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最終話 第三章 ニール その2

     2

 僕は目の前の光景を、にわかには信じられなかった。

 《それ》は、木の幹にすべてを委ねるようにして寄り掛かっていた。

「ある日、ラースはひょっこりとフォルケにやってきたの」

「や、やはり、これは?」

 僕はサニエに答えを求めた。

「そう……ラースよ。ラースの変わり果てた、ミイラ」

 その言葉を訊くと同時に、僕の中で大地が崩れ去った。

「ラースは街の人々の願いを、次々と叶えていったの。みんな喜んでいたわ。ラース本人もそんな彼らを見て満足していたの。でも、夫を生き返らせてもらった一人の女性がこんなことを云ったの。『生き返らせてくれたことには感謝しています。だけど、生前の夫ではありません。これじゃあ、心のないただの人形です』……これがどういうことだか、わかる?」

 僕はすべてを理解した。

 しかし、言葉に出ない。

 サニエはそれを悟ったかのように続けた。

「ローランドの師であるラースの能力もまた、今のローランドといっしょだった、ということよ」

「そ、それじゃあ、僕たちはいったい……」

「ネクロマンサーの能力は、神と人間の差を叩きつけられる、哀れな能力」

 僕は地面を力のかぎり叩きつけた。

 頬を熱いものが流れる。

 歪んだ視界の中、身体の一部が世界樹と同化したのか、世界樹の幹の一部がこぶのように盛り上がっているのかわからない物体が揺れている。

 許してください、長老。許してくれ、カーメン。

 サニエが僕の肩にそっと手を置いた。

「過去のものにすがり付いていても何も始まらない。大切なのは、残された者がこれから何を残すか。亡くなった者から、何を引き継ぐか、なのよ」

 僕はサニエを見上げた。

 ダークブラウンの髪がさらさらと流れ、顔には満面の笑みが浮かんでいた。

 僕はサニエの笑顔を生涯忘れることはないだろう。

「さあ、行きましょう」


 軍勢は半分ほどに減っていた。

 ローランドはレオノールを出さずに半数以上を倒したのだ。死体の中にはローベックの姿も確認できた。胴から真っ二つにされて、その表情には恐怖が浮かんでいた。

 僕は前線へと移動し、ローランドの傷を治した。しかし、失われた体力を回復することは出来ない。

 そろそろ潮時かと思ったが、ローランドの戦意はさらに増大しているようだ。

「どうするつもり? あちらもまだまだやる気充分のようだけど」

 サニエの云うとおりだった。兵たちの表情には一片の曇りもない。おそらく魔道士の一人が彼らに魔法をかけているのだろう。

「お前たちは逃げろ。俺が道をつくる」

「死ぬ気ですか? ローランドさん」

「俺にはどうしても成し遂げなければならないことがある。ここで背を見せるわけにはいかない」

「しかし……」

 その時、敵兵を押し退けるように、一人の男が前に出てきた。

「貴殿を最高の戦士と見て、一騎打ちを所望する」


 ニール王、その人だった。


 歳は六十を越えているとはいえ、威風堂々とした風貌からは歳を微塵も感じさせない。後ろになでつけられた白髪、鋭い眼光、顔中に刻まれた傷跡は、むしろ彼の勲章のようだった。

 数々の伝説を残した男。世界を統一した実力。他人を超越するカリスマ。

 ニール王が今、目の前にいる。

「じいさんが、久しぶりに身体を動かして大丈夫なのかい?」

 ローランドが前に出る。

「ワシでは役不足かもしれんが、ひとつお手柔らかに頼む」

「後ろでお茶でも啜っていたほうがよかったと、後悔するぞ」

「おぬしのような若者がいるのに、ゆっくり隠居生活なんぞ出来るわけがない」

 ニールが剣を抜いた。

 その剣一本で世界を統べた、幻の剣。

 王剣チェリョ。

 僕だけではない、敵兵たちも一人残らず固唾をのんだ。

 世界樹と対等でもいうかのような剣圧がほとばしっている。じりじりと圧迫されるような感覚。敵兵の何人かは圧力に押され、立っていられないようだ。

「いくぞ」

 ニールは袈裟懸けの状態で走り出した。

 圧力が増大する。

 対峙するローランドは動かない。

「ローランドさん! 接近戦は――」

 僕の声は剣圧に押し戻される。

 ニールの間合いに入った。

 王剣チェリョがらせん状に弧をえがく。

「ローランドさん!」

 ザシュ!

 大きな音とともに、時が止まった。

 立ちはだかる敵はすべて力でねじふせ、哀願するものにも情けをかけず切り捨ててきた伝説の男、ニール。その剣撃は一振りですべてをなぎ倒してきた。対峙したものは力の差を瞬時に悟った。(りき)(おう)ニール。彼の恫喝(どうかつ)は時間を止めた。

 伝説の王、ニール。

 今、僕たちの目の前で一つの時代が終わりを告げた。

そう、切り裂かれたのは、ニールのほうだった。


つづく

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