第二話 暗黒暴走 その7
7
昼間はあんなに賑わっていた通りも、今は虫の音が響くほど静まりかえっていた。
道の真ん中に黒い亡霊のような影が浮かんでいる。
僕とローランドとレオノールは外に飛び出した。
雲に隠れていた月が顔を覗かせたとき、僕たちの前に亡霊の正体を浮かびあがらせた。
「やあ、よく出てきたね。来なかったら、無関係な者もみんな殺すつもりだったよ」
暗黒騎士パプケウィッツ――彼だ。
「いったい何のようだ?」
ローランドの問いにパプケウィッツはケタケタと笑った。
「怖がらないでよ。ひとつ訊きたいことがあるんだけど。君たち三人は紅玉を持っているの?」
紅玉?
「持っているが。お前も捜索隊のメンバーなのか?」とローランドが答える。
騎士がまたしても笑った。
「いいや、違うよ」
僕はやきもきして割って入った。
「じゃあ、何で僕たちに会いにきた?」
騎士の赤い瞳が僕を捉えた。
「まだわからないの? 馬鹿だなあ。決まっているじゃん、依頼だよ、依頼。だからこうやって来たわけさ」
依頼? いったい誰が?
「さあ、見せてもらおうかな」
騎士が両手を広げた。
また、あの黒い影か。また、多くの犠牲者を出すのか。許せない。
「君たちの無力さを――」
今回、影は爆発しなかった。その代わり、黒い大きな鎌が二本、影によって形創られ、彼の両腕に握られた。
「君たちの絶望を――」
騎士が襲いかかった。同時にローランドがレオノールの名前を叫ぶ。
赤黒い短剣数十本が一斉に放たれる。
ケタケタケタ
短剣が到達するまえに、騎士の身体から影が薄い膜のように滲み出た。それに触れると一瞬にして短剣が崩れ落ちる。
続いてローランドの鞭がうなる。
無駄だ。あいつにはどんな攻撃も通用しない。そう思った。だが、少し様子が違った。
ローランドの鞭はみごとに騎士の身体に当たった。
はじかれた暗黒騎士は、空中で体制を立て直すと呆然とした。
どうしたんだ?
「何だ……お前」
彼の視線はローランドではなく、レオノールに注がれていた。
「何なんだ。いったい……」
パプケウィッツの見せた僅かな隙、ローランドはすかさず鞭を振った。音速を破る音がなる。
騎士の鎌に鞭が絡まる。
崩れない。
ローランドが腕を引き、鎌を引きぬくと原型が崩れ影となって消滅した。
「何?」
騎士の中で予想を越えることが起こったのだろう。彼は明らかに動揺していた。
レオノールはすばやい動きで騎士の目の前に移動すると、赤黒い剣を水平にはらった。騎士は残された鎌で受ける。今度はレオノールの剣が崩れ去った。
しかし、レオノールの攻撃は止まらない。新たな剣が左腕に出現すると、休む間も与えず剣げきを繰り出す。
鎌で防ぐのは間に合わないとみた騎士は、後方に飛び退った。
「おもしろい、おもしろいよ君たち」
騎士の鎌が霧となって消えた。
「ボクね、実は呪われているんだ。だから人間を食べないと生きていけない。食べないと、乾くんだよ。からからに……ひからびて……飢えるんだ。そして、食べた人間は僕のエネルギーになるんだ。細胞の一つ一つにみちていく。あたたかい生命が僕を潤すんだよ。依頼では君たちを殺すなと云っていたけど、もう我慢できない。お腹が空いたんだ。さあ、僕を潤してくれよ」
騎士の身体から流れる気の質が変わった。
これまでも異質な気を放っていたが、完全な別物になった。
この世のものではない怪異な、そして悪意を持った気だ。
僕たちの中に緊張が走った。生ぬるい汗が僕の額をつたったとき、背後の扉が開けられた。
「いったいどうしたのですか? こんな夜ふけに――」
クリフの母親だった。
「ダメだ。来るなー!」
遅かった。
夜の町に悲鳴があがる。
騎士の放った鞭のような細長い気の塊が母親の左腕に触れたのだ。
ぼとっと腕が落ちる。
それで終わると思ったが、腐敗が腕を昇っていく。今すぐ進行を止めなければ。僕は彼女へ駆け寄り、能力を発動させた。
