第三話 奇病 その4
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宿屋の前にはローランドとレオノールが誰も出てこないように眼を光らせていた。
僕は彼らの隣まで行くと様子を尋ねた。
「ローランドさん、逃げ出そうとする人はいましたか?」
「今のところはいない。だが、荷造りはそろそろ終わりそうだがな」
ローランドの予言通り、一人の気弱そうな若い男性が慌てて宿屋から飛び出してきた。
「あんたたちは只者ではないとお見受けしたが」レオノールの側に立ったハートネットが、ローランドに兆発的な顔を見せた。「いったいどうやって彼を宿屋へと戻すつもりだい?」
ローランドは相変わらずな冷ややかさで答えた。
「何もしないさ。ただ、彼女が踊るだけだ」
その時、レオノールが舞った。
両腕を天に伸ばし、むくわれない魂を癒すかのように揺れている。身体は上下してキモノが優しく舞う。
彼女の踊りを見ていると、再び感情が揺さぶられた。胸が切なくなる。彼女は哀しみに捕らわれた魂を必死に癒そうとしている。しかし、魂の数のなんと多いことか。だけど彼女は諦めない。魂の一つでも多く天に返らせようと癒しはつづく。
僕の胸がさらに苦しくなった。
大戦で死んでいった魂。こんなにもたくさん。
僕の頬に涙がつたっていた。僕だけではない。宿屋から出てきた男。それにハートネットでさえ泣かずにはいられなかった。ただ、ローランドを除いて。
しばらくのち、旅人の若者は肩を大きく落として戻っていった。
それからレオノールの舞いは、音もなく終わった。
「いったい、何だ、これは……」
ハートネットは自分の心に必死の抵抗をしてそう言葉をついた。
「人の心を操る……か。やはり俺の眼に狂いはなかった。あんたたちから並々ならぬ気を感じていたから」
ローランドは答えない。
「恐ろしい能力だよ。まったく」
そう、確かに恐ろしい。人の感情を刺激して、意のままに操る。
これを逃れるには眼をつぶすか、心をなくすしかない。
それからは宿屋を出てくるものの姿はなかった。やがて、事件の決着を見逃すまいと、好奇心旺盛な太陽が顔を出した。さあ、どうやって解決するのだ、と挑戦的だ。
「どうやって犯人を見つけるのだ?」
太陽の心を見透かしたかのように、ローランドが尋ねた。
「もう旅人全員には飲み物が危険だということは知れ渡っている。誰も口にはしないだろう。その中から犯人を割り出すには、こちらから罠を仕掛けるしかない。まあ、見ててくれ」
そう云ったハートネットの口元には自信にあふれた笑みが浮かんでいた。
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「おい、いったいどうなっているんだ」
「俺たちは関係ない。出してくれ」
「君たちにどんな権限があって、僕たちを拘束しているんだ」
宿屋の中にある食堂へみんなを集めると、案の定、罵声を浴びせ掛けられた。
旅人は計五人。
筋肉隆々の中年男性。名はサム。
遺跡学者風の痩せた男。名はライト。
上流階級を思わせる若者。名はケイン。
遊び人風の若い女性。名はジュリア。
そして最後に、昨夜レオノールの術に掛かった気弱そうな若者。名はハファム。こちらは一晩中泣いていたのだろう。彼の眼は真っ赤に充血している。
「こんな村に長居していたら、私たちもあの病気に犯されるわ。どうして出さないのか、理由を教えてくれるかしら?」
旅人の一人ジュリアが、食堂に設置されている鏡を前に、髪型を気にしながら質問した。
他の四人がその意見にうなずく。
僕は窓際に立つローランドとレオノールを交互に見た。ローランドは何も云わず瞳を閉じている。レオノールはというと、短剣を片手でくるくるともてあそんでいる。
「俺は今までにこの病気のせいで滅びた町や村をいくつか見てきた。最初はただの奇病だと思っていたが、どうもそうではないらしい」
ハートネットの言葉に学者風の男、ライトが口を挟んだ。
「ということは、これは誰かが仕組んだことなのですか?」
「そう……なるな」
「ち、いったいどこのどいつが」
たくましい中年男性サムがテーブルを叩いた。
「犯人の目的は? こんなことをして何をしようとしているのですか」と、心配そうな表情で気品を兼ね備えた男ケインが云った。
ハートネットが記憶をたどるように瞳を閉じた。
