第二話 暗黒暴走 その4
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物置となった小さな部屋の中で、少年は額を流れる汗をぬぐうことも忘れ、ただじっと前方を見つめていた。
視線の先に、全身を漆黒の鎧に身を包んだ騎士が、ガタガタと震えながらうずくまっている。
その騎士から放たれる異妖ともいえるオーラが、少年を自暴自棄の状態へと追いこんでいたのだ。
少年は漆黒の騎士と同様、いや、それ以上に震えながら声をはりあげた。
「これで約束をはたしてくれるよな?」
少年は声が裏返るのを必死にこらえた。そして、騎士に向かって皮袋を差し出した。
騎士はビクッとして、ゆっくりと少年の立っている方へ顔を上げた。口元も兜に覆われているため、騎士の素肌が露出している個所は両眼だけであった。
しかし、その両眼も炎のように輝いているために、彼が人間である確証はどこにもなかった。
漆黒の騎士はゆっくりと首を傾げた。
その動きは夜の森に潜む魍魎をおもわせ、少年をさらに震えあがらせた。
「何の約束だったかな?」
騎士の声は地底の底からひびくような低さだった。しかし、何処か幼さも含んでいる。
「昨日やくそくしたじゃないか。三百ギル持ってきたら助けてくれるって」
騎士は微動だにせず、少年をじっと見つめた。
まるで少年の心を覗き見るように、ふたつの赤い光がゆらゆらと揺らめいている。
少年の汗が、ボタッと大地に落ちた。
「そうだった……ね」
騎士は音もなく立ちあがった。
突然の行動に少年は腰を抜かしそうになったが、それを懸命にこらえた。
「約束だぞ」
そう云って皮袋を騎士の足元に放り投げた。
少年は自分の考えが間違っていることに気づいていた。
騎士は森の魍魎なんかじゃない。
彼は魍魎を統べる邪神バナの化身だ、そうおもわずにはいられなかった。
●
町長から話を聞き、急いで噴水広場へ戻ってくると、僕の不安は的中した。
昨日とうってかわって観客の数が少ないのだ。原因は想像がつく。レオノールの舞は世界一といってもいい。しかし……。
「おい、ひまだったら見ていけ」
やっぱり……。
僕は大きく肩を落とした。
「ローランドさん!」
僕は少し怒り気味で叫んだ。
「そんな呼びこみでどうするんですか。怖がって誰も見ていってくれませんよ」
「そうか? これでもかなり優しくしているつもりだが」
まったく……。しかし、こうなったのも自分のせいだ、と考え直した。
「どうだった?」
「町長に訊いたら、少なくとも少女の住んでいる所は解かりました」
僕はにやりとして見せた。
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西に傾きかけた太陽の光が窓から刺しこみ、女性の狼狽しきった顔に影をなげうっていた。部屋の中は彼女の気持ちに呼応するかのように、何処か辛気臭い影が充満している。女性は話すのも辛そうにしながら、重い口を開いた。
「確かにこの写真の少女は、私の娘のユマです。だけど、あなた方の部屋に侵入したのは娘ではありません」
「それはどういう意味ですか?」
四十の半ばくらいの女性だが、老化が進み五十代後半に見える。
何かがこの女性を変えたのだろう。
「ユマは三日前、行方不明になったのです。まだ十四歳なので遠くには行ってないだろうと、ユマの兄、クリフとともに、あちらこちらを探したのですが……」
「じゃあ、何故このロケットが僕の部屋にあったのでしょうか」
「それは、たぶん――」
その時だった。
ただいま、と入り口のドアが勢いよく開けられた。
一斉に視線がそちらへ注がれる。
「ちょうど良かった。ロケットは息子のクリフが持っていたものです。クリフ、この人たち――」
色白のそばかすだらけの少年はドアの前で立ち尽くし、僕たちの存在に気づくと、母親の言葉が終わるまえに外へと逃げ出した。
「追うぞ」
ローランドとレオノールは立ちあがって、少年を追いかけるため家から飛び出した。
「あ、あの――」
心配そうに立ちあがった女性に僕は笑顔を返した。
「大丈夫です。あの少年に危害を加えるようなことはしません。あなたにこれ以上の心配事を与えません。僕たちを信じて下さい」
つづく