「偉大なる医術」
僕の十本の指から気で出来た針と糸を、そして今回はメスも出した。腐敗している部分を切断して、傷を縫合する。
これで食い止めたはずだ。
「おもしろいね、君の能力」
パプケウィッツは首を傾げている。
僕は騎士を睨みつけた。
「また、罪のないものまで傷つけるのか!」
「罪のない人間なんていやしないよ。人は何かしらの罰を犯している。食料の確保に植物や動物を殺しているじゃないか。彼らに生命がないとでもいうのかい?」
「確かにそうかもしれない。でも、超えてはいけない罰は犯していない」
「ボクに説教ですか……君から死んでもらいますよ」
「お前の相手はこっちだ」
いつのまにかローランドが騎士に近づいていた。
「パプケウィッツ。お前の魂の声を聞かせろ!」
ローランドの手から緑色の玉が放たれた。
僕はこの玉を知っている。
ネクロマンサーの能力だ。
緑色の玉は音もなく浮遊すると、暗黒騎士の身体に触れた。
緑色の粒子が辺りを輝かせる。幻想的で美しい光がまばゆいばかりに輝いた。
このあと、ファイルーザの場合を考えると緑色の玉に触れた者は意識を朦朧とさせる。そして、死者の復活。
粒子の雨がやむと、再び静寂が戻った。
何も起こらない。
「何!」
「どうして!」
僕とローランドの叫びが同時に上がった。
「あはははは。何をやっているの? さあ、もう終わりにしよう」
騎士が両手を上げた。
濃霧が来る。
爆発させる気だ。ローランドとの距離は数メートル。間に合うか。ダメだ。母親を置いては行けない。見捨てる訳にはいかない。
レオノールが僕たちの前に両手を広げて立ちはだかる。身をていして助けるつもりだ。
ローランドが鞭を振りあげる。
僕は眼をつぶった。
もうダメだ。
その時だった。ドンという音とともに、パプケウィッツが短い悲鳴を上げた。
眼を開けると、騎士の鎧の隙間に短剣が突き刺さっているのが見えた。
短剣はしっかりと両手で握られ、その先には少年が立っていた。
「クリフ!」
僕は叫んだ。
「お母さんに手出しはさせない。お母さんは僕が守るんだ」
少年は震えていた。しかし、恐怖に打ち勝つように、しっかりと大地を踏みしめている。
「逃げるんだ!」
「あ、ああああ。もうダメだよ。もう誰も止められない。この町にいる全員を食べないと気がすまない。いいや。足りるのか? それだけで足りるというのか? 君たちが悪いんだよ。君たちが……」
今度はパプケウィッツがぶるぶると震え出した。
ローランドの鞭がクリフの身体を取り巻いた。そして、少年の身体を僕に投げてよこした。
「守っていろ」
ローランドはそう云うと、騎士と僕たちの間に立ちはだかった。
「ダメダメ。もう誰も生かして返さない。食べる。食べる。食べる」
その時、ヒュンという風を切る音がしたかと思うと、パプケウィッツは左手を前にかざした。
矢だ。矢が射られたのだ。
矢は騎士に触れることなく地面に突き刺さった。パプケウィッツの掌には薄い壁のような影が渦巻いていた。
矢が放たれた場所を見ると、白い鎧を着た騎士が一人立っていた。
「ここだ! ここにいるぞ」
その騎士が叫ぶと、通りの影から二十人ほどの騎士がぞろぞろと現れた。
ニール軍の衛兵だ。船着場での騒動の犯人を探索していたのだろう。
「あはは。君たち助かったね。今日は見逃してあげるよ」
パプケウィッツはそう云うと、両手を交差させてうずくまった。
「でも、かならず追い詰める。それまで命を大切に。ボクの食料なのだから」
突然、パプケウィッツの身体から、バキバキという激音が鳴った。
彼の背中が盛り上がったかと思うと、それは見る見るうちに翼の形をとった。いびつな、蝙蝠を、いや、悪魔を連想させる形だった。
翼がひとつ羽ばたくと、騎士の身体は一瞬のうちに空高く舞いあがった。
暗黒騎士パプケウィッツは夜闇に解けこむようにして消えていった。
つづく




