第二話 暗黒暴走 その5
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出航が近いのか船着場は喧騒としていた。
船員たちの罵声や怒号が飛び交っている。
「たしかにここへ逃げてきた」
ローランドは足を止めると辺りを見まわした。
「船員たちに訊ける雰囲気でもないですね」
船着場にはかなりの人数がいるため、少年一人を探すのは困難だった。
立ち往生している僕たちの視線が、ある人物に吸い付けられた。
「ガキに構っている場合ではないな」
ローランドの言葉に、僕は唾を飲み込んだ。
その人物は、全身を漆黒の鎧に身を包んでいた。頭の先からつま先まで、素肌を覆い隠すように着こんでいる。
おかしなことに、その人物は剣や盾は装備していない。騎士の格好だが素手なのだ。
しかし、それだけで僕たちの視線が釘づけになるわけはない。
その騎士から並々ならぬ気が発せられていた。
いや、気を抑えきれずに、もれているようだ。
騎士の周りを黒い影のような気が漂っている。もやもやとした影が、まるで人間を異界にひきずりこもうとしているかのように。
只者ではない。いや、それ以前に人間なのか?
僕は横目でローランドを見た。
さすがの彼でも額に汗の一つでも浮かべているだろう。そう思ったからだ。
ところが、僕の考えは間違っていた。
「おもしろい」
そう云って笑顔を浮かべていたのだ。
騎士はゆっくりと大きな帆船に近づいて行った。
騎士の前に道ができる。
異様な雰囲気に気づいた人たちが道を開けていく。
騎士は帆船の前でピタリと止まった。
屈強な船員たちも騎士の存在に気づき、各々手を止めた。
「ここで始めるつもりか」
ローランドがボソリと云った。
「え、まさか……」
戦闘を?
騎士は船長らしき人物に向かって声をかけた。
「ねえ、君たち海賊でしょ。実は僕、ユマという人物を探してるんだけど――」
低い男の声だ。しかし、何処か幼さも残っており、そこから歳を見極めることは出来ない。
海賊と呼ばれた船長は声を荒げて答えた。
「海賊だとお! 何を根拠に云ってやがるんだ。それにユマなんていうガキは知らねえ。うせやがれ」
辺りが険悪なムードに騒然となった。
「ああ、ガキだと云ったね。ボクは人物と云ったのにねえ。どうして子どもだとわかったのかな」
「失せろと云ったんだ!」
「ま、いいや。船内を見せてもらうよ」
騎士は臆することなく歩を進めた。いや、むしろ船長の話しを訊いていないかのように。
「あの人もユマを探している?」
僕の困惑にローランドは答えなかった。
「てめえ! なめてんのか? 俺の船に勝手に上がるんじゃねえ」
船長の罵声とともに船上からゾロゾロと乗員たちが顔を出した。それぞれ湾剣や斧を手にしている。
「別にボクは許可を求めているわけじゃないよ。どいてくれるかな?」
「てめえぇぇぇ」
戦闘は避けられない。皆がそう確信したとき、ローランドが叫んだ。
「みんな、逃げろー!」
しかしその声は届かず、海賊たちが一斉に騎士へと飛びかかった。
騎士はゆっくりと両腕を広げた。
「ありがとう……」
そう云ったように聞こえた。
同時に騎士の黒い気が増幅された。
水平線から最後の光を投げかけている太陽をあざ笑うかのように、影が船着場一帯を飲み込み闇と化す。
黒い霧と云ったほうがいいのか。それとも黒い炎と云えばいいのか。
影はまわりにいる人々を次々と飲み込んだ。
阿鼻叫喚が湧き上がった。
影に飲まれた人々は崩れた。
細胞が崩壊して、まるで乾燥した土くれのように崩れたのだ。
「あはははは」
騎士は笑っている。関係のない人たちも巻き込んでいるのに、笑っている。
「もうやめろー!」
僕は叫んでいた。
こんなことは許されない。許してはいけない。
「ノリエガ、俺のそばから離れるな」
僕は、ハッとして周りを見まわした。
影がすぐそこまで迫っていたのだ。
ローランドが鞭を振るう。
空気を切り裂くかわいた音がひゅぱんひゅぱんと鳴り響く。
すると影は半円を描いて僕たちを避けた。まるで空気の壁でもあるかのように一定の距離から侵入してこない。
騎士がゆっくりと振り向いた。
赤い瞳が僕たちを捕らえる。
「君たち、おもしろいね……」
僕はかっとなった。漁業を営む人々を巻き込んで、出た言葉がこれか?
