第二話 暗黒暴走 その1
弟二話 暗黒暴走
1
日中の熱を含んだまま、森に夜がきた。
蒸し暑い風や魍魎などから身を守るために、僕たちは洞窟で野宿をすることにした。
火を焚き、それを囲むようにして座る。
ローランドは女王との戦いでの傷が癒えてないらしく、どこか表情に曇りがある。
レオノールは、あいかわらずの無表情だ。疲労など微塵もないようだ。
僕はゆっくりとローランドの疲れを癒してやりたいと思ったが、ついにガマン出来ずに彼の前で土下座をした。
「ローランドさん。お願いがあります」
彼はさして驚きもせず、横目で僕を見た。まるで、僕がこうすることを見抜いていたかのように。
「僕の村の人々を救ってほしいのです。今すぐにとは云いません。痛めている身体を癒してからでいいんです。どうか、どうかお願いします」
僕は額を地面にこすりつけた。
「ノリエガ……それは、出来ない」
僕は顔を上げた。
「どうしてですか、あなたはネクロマンサーじゃないんですか? そうじゃなければ、女王の父親やウーフの説明がつきません」
「ネクロマンサー……か」
ローランドは哀しそうな瞳で答えた。
「たしかに……ネクロマンサーかもしれん」
「なら、お願いします。今、村の人々が大変なことになっていて、次々と死んでいます。もう、救えるのはネクロマンサーしかいないのです」
「すまない、俺には無理だ」
「どうして?」
「どうしても……だ」
僕は力づくでも連れて帰りたい、と思った。
こんなに悔しいことがあるだろうか。
目の前に目的のネクロマンサーがいる。
村の皆はネクロマンサーを待っている。カーメンはネクロマンサーを待っている。
「すまないな、ノリエガ。俺にはそいつらを救うことは出来ない。そのかわり、ラースの探索を手伝ってやる。彼なら……きっと」
「何故あなたでは無理なのですか?」
しかし、これ以上ローランドは話そうとはしなかった。
何故だ? ネクロマンサーなら可能なはずだ。現にローランドは死者を生き返らせている。
何故だ?
そして、彼の口調は、ラースを知っているようだが……。
「ローランドさん、あなたはもしかして、ラースと知り――」
ローランドの視線が洞窟の入り口に向けられていた。レオノールも同じだ。
僕は言葉を切ると、立ちあがり振り返った。
何かが、変だ。
先ほどまで騒々しいくらいに鳴いていた、虫と獣の声がやんでいる。
外は深い闇に包まれ、魍魎の気配すらも消えていた。
何か……いる。魍魎をも黙らせる、それほどの……何かが。
「追跡者が、やっと姿を見せるか」
ローランドは笑っていた。
追跡者?
完全にそのことを忘れていた。
女王との壮絶な戦いのために、僕の脳裏から完全に失われていた。
しかし何故、今になって。
僕は神経を辺りに集中させた。
ここは洞窟から数メートル入ったところだ。まだ奥に続いているが、曲がりくねっているため先は見えない。
僕たちの武器は鞭と暗器。
鞭。
洞窟。
そうか。
「ローランドさん。場所が悪いです。ここから出ましょう」
ローランドの武器は鞭。彼の攻撃は広い所でこそ発揮される。
だから、今襲ってきたのだ。
僕が先に立って洞窟を出ようとしたとき、ローランドがそれを制止した。
「もう遅い」
洞窟の入り口にぼんやりと人影が浮かんだ。
ゆっくりと近づいてきて、焚き火の明かりでその影を浮き彫りにさせると、追跡者は女性だとわかった。
ダークブラウンの髪を腰まで伸ばし、大きな瞳をしている。きゅっと引き締められた口元からは、断固とした決意を感じる。
歳は僕と同じくらい、二十歳前後だろう。
両手には剣が握られ、チクチクとした殺気がにじみ出ている。
松明を持っていない、ということは、暗闇の中の森を来たということ。軍隊も恐れる闇の森なのだ。この女は、かなりの使い手だろう。
おもむろに女が口を開いた。澄んだ、落ち着くような声だ。
「あなたが、ローランドさんですか?」
大きな瞳がローランドを捕らえる。
「ああ、そうだが。お前は?」
「私の名は、サニエと申します。実はあなたに、お願いがあって参りました」
彼女は僕たちにぴたりとくっついていた。ローランドがネクロマンサーであることは知っているはずだ。すなわち、彼女もまた生き返らせたい者がいる。
しかし、僕の予想は大きくはずれた。
「ネクロマンサー・ラースの捜索を、今すぐやめてほしいのです」
どういうことだ?
