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第三話 奇病 その5

    5


 スタークは細身の剣を手にして宿屋のドアを開けた。

 彼の探している者たちは、一番奥のテーブルを囲んでいた。酒を片手に談笑しているのが見える。

 スタークは弾む息をこらえ、大股に彼らの元へと歩き出した。

 剣に眼を止めた店員が注意するが、それを振り払う。

 スタークが目的の場所まで来ると、男たちは一斉に顔をあげた。

 五人。

「何だ、スタークじゃないか。お前も座れよ。おいおい、そんな物騒なものしまえよ」

 リーダー格の男が気さくに話しかけてきた。

 そうだ! そうだ! と他の四人も笑顔で迎える。

 スタークは困惑した。

「違うのか?」

「ん?」

「ギミン……お前たちではないのか?」

「何のことだ?」

「……いや、いい」

 スタークは肩を落として酒場を後にした。

 これでわからなくなってしまった。

 彼らの親か。いや、保守的な大人たちが、あんなことを出来るわけがない。

 じゃあ、いったい誰が……。

 空を見上げると、雪が一粒頬に落ちてきた。

 もう雪の季節か。

 月明かりに照らされた雪はまばゆいほどの銀色をしていた。

 スタークの脳裏に弟が雪人形を作っている姿がよぎった。無邪気に笑顔を振り撒く弟。

 スタークのほころんでいた顔が引き締まった。

 とりあえず一度戻って体制を立て直そう。それに着るものがいる。弟を見つけても、手ぶらじゃあ仕方がない。きっと今ごろ凍えているだろう。あたたかくしてやらないとかわいそうだ。

