第五話 優しい風は涙を運ぶ その1
第五話 優しい風は涙を運ぶ
1
「おじいちゃん。村の入り口で血まみれの人が倒れているよ」
誰だろう。何処かで訊いたことのあるような声だ。記憶をたどっても思い出せないので、僕はそのまま彼らの会話を聞くことにした。だけどすべてを鮮明に聞きとることは出来ない。どうも聴覚がうまく働かないようだ。
「戦争で傷ついたのじゃろう。屋敷で休ませるとよい」
戦争? 内戦の間違いだろ?
「そうだ。薬草を取りに行ってくるよ。切らしているからね」
「うむ、それがよいだろう。しかし、森の獣が騒いでおる。気をつけるのじゃぞ」
「大丈夫、無理はしないよ」
やはり聞き覚えのある声だ。まだ若い。少年だ。十代後半くらいだろうか。
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「ぜんぜん良くならないね」
「うむ。傷は完全にふさがっておる。おそらくは、精神的なものじゃろう」
「なおるの?」
「彼しだいじゃなあ」
「早く良くなるといいね。外の情勢を詳しく訊きたいよ」
「そうじゃな」
ここは何処だ?
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「のう、00000。00000はどうじゃった?」
「うん。やっぱり美しかったよ。年々上手になっている。ムーンジーンはよだれを垂らして、ラクロは眼に涙を浮かべていたよ。あ、だけど、フリアーズはグレン饅頭を食べるのに夢中だったけど」
「ほっほっほ。あやつらしいわい」
ふいに額が冷たくなった。
気持ちいい。
「まだ熱が下がらないね」
「徐々に下がってきておる。そのうち眼を覚ますじゃろう。左耳が取れかかっておったからな、それだけが心配じゃ。しかし、片方が残れば聞こえなくなるということはあるまい」
「そうだね」
心配しなくていいよ。意識がはっきりすれば耳くらい治すことは出来るから。
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「今日はフリアーズがね、癲癇を起こして大変――」
「――またか。おぬしは力が強い、少しは遠慮せんといかんぞ」
「ごめんなさい」
ここは何処だ。ローランドたちはどうなった? サニエは、ハートネットは? マシアスを止められなかった結末はどうなったんだ?
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「おぬしも今年で成人じゃ。気持ちの整理は出来たか?」
「……」
「0000のことが気にかかるのか?」
「うん。彼は僕よりも実力があった。村を守るなら、彼のほうがむいているよ」
「長老の座を継ぐのは力だけではいかん。人を集める力。人をたばねる素質が必要じゃ」
「だったらなおさら彼のほうが――」
「あやつは確かに人を引きつけるものを持っている。しかし、おぬしとは異質なものじゃ。長老として必要なのは、おぬしが持っておるほうじゃ」
「僕には、わからない」
「せくことはない。そのうち自然とわかってこよう」
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「敵兵だ! 皆武器を取れ!」
「女子供は祠に隠せ、敵襲だー!」
敵襲? 東の大陸は未だ紛争が続いているときく。戦を仕掛けるのはマシアス軍だ。ということは、マシアスは無事だったのか。つまり、反乱軍は壊滅し、僕は一命を取り留め、この村で看病を受けている、そういうことだ。ハートネットもサニエも、そしてローランド、レオノールもやられたのか。
「大丈夫かな?」
「わからん。しかし、ただ手をこまねいているわけではない。わしらも応戦し、この村に手を出すことを後悔させるのじゃ」
「そうだね。きっと、侵略をあきらめるよ」
「そうじゃな」
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「また来たぞ!」
「女子供、ケガ人は祠へ急げ!」
やっと眼が開くようになってきた。しかし、焦点が合わない。霧に包まれたように、すべてがおぼろげだ。
かすかに木造の梁が見える。高さからすると、この家は結構な広さのようだ。
「指揮を取っているのがマシアスだというのは本当なの?」
「うむ。どうやらそのようじゃ」
「なら、僕が行く。僕なら彼を説得できるかもしれない」
「しかし……」
「マシアスはこの村の人たちを愛している。確かにおそろしい使い手だけど、戦えば勝てないだろうけど、話せばわかると思う。だから、行くよ」
「いいや、高確率で負ける。だからここで待っていろ」
「そんなんじゃダメだ。僕の気持ち、想いをぶつけなければ、みんなを守れない。無茶はしない。だから、僕は行く」
「うむ……仕方ない。くれぐれも危険をおかすようなことはしないでくれ」
本当に大丈夫なのか? あのマシアスだぞ。君は誰だ? マシアスとどんなつながりがあるんだ?
「待って、私も行くわ」
女の子の声だ。十代後半といったところか。明るくてかっぱつな声だ。姿はよく見えないが、それとなく綺麗な子だとわかる。
「なんだって?」
「それに、私だけじゃないわよ」
数人が家になだれ込んできた。
「俺たちも行くぜ」
「マシアスは友達だ。何とか説得してみせるよ」
「またみんなでグレン饅頭を食べようよ」
「ムーンジーン、ラクロ、フリアーズ」
身体が鉛のように重い。首をわずかにそらせるだけで精一杯だ。他人を治すのが僕の能力なのに、これじゃ、あまりにもみじめ過ぎる。
蜃気楼のような景色の中、四人の仲間たちは腕を取り合っていた。
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暗い。
まぶたが開かない。
真夜中の森に、松明も持たずに飛びこんだような不安感が満ち溢れている。
動け、身体。
動いてくれ。
「長老をお守りしろ。何としてもここは死守するのだ」
「やつの狙いはワトリングだ。近づけるな」
ワトリング?
ムーンジーン、ラクロ、フリアーズ、少年と少女はどうなったのだ?
「ダメだ。強い、強すぎる!」
そうか、やはり、説得は無理だったのだ。少年たちはすでに殺されたのだ。動け身体。動いて残ったみんなを助けるんだ。
「お久しぶりです、長老様。ワトリングを貰い受けに来ました」
「マシアス」
「あなたが悪いのですよ。いや、そうじゃないですね。村のしきたりが悪いのか」
「おぬしは勘違いをしておる。ワトリングはふさわしい人物にこそ受け継がれるものなのだ」
「私がふさわしくない、と云うのですか? 村で一番の力を持つ私が」
「それが、勘違いだと云うのじゃ」
「ふふ。いまさらどうでもいいことです。ワトリングは私の物になるのだから」
「マシアスよ……なんと哀れな男か……」
これ以上、犠牲者を出したくない。頼む。動いてくれ……。
●
家がきしんでいるような気がする。微かな震動。
ゆらゆら。ゆらゆら。
気のせいだろうか。
誰かが僕を見下ろしている。
マシアスか?
僕を見下ろしている人物は、鼻で笑って、それから奥へ消えて行った。
くやしい。僕は何も出来ない。
動け、身体。
動いてくれ。
「あなたは、何てことを――」
「やあ、00000。私と行く決心がついたかい?」
「だれが、あなたなんかと。死んでも行くもんですか!」
「そうか……残念だよ。愛していたよ、レオノール。さようなら」
レオノール? レオノールだと?
「私は、決して、あなたを許さない」
ダメだ、やめろー!
つづく