「初めてこれを眼にしたのは、俺が滞在している町で突然、発生した。町中がパニックになったよ。もちろん俺もな。俺は怖くなって逃げた。それから風の便りにその町が全滅したことを知った。二度目は、訪れた村はすでに病気が蔓延していた。怖くなった俺は、その村には立ち寄らなかった。その後、その村がどうなったかは知らない。最後にこの病気を見たのは……確か、フェニックスという村だったか。そこでも俺の滞在中に病気が発生した」
フェニックスという言葉を訊いて、僕は動揺した。それは、僕の故郷だからだ。
この時、ローランドが薄目を開けたのに、僕は気づくすべはなかった。
「このころには俺もいくぶん落ち着いていたよ。何とか原因を探ろうとあちらこちらを尋ねて回った。そして、ある奇妙な光景を目撃した」
食堂にいる全員が固唾を飲んで沈黙していた。聞き耳を立てている食堂の店員たちも同様だった。コックの名は確か、シーンと云ったか。
しかし、この中に演技をしている人がいる。それを思うと僕は怒りを抑えるのにひどく苦労した。
「フェニックス村は、飲料水を確保するために、隣の山から流れる川水を利用していたのだが」
ワッツ川だ。年に一回、雨季の前にお祭りがある。カーメンと親しくなったきっかけを作ってくれた川。
「ある日の夜、俺は上流で不審者を発見した。何をしているのかと質問しようとすると、そいつは逃げ出した。追跡したがダメだった。翌日、俺は村の長老に不審者の特徴を尋ねた。
『左上腕に大きな火傷を負った人物』
老人はこう云ったね。村人にそんな人物はいない。おそらく旅人だ、と」
室内にざわめきが起こった。
「その後、旅人を洗ったよ。しかし、もう逃げたあとだったけどね」
「おい、てめえ。俺の腕を見ろ。傷はない。だから俺は関係ねえ。この村から出るぞ」
「わ、私もよ」
「僕も」
サムに続き、他の者も腕を捲り上げた。
僕は五人の腕を凝視した。この中に犯人がいる。この中にカーメンの仇がいる。
しかし、五人の左腕を確認すると、僕は大きく落胆した。
五人とも火傷の跡がなかったのだ。
「どういうことだ」
ローランドが冷静さを保ったまま、ハートネットに訊いた。
「……」
彼は口元に微笑を浮かべたまま答えない。
「あなたたちも旅人ですよね?」
気品のある若者、ケインが突然言葉を発した。動作もどこか優雅だ。
ジュリアが艶っぽい眼で彼を見つめている。
「そうだよ。君たちも旅人なら左腕を見せてくれ」
学者風の男、ライトが前に乗り出した。こちらは明らかに神経質そうだ。
「君たちの中に犯人がいないとも限らないじゃないか」
ハートネットが両手を広げて答えた。
「ま、そうかもしれないな」
僕は前に出るとおもむろに左腕をまくった。
五人が確認すると皆うなずいた。
「そこのデカイのはどうなんだ?」
サムが挑戦的な態度を示した。
ローランドは指名されたが答えない。
「ローランドさん……」
僕は心配した。もちろん、彼が犯人だと疑っているわけではない。彼の表情が怒りをおびてきたからだ。このまま放置すると危険だ。もちろん、旅人たちのほうだが……。
「俺はこんな探偵ごっこに付き合っている暇はない」
「なんだと!」サムが息巻いた。
「あなたを、犯人だと思ってもいいんですね?」
ケインがそれに続く。
ローランドの口元がつりあがる。
「ふん。ここにいる誰かが犯人だとしたら、その誰かがわからない以上、俺は全員を叩きのめしてもいいんだ。五分の一、いや、六分の一で犯人が確定するからな」
ローランドはハートネットも頭数に入れているようだ。
そのことにハートネットは動じた様子はない。
「このやろう」
サムは腕っ節に自信があるのだろう。テーブルを叩くと、勢いよく立ちあがった。
「待って下さい」
止めなければ、危ない。もちろん、サムのほうだ。
レオノールが微かに動いた。
ローランドはやる気だ。僕はそう確信した。
「みんな、落ちつけ。これを見てくれよ」
場の空気を変えたのはハートネットだった。
彼は左腕をまくっている。
先ほどとは打って変わって、静寂が訪れた。
ハートネットの腕に大きな傷があった。
黒ずんでいて大きく腫れている。
火傷跡だ。
「お前かあー!」
サムの怒りの矛先がハートネットに変わった。
しかし、僕は信じられなかった。人のいいハートネットが犯人のはずはない。彼がこんな残酷なことをするはずがない。
僕の信頼は、ハートネットの発した言葉でもろくも崩れ去った。
「死にたくなかったら動くな!」
室内は凍りついた。
つづく