「今すぐやめろ! やめるんだ」
その時レオノールが動いた。
音もなく回転すると、腕の先がキラリと光った。
短剣が騎士めがけて飛んでいく。
しかし、半分ほどの距離を飛んだだけで、短剣はぼろぼろと崩れ去ってしまった。
「あはははは。ボクとやろうと云うのかい? ありがとう。うれしい、うれしいよ」
騎士はケタケタと笑った。
まるで骸骨が踊っているように、身体が小刻みに震えている。
「おや?」
騎士の振動がぴたりと止むと、ふいに船のほうを振り向いた。
「見つけた」
影が一斉に引いた。騎士の身体へと吸収されていく。
辺りには静寂が戻った。無事逃げ切れた人たちは腰を抜かし、ガタガタと震えている。どこからともなく、すすり泣く声も聞こえて来る。
「あああああ、おいしい、おいしいよ。これだから生きていられる。ありがとう」
騎士は天を仰ぎ恍惚の声をあげた。
狂っている。この男の存在は許されない。
僕が駆け寄ろうとすると、ローランドが肩を掴んで止めた。
「やめておけ。今は……まだ、な」
「どうして――」
振り向いた僕は言葉をつまらせた。
ローランドは肩で大きく息をしていた。そうだ、彼はあの黒い影から僕たちを守っていたのだ。彼を見れば、それが並大抵のことではなかったとわかる。
あのローランドが弱音を吐いているのだ。
「心配するな。すぐに回復する」
僕の心配を察してか、笑顔を返した。
「少年。妹は船の中にいるよ。まだ生きているから早く助けに行けば」
漆黒の騎士は僕たちを見ながら云った。いや、僕たちの背後だ。
ふり返ると、そこにはクリフが座っていた。大粒の涙を流し、しゃくりあげている。惨劇に自我が崩壊しているようにも見える。
僕はクリフに駆け寄った。
「君がこれを望んだのか。僕にも察しはつく。妹を海賊にさらわれ、あの男にお金で救うことを依頼したんだろ。だけど、こんな結果も望んだのか?」
僕は少年の肩をゆすりながら云った。
クリフの眼の焦点が戻った。
「こんなのは望んでない。ただ、妹を助けたかっただけだよ。こんなの、聞いてないよ」
少年は声を上げて泣いた。
「そうだよな。僕は君の言葉を、信じるよ」
そう云って彼を強く抱いた。
「さて」
騎士が突然歩き出した。
「ボクの仕事は終わったから退散するよ。今日はもう満足だ」
「待て」
横切ろうとする騎士をローランドが止めた。
「お前の名は?」
騎士は赤い瞳をローランドに向けた。
「パプケウィッツ。仕事の依頼ならいつでも募集していますよ」
彼は左手を上げて、別れの挨拶でもするかのように立ち去ろうとした。
「ちょっと待て!」
僕は騎士を止めた。
「お前はこんなことをして許されると思っているのか?」
パプケウィッツは立ち止まると、面倒くさそうに振り向いた。
「君たちはいつも同じことを訊く。これは自然なことなんだよ」
そう云って両手を広げた。
「人間は腹を満たすために動植物を狩っている。明日を生きるために他の生命をうばっているだろう? 僕も同じだよ」
この男は何を云っているのだ。
「君たちと同じ事をしているだけなのに、何が悪いというの? これはきわめて必然的なことだよ」
どういうことだ。この男はここにいた人たちを、食べた、といいたいのか。
そんなバカな――。
パプケウィッツはもう飽きた、といいたげにその場を去ろうとした。
「ま――」
僕を止めたのは何とローランドだった。
「お前は何をしている? ヤツは戦おうとしていないじゃないか。そのまま、行かせてやれ」
「え、ロ、ローランドさん……」
僕はその言葉が信じられなかった。
つづく




