
ローランドは手を振って、僕の治療を拒絶し、すがすがしい顔をして答えた。
「東の島にネクロマンサーがいるそうじゃないか。探しに行こうかと考えている」
僕は怪訝そうな顔を向けた。
「いちばん、罪を償わないといけないのは、どうやら俺だったようだ」
ローランドはレオノールの元へ身体を引きずった。
そしてレオノールの華奢な身体を抱きしめる。
「レオノールの不死の能力を利用して、ここまでやってきた。彼女の気持ちを無視し、自分の利己的な考えで戦ってきた。恥ずかし話じゃないか」
ローランドとレオノールは最初からあった世界樹の元へ向かって歩き始めた。
僕はその後を追う。
僕は空を見上げた。僕たちのこの醜い争いを、どう感じているのだろうか。
世界樹は何も語らない。
世界樹は何も告げない。
ただ、そこに立ちつづける。
ローランドが振りかえって云った。
「俺は形を変えたラースと同調した。その結果、新しい能力を得ることが出来た」
しばらくの間があり、ローランドは付け加えた。
「俺は、お前に……ノリエガに、心の底から感謝している。ありがとう。そして……」
ローランドが胸のところに手をかざすと、黄金色の玉が現れた。
それを天空に掲げる。
ローランドはもしかして――。
ネクロマンサーの能力は本当に――。
そしてその真の能力とは――。
「待って下さい!」僕は叫んだ。
ローランドの頬に一粒の涙が流れた。
しかし、それは哀しみのものではない。
「さようなら、ノリエガ。お前と出会えて、よかったよ。お前のためなら、このふたつの命、捧げよう」
世界中が輝いた。黄金色に。優しい暖かさに。
力強い粒子が、流星雨のように大地に降り注ぐ。
光あるところに影が生じる。という言葉を聞いたことがあるが、それは中途半端というかある一点からの照射というか弱い光の場合に当てはまる言葉で、前後左右、上下からの圧倒的な光射に対しては影が消滅すると僕は知った。黒のない白だけの世界。それはしかし、白い闇であった。
眼もくらむようなまばゆい世界の中、僕はしっかりと眼を見開いた。この瞬間を決して見逃すまいと、記憶に刻もうと……。
世界がさらに明るくなる。
すべての景色が陽炎のようになって消えていく。
驚くことに、乳白色の光もまた、消えて行った。
世界樹の意思を感じる。ラースも。ああ、彼は世界樹とともに生きていたんだ。そこに、ローランドの意思も溶け込もうとしている。ああ、ダメだ。行かないで、と思うが口に出来ない。
彼の存在が消えて行く。分散し、光の一部になりつつある。
もうひとり誰かいる。ああ、あれは……。
哀しき運命に翻弄されたひとりの女性が、消える瞬間、優しい微笑みを浮かべた。
つづく




