第三話 奇病 その6
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スタークは日が落ちるのを見計らって、ギミンの館に侵入した。
スタークは溺死、もしくは焼死したと思っていたのだろう、館の警備はかなり薄くなっていた。そのため、誰にも気づかれることなく侵入することが出来た。
館に入ると一直線に地下へ向かった。
目的は投獄されている弟のケビンの発見と救出。まだ生きている、という言葉を信じるならば、助けを待っているはずだ。否、ギミンの言葉を信じるしか心の平静を保てない。そう思うと、スタークの足は機敏になった。
長い螺旋階段を駆け下りると、鉄格子の扉が見えた。
その手前に牢の番人が木製の椅子に腰掛けていた。丸太のような腕をした大男だ。
スタークの存在に気づいた番人は、何事かと立ちあがった。
しかし、スタークは足を緩めることなく駆け下りると、剣を抜きさり両断した。倒れている番人から鍵を奪い、扉を開ける。
「ケビン、ケビン」
スタークは声を殺して呼びかけた。たいまつに火をともす。
「ケビン、いるか? お兄ちゃんだよ」
「お……兄ちゃん」
しばらくして弱々しい声が返ってきた。
いっさいの光も届かず、真冬の冷気が充満している。こんな所に幽閉されていたのか。
ケビンは角で丸くなっていた。
ガタガタと震えているように見えるのは、たいまつの揺れのせいか?
スタークは冷たくなった弟を抱き寄せた。
「遅くなってすまなかった。もうお前を一人にはしないよ。これからはお兄ちゃんが守ってあげる。だからもう心配しなくていいんだよ」
スタークは弟を館の出口まで連れてきた。
「ケビンは先に帰っていろ。お兄ちゃんは最後にすることがある」
「でも……」
すがりつく弟にスタークは優しく云った。
「大丈夫だよ。すぐ戻るから。すぐに」
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日が西に傾きかけたがハートネットを発見することは出来なかった。
もしかすると彼は人知れず村を出たのかもしれない。
空気感染の疑いがあったため、酒場は封鎖されたまま、その日の捜査は打ち切りとなった。
未知なる病に恐怖をおぼえながらも、ハートネット捜索による疲労のために、村中の人々は深い眠りに入っていった。
月明かりのもと、一つの悲鳴が上がるまでは……。
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宿屋の一室に黒山の人だかりが出来ていた。ニ〇五号室と書かれた扉はケインの借りている部屋だった。
「どうしたんですか?」
僕とローランドたちが駆けつけると、中にいたのはジュリアだった。
彼女はベッドの上にある肉隗を指差しながら震えていた。
「ケインが、ケインが発病したわ!」
場が騒然となった。
ここで僕は確信を得る。ハートネットはまだ近くにいるのだ。村の人々をじわじわ苦しめるために虎視眈々と狙っている。
再びハートネット捜索が開始された。
騒ぎを聞きつけたハファムは荷物も持たずに村を飛び出した。
いくらか落ち着きを取り戻したジュリアは捜索に参加した。
それから数分後、ハートネットは自分から姿を現した。
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スタークは血にまみれた剣をギミンの咽喉元に突き出した。
「最後に言い残すことはあるか?」
「くそ! 弱小貴族の分際で公爵の地位を得るなんて許せるか。何故お前たちがこの街を収める。本来なら俺たちの一族がなるはずだったんだ。お前ごときに、お前ごときに!」
「云うことはそれだけか」
スタークは剣先をゆっくりと咽喉に突き刺していった。
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中央にある噴水前にハートネットが立ち、村人の全員が彼を囲んでいた。
噴水から見下ろすメイシー神は運命のいたずらをあざ笑うかのような笑みを浮かべている。
人だかりを掻き分けるようにして僕たちは前に進み出た。
「どうしてこんなことをするのですか?」
ハートネットはぐるりと周囲を見渡すと、視線を僕に止めた。
「ノリエガ、君は一つ勘違いをしている」
「勘違い? それはどういう意味ですか」
ハートネットはメイシー神に負けない笑みを口元に浮かべた。
「それは、俺が犯人ではないということだ」
「しかし、お前には左腕に火傷の痕が……」
僕の代わりに問いただしたのは食堂のコックであるシーンだった。
「はははは。あれを間に受けたのか? 火傷の痕なんてものは俺のでっち上げだ。本当の犯人に傷があるかどうかなんてわかりゃしないさ」
「どうして……」
僕にはハートネットの狙いがわからなかった。
「それに答える前に……その女を取り押さえろ」
ハートネットの指差した先にはジュリアが立っていた。
「その女が犯人だ!」
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スタークはやるせない気持ちでいっぱいだった。
自分にとっては無意味な権力争いに巻き込まれた結果、両親を無くし、取り返しのつかない罪を犯した。失った代償はあまりにも大きかった。
早く帰ろう。そして、弟と共に街を出て、二人どこかで静かに暮らそう。
スタークは自分の屋敷に戻るとケビンを探した。彼は自分の部屋にいるだろう。冷えた身体を暖めるためベッドにもぐりこんでいるはずだ。
スタークは熱い紅茶をいれ、それを持って弟の部屋へ向かった。
