第三話 奇病 その2
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いつのまにか眠りについていた僕を起こしたのは、小さな音だった。
働かない脳で聞いていたため、扉を叩く音だと気づくのに少し時間がかかった。
「は、はい」
僕は慌てて飛び起きた。
「俺たちは少し用事があるから行ってくる。ノリエガ、寝ていたのか?」
扉越しに聞こえてきたのはローランドの声だった。
「あ、いえ。ちょっと考え事を――」
「そうか」
それから足音が二つ遠ざかっていった。
再び眠りにつこうとするが、高鳴る不安と鼓動により、それは無理だと悟った。
軽く身支度をすませると部屋をあとにした。目的地は酒場だった。
夜の冷え込みは僕の心に嘆きを浴びせ掛ける。
カーメンとどれくらい星を眺めただろう。
あのときは星の輝きが永遠につづくものだと思っていた。しかし、頭上に広がる星ぼしは暗く燻っている。
なんと残酷な夜なのだろう。
あの日みた星空は、もう何所にも存在しない。
酒場につくと小さな活気にみちていた。
客が十数人みえる。何人かは垢抜けた格好や鎧に身を包んだ人物もいる。この中にもネクロマンサー捜索任務についている者もいるのかもしれない。油断大敵。用心してしすぎることはない。
僕は全体がみわたせるようにカウンターのはじに座った。
女店員にチャスマン酒を注文すると、店内にいる客を観察した。
人生の苦しみを皺に浮かべた中年の男。これから希望にみちた人生を迎える若い男。優しい中にもきびしさを兼ね備えた瞳をした女性。そんな中に一人だけ僕の眼を捕らえた人物がいた。
律儀そうなまっすぐな瞳。栗色の短く刈り上げられた頭髪は、日に焼けた素肌を強調させている。
僕は彼を知っていた。いや、ここにいる全員が彼を知っているだろう。
彼は僕の視線に気づくと、テーブルに立てかけてあった一振りの大剣を持ち上げて腰をあげた。
鞘には巨大な鳥の紋章が彫られており、妖しい赤茶色の光を放っている。大剣ホッジ。間違いない。
「この村で休息ですか? ハートネット」
僕の隣にどっかりと腰をおろした彼にそう尋ねた。
「まあ、そんなところだよ」
千剣ハートネット。先の大戦で名を轟かせた戦士だ。
彼の戦いぶりから千の剣を持つ男という異名をつけられたのだが、僕は実際に眼にしたことはない。
彼をニール城の広場で見かけたので、捜索任務についていることは知っていた。知っていたが、こんなところで出会うとは思ってもいなかった。しかし、穏やかな気を放っている。ここでやるつもりはないのだろう、少なくとも、ここでは……。
ハートネットは女店員に僕と同じチャスマン酒を注文した。グラスをかわしてから、彼は云った。
「君がネクロマンサー捜索隊のものだってすぐにわかったよ。実は行き詰まっていてね。まさかネクロマンサーに関する情報がここまで少ないとは思ってもいなかったんだ」
ハートネットはそこで、運ばれてきたチャスマン酒をくちに大きく含み、半分ほど減らせた。
おそらく彼の口の中は酷のあるにがみが広がっているだろう。チャスマン酒はチャスマンの果汁百パーセントのお酒だ。アルコールを含んだ不思議な果物。その味は、苦い中にも濃厚なうまみがそなわっている。
「ところで君の名前は?」
「あ、失礼。ノリエガです」
僕たちはお互い手を握り合った。
「ノリエガたちは何かいい情報を手に入れたのかい?」
「いや。こちらも情報不足で」
「ふむ」
ハートネットは再び一口飲んだ。
「ここの村長のように、ネクロマンサー・ラースの恩恵を受けた人物はいても、とうの彼らは知らぬ存ぜぬの一点張り。いいかげん辟易してきたよ」
「へえ、知らなかった」
僕はふと思った。
もしかしたらローランドたちは村長を訪ねているのだろう。彼はラースを知っている。その縁で何かしらの情報を得ようとしているのか。それとも僕が及びもしない理由で会っているのか。
そう考えると、僕はチャスマン酒を一気に飲み干した。
それを見たハートネットが大声を張り上げて僕の肩をたたいた。
「いい飲みっぷりだねえ。まあ、酒か女がなけりゃやってられないからな。俺なんか振られたばっかりだから――」
そう云って彼は、背が高く細みの女店員を親指で指して示した。
「今日は朝まで飲むしかないってわけだよ」
「朝までは無理だとしても、僕でいいんだったらもう少しだけ付き合いますよ」
僕はラッシュ・ケインを注文した。
これはラッシュ果とケイン酒を水で割って飲む酒だ。ラッシュ果の強烈な酸味を楽しむ通好みの一品。その代償はこのあとの記憶を失うことだが……。
ハートネットは、いいねえ、と叫んでチャスマン酒を飲み干すと、僕と同じものを注文した。
しばらくすると、ラッシュ・ケインがニ杯並べられた。
「奇妙でいて運命的な出会いに」
「呪われた任務に」
僕たちはグラスを持ち、あらためて乾杯することにした。
そのとき――。
酒場の扉が乱雑に、勢いよく音を立てて開けられた。
酒場にいた全員の視線がそこへ集中する。
外からヨタヨタとした足取りで入ってきた人物は、皆の呼吸を一瞬とめるのに十分なインパクトを持っていた。
彼――おそらく男だ――は何とも形容しがたい外見をしていた。
皮膚という皮膚は大きく腫れあがり、身体のいたるところから黄色とも水色ともいえない汁が滴り落ちている。また、彼から発せられる臭気は、吐き気をもよおさせ、見るものの顔面を蒼白にさせた。
店内から一斉に悲鳴や叫喚が巻き起こった。
しかし、僕は知っていた。
彼の状態は、カーメンたちと同じ症状だ。
遠く離れたこの地にも、あの病が発生したのだ。
僕はからからに乾燥した咽喉を潤そうと、手に持っていたラッシュ・ケインを飲もうとした。
「ダメだ!」
ハートネットは叫ぶと同時に僕のグラスをはたいた。
そして、小さく呟いた。
「まさか、ここでも始まったのか……」
ハートネットの顔色は酒場にいる誰よりも青ざめていた。
つづく