 やがて街の西端にあるセントラルローレンス川に差し掛かった。

 この川には弟の好きなバーバという青い遊魚がいる。寒くなると川下のほうへ移動するので、そろそろ鑑賞できなくなるな、と一瞬考えた。

 橋の長さは十メートルほどあり、その中ほどに来るとスタークはふいに足を止めた。

 風に異臭がまじっていたのだ。

 北から吹きつける風は、潮の香りをほのかに運んでくる。その中に刺激臭があるのだ。今までこんなことは経験したことがない。

 スタークは眉をしかめたまま風上を見つめた。

 次第に刺激臭が強くなってくる。

 何処かで嗅いだことのある臭い。

 はっとしてスタークはその正体を思い出した。そして、恐る恐る水面を見下ろした。

 水面を黒い膜のようなものが覆っている。

 その刹那、何処からか火矢が放たれ、辺り一面火の海と化した。

「まさか生きていたとわ思わなかったよ。お前が酒場に来たときは正直あせったね。だけど、これで今度こそ終わりだ」

 声のしたほうを見ると、橋の手前に男が二人立っていた。

 反対側を見ると、そこには三人。完全に包囲されている。

「やっぱりお前だったのか、ギミン!」

「ああ、そうだよ。お前が邪魔だったから」

「弟は何処にいる?」

「心配するなよ。今はまだ生きている。まあ雪が降ったから地下牢で凍えているだろうけど。まあ、すぐにお前の後を追うことになるけどね」

 ギミンはクックッと嫌な笑い声を発した。

「お前たち一族は一人も生かしておかない。さようなら、スターク」

 ギミンが右手を上げると、他の四人が一斉に弓を構えた。

「弟に言い残すことは?」

「ああ、あるとも。かならず助け出してやるとな――」

 スタークは駆け出した。

 橋の出口にではない。そのまま手すりを乗り越えて炎の中へ。

 四人が弓を下に向けたとき、辺りにはごうごうという炎の音だけがひびきわたっていた。


     ●


 室内には張り詰めた空気が充満していた。

 すべての人間の視線が一人の男にそそがれていた。ハートネットへと。

「死ぬとはどういう意味だ!」

 サムは興奮しすぎて肌が赤く変色している。

「言葉のとおりだよ」

「だけど、僕は水を飲んでいない。大丈夫なはずじゃ……」

 ハファムは今にも泣き出しそうな顔をして云った。

 それを訊いたハートネットは嫌味な笑みを浮かべた。

「おいおい、それを本気で信じていたのかい。実はね、この病気は水を取らなくても感染するんだよ」

「どういうことだ」と、今度はケイン。

「気づかないのかな? もうみんな感染しているんだけど」

 ま、まさか。この病気は……。

 僕は言葉を失った。

 いや、僕だけじゃない。どうやら全員気づいたようだ。

「気づいたようだね。そう、空気感染だよ」

「いやあー!」

「ああ……」

「何だと!」

 その場へ膝をつくもの、頭を抱えるもの、憤慨するものと、室内は異様な空気に包まれた。

「それともう一つ云わなくちゃならないことがあるんだけど。この病気は俺の意のままに操れるんだ。発病させるのも治すのもね」

「どうして……いったい、どうしてこんなことを」

 僕は前に進み出た。

「ハートネット。僕は君のことを信じていたのに。どうしてなんだ!」

 彼は一瞬哀しそうな表情を見せた。いや、それは気のせいかもしれない。もう何が真実で何が偽りなのか、わからない。

 ハートネットは意を決したように立ちあがると窓のほうへ駆け出した。

「どいてくれ、ローランド」

 ハートネットは窓を塞ぐようにして立っていたローランドに向かって叫んだ。

 ローランドは何も云わず、ゆっくりと道を開けた。

 はげしい破壊音とともにハートネットは窓を突き破って外へ踊り出た。

 その直後、ハートネットは振りかえり、室内を覗きこんだ。

「俺の能力の範囲外に出れば助かるかもしれないよ。さあ、君たちはどうするかな」

 それだけ云うと、ハートネットは姿を消した。


     ●


「それは、本当か?」

 村の入り口を封鎖した村人たちの叫び声が木霊した。彼らの表情はこわばっている。

 それに気づいたアリソンは彼らの元へ駆け寄った。

「どうしたの?」

 彼女に気づいた男たちは振り向いた。

「おお、アリソンちゃん。コックのシーンが持ってきた情報だけど。どうやら犯人はあのハートネットという男だそうだ。それに病気は飲み物からじゃなくて、空気感染だというんだよ」

「そうですか……」

 アリソンは決意を込めた瞳で村を見つめた。


     ●


 筋肉隆々の中年男性サムと科学者風の男ライトが血相を変えて食堂を飛び出して行った。

 弱々しい若者ハファムはその場でうずくまり、これからどうすればいいのかわからないという様子で辺りを見まわしている。

 貴族風の男ケインは何とか気品を保とうと威風堂々としている。

 ジュリアはそんな彼を誘惑しようと、ケインの側を離れようとしない。

 ハファムはローランドと僕を交互に見た。

「ぼ、僕はいったいどうすればいいのでしょうか? ハートネットの云った通り、彼の能力範囲外まで逃げたほうがいいのか、それとも抵抗を止めて哀願したほうがいいのか」

 これに答えたのはケインだった。

「よく考えてみたまえ、君。無数の死者を出した彼が、わざわざ助かる方法を教えるものか。これは罠に決まっている。逃げようとすれば逆に狙われる。だからおとなしくしていたほうがいい」

「さすがケイン。あなたは天才だわ」

 ジュリアがケインの腕にしがみついた。

 とにかく僕はハートネットを見つけなければならない。

「真実は謎のままだ。お前たちの好きにするがいい」

 今まで黙っていたローランドが口を開いた。

「一つ云えることは、かならず犯人を見つけ出す、ということだけだ」

 ハファム、ケインとジュリアは交互に顔を見合わせた。

「行くぞ、ノリエガ」

 そう云ってローランドは、レオノールを従えて宿屋をあとにした。


      ●


 僕たちは村人たちへの訊きこみを開始した。

 どうやらハートネットは村からは出ていないらしい。まだ何処かに潜伏しているようだ。

 旅人のサムとライトは荷物を抱えて逃げていったのを村人たちが確認している。

 無事にハートネットの能力範囲外まで逃げられたのか知るすべはない。

 探索もむなしくハートネットを見つけることは出来なかった。しかし、村の何処かにいることは間違いない。根気よく探すしかないだろう。

 ここで僕はローランドに云わなくてはならないことがあった。彼の性格上、どうしても云わなくてはならないことが。

「ローランドさん。ハートネットを見つけたらどうするつもりですか?」

 ちらりと僕のほうを見た。

「決まっている。障害となるものはすべて排除する」

 やはり。

「それは少し待ってもらえないでしょうか。気づいていると思いますが、僕の村もここと同じ病に犯されています。すでに死んだ者もいますが、生きている者もいます。ハートネットを連れていけば、病を治すことが出来ると思うのです。だから、お願いします」

「説得する、というのか?」

「そうです。何とかします」

 ローランドは哀しそうな視線を返すだけでそれ以上は何も云わなかった。


     ●


 宿屋の一室で女が腰をくねらせて、一人の男にせまっていた。

 女は近づくにつれて衣服を一枚一枚脱いでいく。

「ねえ、わたし怖いの。いつ病に犯されるか心配なの。だからすべてを忘れさせて」

「そんなにあの病気が怖いのかい? ジュリア」

「ええ、恐ろしいわ。わたしの美貌が見るも無残に変わり果てるのが怖いの。あなたは怖くないの? ケイン」

 ケインはにやりとして見せた。

「ふふ。どう思う?」

「ああ、あなたは立派だわ。ケイン」

 二つの影が一つにかさなり合った。


     ●


 村の東の一角に、木造で建てられた特に眼を引くこともないありふれた家がある。

 硬く閉ざされた家にアリソンが人知れず入って行った。

 中は薄暗いにもかかわらず、彼女は光を入れようとしない。いそいそと寝室へ向かうと、ゆっくりと扉を開けた。

 部屋の右奥に木造のベッドがあり、その上に一人の男が腰を下ろしていた。

 来客に気づいた男は、音も立てずに顔を上げ、ニコリとして見せた。


つづく

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