最終話 第四章 マシアス その4
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大地は裂け、周囲は荒れ狂い、大地震かハリケーンにでもあったかの様相を呈していた。
その行程を世界樹はただじっと眺めているだけだった。
「さて、ローランド。レオノールを何処に隠した? そう遠くには行っていないはずだ。彼女を渡してもらおうか」
「そんなに会いたいか?」
ローランドはがくがくと震える足を叩いて立ちあがった。彼もそろそろ限界が近い。僕たちに、勝機は、残されているのだろうか。
「お前にはおしい女だ。彼女の側には俺こそが相応しい」
「レオノールなら、お前の後ろにいるぞ」
「なに!」
マシアスは振り向いた。
そこには悩めかしいほどの美貌を持ったレオノ―ルが立っていた。
「会いたかったよ、レオノール。昔、君にしたことはあやまる。だから、これからは俺といっしょにいてくれ」
レオノールは答えない。
「レオノール?」
「マシアスよ。お前におもしろいものを見せてやる」
「おもしろいものだと?」
「ああ。レオノールをじっと見ていろ!」
ローランドの鞭が唸った。彼女の頭上でぴたりと止まり、それから、力強く振り下ろされる。
バゾン!
僕たちの目の前でレオノールの身体は縦に引き裂かれた。
「レオノール! ……ローランド、気でも違ったかー!」
大切なレオノールを破壊するなんて。僕は眼を疑った。しかし、マシアスの動揺を見ると、その行動は正解だと思った。冷静さを失ったマシアスになら、おそらく……。
「何を云っているんだ? レオノールなら後ろにいるじゃないか」
マシアスは驚いてもう一度振りかえった。
そこには何事もなかったように美しい姿でレオノールが立っていた。
「これは……どういうことだ?」
「こういうことさ」
ローランドは音もなくマシアスの背後に迫っていた。
「マシアス。お前の心の声を聞かせろ!」
緑色の玉がはじけ、粒子がマシアスの身体を覆う。
「俺はラースと同じネクロマンサーだ。だが、神の領域に触れたこの能力は呪われている。今見たとおり死者を蘇らせることができる。しかし、その体内には魂は入っていない。ただの抜け殻だ」
ローランドは眼を伏せた。
「もう……本当のレオノールと、再会は出来ない。お前が、こうしたんだ」
「うおおおお! ……くく、くくく。はははははははははははは」
おかしい。ネクロマンサーの能力が発動しない。何者も現れない。
これにはローランドも信じられないといった様子だ。
「ならば、仕方がない。あの女は諦めるとしよう」
「くっ、そこまで落ちたか……」
「さらばだ、ローランド。あの世で、レオノ―ルと親父によろしく云っといてくれ」
させない。これ以上仲間の死を見たくない。
ローランドと僕が同時に動く。
「唸れ、ワトリング」
その後のことを、僕の眼で追うことは出来なかった。
●
激しく僕の胸に顔をこすり付けてくる彼女に尋ねた。
「くすぐったいだろ。何をしているんだい?」
「ん? こうするとね、あなたと一つになれる気がするの。ひとときも離れたくない。安心するから、こうするの」
「心配するなよ。僕は何処にも行きやしない。だから、止めろって。あはははは。くすぐったいって!」
「本当?」
「旅に出ることはあるかもしれない。でも、かならず戻ってくる。約束するよ」
「うん、わかった。そのときは、ずっと待ってるから。ノリエガを信じて、ずっと待ってるからね」
●
「うわあああああああああああ!」
僕は激しく立ちあがった。
この男を許すわけにはいかない。世界を混沌に落とし入れるこの男を僕は許さない。
視線の片隅にローランドが倒れ伏しているのが見えた。
マシアスは満足そうな笑みを浮かべたまま僕へと視線を移した。
「ほほう、粉砕された肩はもう治っているのか。お前の能力はすばらしい。どうだ、俺の下に就かないか? 世界を統べる瞬間を見せてやろう」
「トリック・ドクター」
「聞き分けのないことだ」
ワトリングが唸り、僕の胸を打ちつけた。
背中から大地に倒れる。
マシアスは僕の喉を踏みつけながら続けた。
「ならばこうしよう。ローランドはまだ生きている。俺のこの腕を治してくれれば、やつの命だけは助けてやる。どうだ?」
「断る」
ザン!
「ぐう……」
空中に発生したワトリングが槍となり、僕のけい骨を潰した。脈は早鐘のように速度を上げ、何か暖かいものが体外へ流れ出している。止血しなければ命にかかわる。
「云い忘れていたが、お前が断ればあいつの命はない。どうする?」
「断る」
ザン!
今度は反対側だ。激痛でパニックを起こしそうだ。だけど、負けるな。意識を集中させるんだ。能力をフル稼働させて傷を治せ。そのうち隙を見せるかもしれない。だから、死なずに、傷を治しつづけろ。
「もう一つ云い忘れていたが、俺は左腕が無くても世界を手に入れることは出来る。お前に治してほしいのは、これじゃあ、何かと不便だろ? ただ、それだけなんだ」
そう云ってマシアスは、肘までしかない腕をプラプラと揺らした。
「断る」
ザン!
痛みが昇ってくる。鎖骨をやられたようだ。
「さあ、傷をどんどん治せ」
ザン!
「断る」
ザン!
「こ、ことわ……」
ザン! ザン! ザン! ザン! ザン!
思考が遠のいていく。治療が間に合わない。血を失いすぎた。そして、冷静な判断が出来なくなりつつある。
「そろそろ限界か? これが最後だ。俺に忠誠を誓うか」
ゴボ……。血液が器官に入ってきた。負けるわけにはいかない。これだけはしっかりと言葉にしなければならない。血を吐きだし、最後の力を振り絞る。
「ち……」
「ん?」
「力でしか……何も手に入れられない。かわい……そうな人……だ。お前は、この世で一番……弱い」
マシアスの眼が引きつった。ぴくぴくと痙攣する。
「残念だ」
マシアスはワトリングを持つ腕を大上段に構えた。
僕はゆっくりと眼を閉じた。
結局、誰も救えなかった。今度生まれ変わったら師匠ほどの実力はつけないとな。
あの世で特訓のやりなおしだ。
……。
…………?
攻撃の手が振り下ろされない。
どうしたのだ?
眼を開けた先には、マシアスの腕を掴んでいるレオノールの姿が浮かんでいた。
つづく




