第三話 奇病 その7
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僕とハートネットはローランドたちの背中を追った。
村人たちには自宅に戻るよう云ってあるので着いていくのは僕たち二人だけだ。
どこに行くのかと思うと、ローランドたちはズカズカと二階の階段を昇り、ある部屋の前まで来た。
部屋番はニ0五と書かれている。
この部屋は……。
ローランドは躊躇することなく扉を開けた。
朝日が差し込む部屋の中は黄昏の光に満たされていた。
そんなはずはない。眼を疑った。
《彼》は僕の目の前でぐずぐずに崩れて手おくれの状態だったはずだ。
窓を背にして一人の男が立っていた。男は僕たちを見据えて口を開いた。
「気づいてくれたのかい。まあ、そう仕向けたんだけどね」
信じられないことだった。僕は確かにこの眼で見た。この男、ケインが奇病に犯されているのを。しかし、どうだ。目の前に立っているのは健康体そのものだ。
驚きのあまり言葉を失っている僕たちをあざ笑うかのように、ケインは話しを続けた。
「まず云っておかなくてはならないのが、私の名はスタークだ。いやあ、ハートネットの推理には驚かされた。まさか、あそこまで私の能力を見透かされているとは思わなかったから」
僕は平然としている男を見て怒りが込み上げてきた。
この男が何の罪も無い者たちを無差別に苦しめてきたのだ。
これから無限の可能性を秘めた子供たち。希望に満ちた未来を築くための女たち。激動を生き抜き、それを後世に伝える役目を負った老人たち。
この男は未来を無下にした。
「ハートネットの云った空気感染は間違っている。そんな芸当は出来ない。だけど、病をコントロールすることは可能だ。だから私は自分への眼をそむけることが出来た。いったい誰が真相にたどり着いたんだい?」
僕とハートネットはローランドを見た。
「宿屋でレオノールが短剣を振っていたのを覚えているか?」
皆、無言だったがローランドはそのまま続ける。
「あれには心を動かす催眠の効果があった。それほど強い暗示ではない。ある程度の能力者にはきかないほどの弱い催眠だ。今ここにいるもの以外は感情を大きく起伏させていた。そう……催眠の暗示内容は感情の揺さぶり。怯え、怒り、といった……な。常人は平静さを失う。興奮し、恐怖し、声を張り上げる。ノリエガ、ハートネット、そしてお前の三人だけが平静そのものだった。そうすると、おのずと犯人は絞られるというものだ」
ローランドはそこで言葉をとめ、口元に笑みを浮かべた。そしてそのまま続ける。
「最後に云いたいことはあるか?」
スタークは眉をしかめた。
僕はローランドに尋ねた。
「じゃあ、ローランドさんはあの時点で犯人の目星をつけていたってことですか?」
「そういうことになるな。しかし、この男かハートネットか、は特定できなかった。だから、少し様子を見ていたんだ」
僕は視線をローランドからスタークへ移動させて云った。
「いったい、目的は何だ?」
スタークの眼が僕を捉えた。
「ハートネットの推理通り快楽のためさ。それ以外に何があるというんだ?」
許せない。人として許すわけにはいかない。
一歩前に出た僕たちを制止するようにスタークはにやりとした。
「おっと、私をどうするつもりだ。先ほど病をコントロールできると云ったはずだが。私は君たちが村に来る前から滞在していた。村人たち全員の体内にはすでにウイルスが侵入している。治すのも発病させるのも私の意のままだ」
「それがどうした?」とローランドは臆することなく云う。
「ちょっと待って下さい、ローランドさん」
僕は彼を制止した。村人たちの死体を踏み台にしてスタークを倒すことを狙っているはずだ。そんなことはさせられない。
動きをとめるローランド。それを見たスタークは、勝ち誇ったように云った。
「全員、溶かしてみせようか?」
僕は唇を噛み締めた。
この男を村に連れていけば苦しんでいる人々を助けられる。まだ生きていれば、おそらくカーメンも救えるはずだ。しかし……。
「みんな苦しめばいい。あの世に行って――」
スタークが両手を上げた。
「これで――」
村のあちらこちらから悲鳴が響き渡った。
この男は――まさか!
