第二話 暗黒暴走 その8
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治療を受ける母親の手を、クリフは心配そうに握り締めていた。
それを見やると僕はにっこりと微笑んだ。
「心配することはないよ。血は完全に止まっているから。それに、もう間もなくお医者さんも来るそうだから」
クリフは立ち直った、さらに強くなって。彼なら家族をしっかりと守っていけるだろう。
ふいに僕の肩に手が置かれた。
「よくがんばったな」
見上げると、それはソレンだった。彼らニール軍が僕たちを助けてくれたのだった。
「あ、ありがとうございました、ソレンさん。何とお礼を云っていいか」
ソレンは例の細い眼をさらに細めて笑顔を返した。
「何を云っている。俺たちは何もしちゃいない。お前たちがヤツを食い止めたから、被害が少なくてすんだのだ」
僕は顔を赤らめた。
「ところで、彼らも君の仲間なのかな?」
ソレンの視線はローランドたちを指し示した。
「はい、そうです」
ソファに腰掛けるローランドたちを、それぞれ紹介した。
「近衛騎士隊隊長ソレンです」
ソレンは近づき、手を差し出した。
しかし、ローランンドは仏頂面のまま手を出そうとしない。あわてて僕が割って入った。
「すみません。彼はかなりシャイなものですから。気を悪くしないでください」
ソレンはにやりとして見せた。
「いや、いいよ。それより俺たちは引き続き黒い騎士の捜索を行う。あらためて礼を云わせてもらうよ」
彼は振りかえると右手を上げ寝室を出て行った。
僕はソレンを見送ると、ローランドをねめつけた。
「失礼じゃないですか」
「ふん。俺はニール軍が嫌いだからな」
「確かに近衛騎士隊は絶対的権力を持っていて、それを乱用する者もいます。でも、彼はそうではありません」
「……」
表情を変えないローランドを説得するのはあきらめて、話題を変えた。
「暗黒騎士はまた僕たちの前に姿をあらわすでしょうか……。そして、そのとき僕たちは勝てるのでしょうか」
ローランドがようやっと表情を変えた。
「怖いのか?」
「怖くない――と云えば嘘になります。でも、それ以上にくやしいのです。今回はクリフくんに助けられたようなものです。あんな年端もいかない少年に助けられたのですよ」
「結果的にはそうだったかもしれない。だが、ヤツには負けんよ」
「でも、騎士にはネクロマンサーの能力が通用しなかったじゃないですか」
「ふん。確かにな。しかし、あれは必然だ。俺の予想が正しければ、次はそうはいかない。次はヤツを倒す」
ローランドは自信にみちた表情をしている。この戦いで何かつかんだのか。暗黒騎士の弱点を見つけたのか。それは解からない。でも、今は信じることにした。
「おや?」
僕の視線にローランドの持つものが飛びこんできた。
「それは、もしかして――」
ローランドが微笑を浮かべて皮袋を上げた。
「ふん、今回の戦利品だよ」
●
女性はベッドの上でいくつもの汗を額に浮かばせていた。汗はランプの光を吸収して宝石のように輝いている。
濡れたタオルでそれを拭う子供たちがいた。
クリフとユマだ。
彼らは何度もはげましの言葉を母親に投げかけている。女性の意識はなく返事はないが、それでもあきらめずに言葉をかけつづけている。
僕たちはゆっくりと、女性を起こさないようにして部屋の中へ足を踏み入れた。
「お母さんは大丈夫だよ。助かるそうだから。心配しないで」
少年たちは振り返り、腫らした眼をこちらに向けた。
「本当に?」
「うん、本当だよ」
僕はクリフの頭を優しくなでた。それを見たユマがにっこりとする。
「よかったね。お兄ちゃん」
少年たちはお互いに抱き合った。心から心配する優しい子どもたち。僕はこの家族なら、きっとどんな困難も乗り越えられるだろう、そう確信した。
