最終話 第一章 ストックエイジ その4
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東の大陸の港町に、一隻の巨大な艦が上陸した。
艦から降りてくるのは皆軍人で、港町の人々は殺伐とした空気に息をのんだ。
軍人たちがすべて――約千人――降り立つと、最後に魔道士風の男と身体中から威圧的な空気を放つ老人が姿を現した。
軍人すべてがその老人に頭を下げる。
大地に降り立った老人を迎えたのは、長髪で美しい顔立ちの男だった。ただ彼の左目尻にある傷跡が、永遠に泣き続けるような哀愁を漂わせている。そう、かのマシアスだった。
「お待ちしておりました」
答えたのは老人ではなく、隣に付き従っていた魔道士の方だった。
「ネクロマンサー・ラースの行方を掴んだというのは本当か? マシアスよ」
マシアスは魔道士に眼を移すとにやりとして見せた。
「我が配下はこの大陸にいるかぎり、何処にでも存在します。それと云うのも、彼らの能力は壁抜け。暗殺よりも情報収集こそが真骨頂。この大陸の地下には無数の空洞があります。地面をすり抜けると、空洞に降り立ち、任意の場所に出現できます。そんな彼らからの情報です。間違いありません。反乱分子の一部が、ある地点に向かっております。我が配下が唯一手出しできない場所、そう、世界樹のもとへ」
その言葉を訊くと、魔道士は老人の顔色を伺った。
老人は何も云わず、ただ、コクリとうなずいた。
「もし差し支えなければ、私が直接ご案内致しますが」
マシアスはそう云って、深々と頭を下げた。
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突然飛びこんできた光に、僕はおもわず眼がくらんだ。
しばらくして顔を上げると、そこには大きく開けた空間が広がっていた。あたり一面、シャボウの花の極彩色が広がり、まるで、御伽噺に出てきそうなほど幻想的で美しかった。
樹海は花園を守るかのように、円を描くようにして囲んでいた。
中央が小高い丘となって盛り上がっている。そして、その頂上には、巨大な樹が堂々とそびえ立っていた。その光景を見ると、樹海が花園を、花園が世界樹を守っているかのようだった。
「これが……世界樹」
その圧倒的な存在感、すべてを超越し、生あるすべてのものを見守っているかのように、そこに息づいていた。荘厳さ以上の荘厳さでもって直立している。てっぺんは何所まで届いているのだろうか。雲を突き破り、目視することは出来ない。
「さあ、もう間もなくです。あの世界樹の下にラースはいます。行きましょう」
サニエの言葉に僕たちは賛同し歩を進めた。
もう少しでネクロマンサーに会える。
これで旅も終わる。待っていてくれ、カーメン。
しかし、ラースはこんな所でいったい何をしているのだ。死者復活の能力と世界樹と、何か関係があるのだろうか。わからないが、それもすぐに解明する。
「ちょっと待て」
ローランドが声を荒げた。
突然の出来事に僕たちは歩を止めた。
「どうしたんですか? ローランドさん」
「森が……」
「森が?」
「森がさわいでいる」
「え?」
辺りの様子を伺った。
静かで邪悪な森が広がっているだけ。
僕には何の変化も感じられなかったが、サニエの表情を見ると、それは間違っていると気づいた。
しばらくは何事もなかったが、やがて僕にもわかる変化がやってきた。
「今のは……?」
森が蠢いている。あちらこちらから湧き上がる悲鳴。それに歓喜するかのように森が蠢いている。
「侵入者の悲鳴だ。どうやらルールを知らずに入りこんだようだ」
数秒で叫び声はやんだ。大勢の悲鳴だったが、数分ともたなかった。
「あそこ」
サニエが指差した先には二人の人物がいた。
からくも逃げ出した、といったように、大粒の汗を拭っている人物が二人。