「させるかー!」
ハートネットが踏み出した。
「ダメだ。殺さないで!」
ハートネットが僕の叫びにピクリと反応した。
スタークはその一瞬を見逃さず、窓を突き破って外へ飛び出す。
ローランドとレオノールは彼を追った。
遅れまいと僕たちもそれに続く。
「大丈夫だ。ヤツを殺したりはしない」
窓から出る直前、ハートネットがそう云った。
大地に降り立つと、ローランドの鞭がスタークの左腕を捕らえていた。それを確認して僕は叫ぶ。
「さあ、みんなを元に戻せ」
スタークを睨みつけた。彼の顔が大きくゆがむ。
「そんなことするか! みんなだ、この世に存在するすべての人間をぼろぼろのごみくずにしてやる」
スタークは自由な右手で短剣を取り出すと、おもむろに自分の左腕を斬り落とした。
斬り口から勢いよく血がふき出す。
大気が赤い霧に包まれる。
その一粒一粒が肌にまとわりつく。
「終わりだ。君たちも、これで終わり。私の血なんだよ、感染源は」
スタークが大声を張り上げたとき、ローランドが動いた。
「スターク。お前の魂の声をきかせろ!」
その刹那、赤い霧を覆い隠すほどの緑色の粒子が広がった。
赤から緑へ、神秘的で清涼な景色へと変わる。
●
ケビンは突然グラスを落とした。
苦しげに咽喉をかきむしる。
「どうして、どうして? お兄ちゃん」
「な、なんだと。どういうことだ」
スタークはケビンの落としたグラスをじっと見つめた。これだ、これが原因だったのだ。毒は飲み物に混入されていたのではなかった。グラス。かならず誰かが口にするであろう、グラスに毒が盛られていたのだ。
「しっかりしろ! すぐ医者にみせてやる。だから死ぬんじゃない」
スタークはケビンを抱き起こした。
「いっしょに暮らすんじゃなかったの? どうして、お兄ちゃんが……こんなこと、を」
「俺じゃない。これはギミンが仕組んだ罠なんだ」
しかし、返事はなかった。もう、弟には、わずかな動きも見せなかった。
スタークはやるせない怒りに捕らわれた。
何のために両親の仇をとり、何のために弟を救ったのか。何のために手を汚したのか。
涙を押し殺し、ゆっくりと、ケビンをベッドに横たえた。
「お前を寂しがりさせやしないよ。お前はにぎやかなことが好きだったよな。孤独を嫌っていたよな。だから、お兄ちゃんも――」
スタークは床に落ちたグラスを拾い上げた。
中に僅かだが紅茶が残っている。
躊躇することなくそれを飲み干した。
咽喉が焼けるように熱くなった。うまく呼吸が出来ない。吐き気をもよおし頭が真っ白になっていく。
スタークはこの時、確実に死へと向かっていることを実感した。
●
僕は辺りを見まわした。
間違いなくローランドは誰かを生きかえらせた。それを確認するために周囲に気をくばる。
すると僕の眼に、一人の少年の影が映った。
少年はゆっくりとスタークの元へ近づいていった。
あの子だ。間違いない。あの子が復活したのだ。
スタークの眼も少年を捕らえた。
信じられない、というような表情を浮かべる。そして、少年に哀願するように涙を流した。
「お兄ちゃんを、許してくれ」
スタークはそう云うと、力なく崩れ落ちた。
「何人の人間をお前と同じように死者の国に送っても、満たされないことはわかっていた。いずれは私もお前の元へいくつもりだった。歪んだ信念だとわかっていたのだ。わかっていたのに。お兄ちゃんを……許してくれ。今まで寂しい想いをさせて悪かった」
スタークは大粒の涙を流しながら両腕を前に差し出した。
少年はスタークをまっすぐ見据えたまま、にっこりと微笑んだ。
「おお……ケビン」
いつのまにかレオノールがスタークの背後に立っていた。
音もなく忍び寄った彼女が剣を振り上げる。
「ダメだ! やめてくれー」
僕は彼女を止めようと走りかけた。
「やめろー!」
僕の願いもむなしく、レオノールの剣は、振り下ろされた。
つづく