「よくやったよクリフ。君のおかげで僕たちも助かった。ありがとう」
少年は満面の笑みを浮かべた。
「僕は誓ったんだ。お母さんとユマは僕が守る。僕が二人の盾になるんだって」
クリフは妹と母親を交互に見た。
ふいにローランドが口を開いた。
「子供、これだけは云っておく。勇気と無謀は間違った認識を持ちやすい。今回のは、無謀だ。お前が死んだら誰が二人を守るんだ?」
少年の顔が曇った。
僕はローランドを止めようとした、が、彼は続けた。
「だから、強くなれ。誰にも負けないよう。愛する者を守れるだけの力を手に入れろ。だけどこれだけは忘れるな。愛する者のために、強くなるんだ。決して自分のためではない」
クリフは顔を上げた。
その表情には決意にも似たものが浮きぼられていた。
「それと、俺からも礼を云う。よくやったなクリフ」
ローランドの顔にはわずかだが、おだやかな笑みが見てとれた。
●
壁の上部に明かり取り窓が一つあった。しかし、月明かりも入らないほど高くガラクタが積み上げられていた。そのため、室内はどんよりと闇に覆われていた。
そのガラクタの上に一人の騎士が立っていた。
騎士の鎧は、闇に溶けこむかのような色をしていて、外界との遮断を目的としているかのように肌をすべて覆い隠していた。頭部もしかり。しかし、赤く光る双眸だけは、光輝いている。
暗黒騎士パプケウィッツだった。
彼は両手を広げ、天をあおいでいる。
そんな彼を見上げる一人の騎士がいた。
彼の鎧は暗黒騎士と対照的にすべてが純白色だった。
暗黒騎士の邪念を追い払うかのように、彼は聖なる輝きを放っている。
「いったい、何をやっているのだ?」
純白の騎士が上空を見上げながら尋ねた。
「感謝しているのさ」
「感謝?」
「そう」
暗黒騎士は顔を下ろした。
「至福の快楽を与えてくださったメイジー神に対してね」
純白の騎士は理解に苦しむかのように首を横にふった。
「ところで、彼らの力はどうだった?」
「彼ら……ねえ」
暗黒騎士の眼がさらに妖しく光った。地獄の業火のように赤い輝き。彼の本当の眼なのか、それとも兜が放つ色なのかは判断がつかない。
「とても、おもしろかったよ」
そう云うと、暗黒騎士は飛び降りた。
ふわりとゆるやかに降り立つ。全身を覆う重装備にもかかわらず物音ひとつ立たない。
「実はね――」
暗黒騎士はゆっくりと近づいて男に耳打ちした。
「何! それは本当か?」
「男のほうは最後に奇妙なことをしたけど、それが何なのかはわからない。少なくとも、女に関しては間違いないよ」
純白の騎士はプルプルと震えた。
「ははは。おもしろい。実におもしろい」
暗黒騎士はその笑い声が不愉快だといいたげに言葉を発した。
「ネクロマンサー捜索の任務って、今からでも参加できるのかな?」
純白の騎士はそれを訊いてさらに笑った。
すべては彼の思惑通りに流れている。これを笑わずにいられようか。
純白の騎士は切れ長の眼をさらに細めて、暗黒騎士を見つめた。
「もちろんだとも」
●
僕たちは早朝の便で出発した。
クリフとユマは寝ずの看病をしていて、僕は彼らにペリノーのスープを作ってあげた。そして、旅が終わったらまた遊びにくると約束した。
母親の容態が安定するまで滞在しようかとも思ったが、クリフがそれを断ったのだ。
船上で僕は走馬灯のようにさまざまなことを思い出していた。
哀しみに捕らわれ、盲目となっていた女王ファイルーザ。愛につつまれ死んでいったエリシャ。呪われた暗黒騎士パプケウィッツ。ネクロマンサー・ラースを知る謎の女性サニエ。カーメン。そして、ネクロマンサー・ローランドと謎の美女レオノール。
いろいろなことがあったが、これからはさらなる困難と出会うだろう。
なぜなら僕たちはいまだに紛争の続く東の大陸に渡るのだから。
そう……東へ。
つづく