ソレンと近衛騎士隊副隊長ストックエイジだった。今度は幻影などではなく、本物のようだ。
「ソレンさん!」
僕は彼らの元に駆け出そうとした。
それを止めたのはローランドだった。
「待て。ヤツらはラースを探している。ということは俺たちの命を狙ってくるかもしれない」
「ソレンさんに限ってそんなことはないですよ」
「いいえ。ローランドさんの云うとおりよ」サニエが間に入った。「彼らはニール王に忠誠を誓う近衛騎士隊、王のためならどんなことでもする連中よ」
「サニエさんまで、大丈夫ですよ。それに僕はネクロマンサーの力を一人占めしようとは思っていません。みんなで平等に使い、この世から哀しみを取り払いましょう」
そう云って僕はソレンたちの元へ駆け出した。
「ソレンさん、無事だったんですね」
「や、やあ、ノリエガ。やられたよ。近衛騎士隊はみごとに全滅、生き残ったのは俺たちだけだ」
「よくご無事で」
「ストックエイジがいなければ、今ごろ俺も虫たちの餌になっていただろうがな」
微動だにしないストックエイジを見つめながら、僕の口からはため息がもれた。
「しかし、君たちもすごいな。そんなかわい娘ちゃんまで無傷でいるとは」
ソレンは僕の背後を見て感心した。
ふり返るとそこにはレオノールが立っていた。ローランドが心配して同行させたのだろう。
「こいつでも傷を負ったというのに」
ソレンはそう云ってストックエイジを指差してみせた。
ストックエイジという男は悠然とした態度で僕を見つめている。所々小さな傷を負ってはるが、息は乱れていない。森を抜けてきたというのに、まだ余力を残しているようだ。
「あれが世界樹か。まさか実在していたとは」
僕がストックエイジの不思議な雰囲気に囚われているところを、ソレンの発した言葉が現実世界に戻してくれた。
「そ、そうです。あれが生命の源と呼ばれる世界樹です。美しく、それでいて力強いですね。一日中見ていても飽きないと思います」
丘の上にそびえたつ大木は無言で僕たちを見下ろしている。
「おお! 本当に、美しい」
それまで口を開かなかったストックエイジも思わずため息をもらした。
「さあ行きましょう。ローランドさんたちが待っています」
「ここにネクロマンサーがいるのかい?」
「ええ、そのようです」
「ほう。盲点だったよ。触れるべからず、という禁忌がDNAに刻まれているからな。本当に、思いもよらなかった」
丘の中ほどまでくるとローランドたちは険しい表情で僕たちを睨んでいた。
僕は険悪なムードを打破しようと、彼らに手を振った。
その時、背後から殺気がほとばしった。
ふり返るとレオノールがストックエイジに背中から切りつけられていた。
噴水のような血潮が吹き出し、レオノールはシャボウの花の中に倒れ伏した。
「ははは。ご苦労だったな、諸君。現時点より、ここはニール軍の占領下に置かれる」
突然の出来事に僕は言葉を失った。
「知っているぞ。この女はローランドとかいうヤツが復活させたんだろ? ははは。ニールと合わせて二人のネクロマンサーが手に入るとは。すばらしいじゃないか」
「そんな、どうして? どうしてなんだ、ソレンさん」
『死よりつらいことは、裏切りだ』という言葉が脳裏によぎる。
ソレンの表情が険しくなった。他人をさげすみ、怒りの対象でしかないような眼つきになった。
「それだよ。その、《さん》が許せないんだよ。俺がどれだけの思いをして今の地位を手に入れたと思っているんだ? 友を裏切り、家族を捨て、地獄まで落ちてそこから這い上がってきたんだ。お前たち凡人とは違うんだ。様をつけろ。様おおおお」
「云った通りだろ、ノリエガ」
「ま、想像通りの展開ね」
ローランドとサニエが武器を抜きながら降りてきた。
「ストックエイジ、任せたぞ」
「はっ」
「どうして、どうしてなんだー!」
結局、殺戮は止められない。僕の甘さが招いた戦いだ。
つづく