使用人もすべて死に絶えているため、死の香りをたたえた静寂が屋敷を支配していた。
ここにいてはダメだ。翌日まで待てない、すぐに弟を連れて出て行こう。
ケビンの部屋の前までくると静かにノックした。
「ケビン、起きているか?」
「うん……お兄ちゃん」
頼りない声が返ってきた。扉を開けると弟が駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん、無事に帰ってきたんだね。僕、心配でずっと祈っていたんだ。よかった。本当に、よかった」
「ははは。約束したじゃないか。すぐに戻るって」
ケビンは涙を浮かべてスタークにしがみついている。
「さあ、これを飲んで落ち着いたら、すぐに街を出て新天地をめざすんだ。お兄ちゃんが一生お前の面倒を見てあげる。だから、もう何も心配しなくていいんだよ」
ケビンは大きくうなずくと湯気の立ちのぼるグラスを受け取った。
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「私じゃないわ。放してよ」
あばれるジュリアを村人たちが取り押さえた。
「どうして私が犯人だというの?」
皆の視線がハートネットへ移る。
「俺が食堂で説明したことには、虚構と真実が入り交じっていた。そうしなければならなかった理由は、まず誰が犯人かわからなかったからだ。だから俺は、あえて犯人の怒りを煽ったんだ」
「どういう意味ですか?」
僕の問いにハートネットは待っていたかのような表情を返した。
「俺が見てきた感想として、犯人はあきらかに快楽を求めている。自分の欲求を満たすために行く先々で凶行を繰り返していたんだよ。俺はその性格を逆手に取った。俺が犯人のふりをすれば、自分の神聖な行為を邪魔されたと怒りに震えると思ったんだ。旅人の数は俺を除いて八人。もちろん、君たちも頭数に入っていたよ」
そう云ってハートネットは僕たち三人を見た。
「俺のついた嘘の一つに空気感染があった。無関係の人物はそれを訊いたら混乱するが、犯人はもちろんそれを偽りだと知っているから驚きはしない。せいぜい驚いている振りをするだけだ。だから犯人は空気感染すると云われても村から出る必要はなかったんだ。旅人の内、出て行ったのは、サム、ハファム、ライトの三人。もし、ケインとジュリアも逃げていたら、俺は君たちを疑っていた」
ハートネットが再び視線を僕たちに投げかけた。
「村に残った旅人は二人、ケインとジュリア。俺は一人ずつに姿を現そうと思っていたんだよ。何故かというと、皆の眼があるところでは俺の姿を見たら驚いたふりをするからだ。しかし、回りに誰もいないとなると演技なんてする必要はない。俺はそれを狙っていたんだが、大きく予定が狂ってしまった」
「姿を見せる前にケインが発病した、というわけですね」
「そのとおり」
ハートネットが僕にうなずいた。
「犯人は今回かなりの欲求不満に陥っているはずだ。だから村からは出ない。いたぶり、ひとりひとり殺して行き、最後には俺を狙うだろうと予測していた。そういう静かな殺意を抱いているのは誰か? 最後に残った旅人は、ジュリア、君だ! 君が、奇病をあやつる能力を持った異常殺人鬼だよ」
皆の視線がハートネットからジュリアへと移動した。
「ちょっと待ってよ。あんたが自分を犯人からはずそうとしてこんな手のこんだやりかたをしているんじゃないの? あんたが犯人ではないという証拠はどこにあるのよ」
ジュリアが眉を寄せて叫んだ。
確かにその通りだ。彼が犯人の可能性は消えたわけではない。
僕は助けを求めるようにローランドの顔をうかがった。
あいかわらずの仏頂面をしている。その表情から真意を導き出すのは困難だった。
「どうしたの? 反論できないじゃないの」
ジュリアは抑えつけられている両腕を振り払おうと暴れたが、村人たちはそれを許さない。
「彼は犯人じゃないわ!」
その時、噴水の反対側から女性の声がした。
ゆっくりと姿を見せたのはアリソンだった。
「違うですって、証拠はあるの? 証拠は」
アリソンは中央に進み出て、ハートネットの前で立ち止まった。
「彼は私の家に隠れていたわ。手には村長の家族の写真が握られていたの」
「だからどうしたっていうのよ」
アリソンは悲痛な表情になった。
「ハートネットは写真を見て泣いていたの。孫にかこまれ、幸せそうに笑っている村長を見て、泣いていたのよ」
「……」
「他人の為に泣ける男を信じられないと云うの? それを疑うことが出来るの?」
誰もが言葉を失った。
見ず知らずの者のために涙を流せるだろうか。いいや、僕には無理だ。知人のためならいざ知らず、他人のためには……。
「でも、でも私も犯人ではないの。私は若いうちにいろいろな所を旅して回りたかっただけなのよ。ただそれだけなの。私は、私は犯人じゃ……な……いいイイイイイ」
突然ジュリアが苦しみ出した。
ゴボゴボと泡の入り交じった血を吐き出す。
「ひいい」
「こ、こいつも感染しているぞ」
ジュリアを取り押さえていた男たちが悲鳴をあげて彼女を解放した。
ジュリアは苦しそうにその場へ崩れ落ちた。
「どういうことだ! 彼女が犯人ではないのか」ハートネットが信じられないというような声を出した。「ノリエガ。お前たちが犯人なのか?」
「そんなことあるわけないじゃないか」僕は反論する。
「じゃあ、誰だ……」
騒然となる現場をローランドとレオノールが去ろうとしていた。
「どこへ行くんだ」
それをハートネットが咎める。
「云ったはずだ。探偵ごっこに付き合っている暇はない、とな。俺は犯人のところへ行く。やつは宿屋にいる」
つづく




