第四話 古の国でのカウントダウン 残り三十分
残り三十分
パプケウィッツは五人兄弟の末っ子に生まれた。
母は彼が生まれた直後に亡くなり、家計はかなりの貧困に見まわれていた。
四人の兄たちはパプケウィッツが物心ついたときから働いていて、酒におぼれている父を助けていた。
パプケウィッツは母から十分な栄養を摂取できなかったのか、生まれつき身体が病弱だった。そのため、何かしら手伝いの出来る年頃になっても寝てばかりの生活が続いた。
家に一人残されたパプケウィッツは、父に虐待されていた。
七歳になるまでそれは続いた。
その間、働かざる者食うべからず、という父の言葉を四人の兄たちも肯定していたようで、虐待されるパプケウィッツを静観していた。
パプケウィッツは暖かい家庭を夢見ていた。
兄たちが一生懸命に働き、少しでも裕福になれば父も変わってくれるはずだ。
そして、兄たちも普通の家庭のように、共に遊んだりしてくれるはずだ。
何よりも家族みんなで食卓を囲むだろう。
しかし、世間はパプケウィッツの夢を叶えはしなかった。
何の前ぶれもなかった戦争の勃発。その歯車に組み込まされた兄たち。
父がさらに酒におぼれるのは必然だった。
それは四人の兄たちが一時帰宅しているときに起こった。
その日の父はいつにも増して荒れていた。
自分の身は自分で守らないといけない、いざ戦禍がこの家に訪れようものなら自分が立ち上がり撃退しなければならないと若いながらに考えたパプケウィッツは、家の中で木刀を振り回して稽古をしていた。
あまりにも夢中になりすぎて、父が近づいているのが眼に入らなかった。
木刀を左から右へ大きく払ったとき、強い衝撃が腕に伝わった。
恐る恐る木刀の先を見ると、そこにはこめかみから血を流す父が立っていた。
パプケウィッツは死を覚悟した。
奪い取られた木刀で殴られつづけ、右手や足の感覚がなくなっていく。床に転げると肋骨に激痛が走る。視界は朱に染まり、口からは生暖かい液体がわき出る。
パプケウィッツはこの時、生まれて初めて兄たちに助けを求めた。
居間に集まっていた兄たちは冷ややかな眼を返すだけだった。
動こうとする者は誰もいない。
その時、一番上の兄がひとこと言葉を発した。
「この時代、自分の幸せは自分の手で手に入れなければならない。他人に頼るのはお門違いというものだ。それは同じ村の者や隣近所、ましてや親兄弟にいたっても当てはまる。他人に依存するお前はこの時代に必要のない人間なんだ」
薄れゆく意識の中、七歳ながらに芽生えた強い感情は、淘汰、だった。
●
マシアスは、僕たちの方を見つめると首を傾げた。
「そこにいるのは……ゴーゴリ?」
「会いたかったぞ、息子よ」
僕とサニエは、グリニコに肩を貸しながらゴーゴリとマシアスを見やった。
この二人は親子だったのか。すると、あの写真に映っていたのは……。
「まさかあなたが反乱軍に加担していたとは、まさに皮肉なことですね」
「おぬしを止めるのはわしの役目だ」
マシアスは天を仰いだ。
大粒の雨が顔の上で飛び跳ねている。それはまるで妖精王デブリンが彼らの出会いを祝福しているかのようだった。
マシアスが顔を戻し、ゆっくりと云った。
「私の夢は、二度と先の大戦のようなことは起こさないこと。戦争が残すのは非情な別れと死のみ。あとはすべてが灰となってしまう。それだけは避けなくてはならない」
「だからって、恐怖を他人に押し付けるのは、正義だとでも云うの?」
サニエが声を張り上げた。
マシアスの視線がゆっくりとサニエへと移動する。
「それで戦争を回避できるなら構わない。今はまだ、少数の反乱分子がいるが、それももう間もなく鎮圧できるだろう」
「恐怖による支配は、さらなる怒りを生む。ここにいる僕たちがそのいい例だと思わないのですか?」
今度は僕に視線が注がれた。
「中途半端な恐怖だとそうなるだろう。それに、君たちに私の考えを理解してもらおうとは思っていない。何故だか、解かるかい?」
雨の音が消えた。
恐ろしい殺気が辺りを満たす。
「ダメだ……」
グリニコが僕とサニエの身体を強く引き寄せた。
「師匠?」
「ノリエガ、サニエ、あいつと戦ってはならん。逃げろ!」
最後のほうは叫びに変わっていた。
突然、僕の視界に黒い影が高速でマシアスに飛んでいくのが見えた。
暗黒騎士パプケウィッツだ。
「お前たちが、お前たちがいるからいけないんだ。みんな、死んじゃえー!」
「失せろ」
マシアスが呟いた瞬間には、パプケウィッツの身体が横にはじかれ、壁にめり込んでいた。
何が起こったのだ?
誰かが見えたかもしれないと、全員の表情を伺った。しかし、みんな眼を大きく開け、神秘的なものでも目の当たりにしたかのような顔をしている。ただ一人、ゴーゴリを除いては……。
突然、回りに待機していたフードの男たちが、声を合わせて歓喜した。
「別れ、別れ、別れ、別れ……」
その言葉に僕は苛立った。
「黙れ!」
「死、死、死、死――」
「みんな、リーダーの云うとおりじゃ。奇襲ならあやつに勝てたかもしれん。じゃが、正攻法では太刀打ちできん。ここはわしにまかせて逃げるんじゃ」
ゴーゴリは具合を確かめるように、二本の鞭を地面に叩きつけた。
「しかし……」
「なあに、あやつの攻撃方法を知っておるのはわしだけじゃ。おぬしらが逃げおおせるまでは持ちこたえてみせるわい」
ゴーゴリはくしゃくしゃの顔を緩めて笑顔を見せた。
その刹那、ゴーゴリの頭が、胴体から離れた。
「さようなら」
どこかからマシアスの声が響いてきた。
つづく