「無理なお願いだな」
ローランドは眉も動かさずに答えた。
「そうですか……残念です」
突然、殺気が増した。刃物のように肌を焼く。
「ノリエガ、下がっていろ」
ローランドは微笑を浮かべたまま、僕の前に出た。
「ローランドさん。この場所では――」
「お前は大きな勘違いをしている。そして、あの女もな」
サニエは両手を広げ、剣で逃げ道を塞ぐようにして駆け出した。
レオノールは動かない、がローランドは大きな盾を構え、鞭を抜いた。
ダメだ、狭すぎる。
洞窟の広さは大人が三人ならんだらいっぱいになるくらいだ。鞭の長さはゆうにその倍以上。どう考えても心置きなく振りまわせない。
サニエがあと数歩で射程に届く、という時、ローランドの鞭がうなりを上げた。
その刹那、火をつけた薪が宙に舞った。そして、薪の一本一本が、まるで意志を持っているかのようにサニエへと襲いかかる。なんという鞭さばき。細かく操作し、せまい通路をそう感じさせない動きを見せた。
サニエは前進をやめ、薪と格闘することになった。
剣でなぎ払い、蹴りでさばく。
しかし、そうやって軌道を変えた薪も、ローランドの鞭は追いかけ、操り、軌道を変え、再びサニエへと飛んでいく。
だが当たらない。ローランドの攻撃はかすりもしない。サニエはスピードとテクニックですべてを防いでいる。
ローランドも凄いが、この女も凄い。
宙を舞う炎を纏った薪のすきまを、サニエは踊る。
まるで炎の中を戯れる妖精のように。
「どうしても、私の願いは訊いてもらえないのですか?」
「くどいぞ」
この時、サニエが哀しい表情をしたのを、僕は見逃さなかった。
「ならば、もう少し手荒なことで、あなたを止めてみせます」サニエはそう云うと、剣を鞘に収め、洞窟の入り口まで退いた。「後悔しても遅いですよ」
レオノールが動いた、サニエの放つ禍禍しいオーラを察したように。
肌に張り付くような、ねばりを持った気が僕の眼にも見える。
「待って下さい」
緊迫した状態で間に割って入るのは危険だとわかってはいた。だけど、サニエの哀しい表情が頭から離れない。だから危険を承知で僕は云う。
「じゃまだ、どけ」
僕はローランドの言葉を無視して続けた。
「もしよろしければ、訳を訊かせてはもらえませんか?」
サニエから放たれるオーラが少しだけやわらいだような気がした。
「勇気ある少年ですね――君の名は?」
し、少年……?
「……僕はノリエガといいます。縁あってローランドさんたちと旅をすることになりました。僕もネクロマンサー・ラースに用があるんです。村人たちを救うために、どうしても、ラースに会わなくてはならないのです。どうしてあなたはラースに会わせないようにするのですか? よろしければ、その理由を教えてください」
サニエは再び哀しそうな表情になった。
この女性に何があったというのだ。どうすれば、こんな表情を浮かべられるのだ?
「君は……いいの。でも、ローランドさんは会ってはいけない。いいえ、会わせる訳にはいかないのよ」
「どうして……」
サニエは顔を伏せた。
物思いにふけるように沈黙が流れる。
その時、ローランドが口を開いた。
「俺は何があろうと、何者が邪魔をしようとも、ラースと会わなくてはならない。それが、俺の宿命だからだ」
サニエはローランドの言葉が終わると、おもむろに顔を上げた。
その瞳には断固とした決意を感じた。
「わかりました。今回はノリエガに免じて見逃してあげます」
サニエは名残惜しそうに踵を返した。
そして、振り向かずに云った。
「世の中には知らなければいいことがあります。あなたは、きっと後悔することになるわ。そうなってからでは、もう遅い……きっと、生きる希望を失うことになる……」
最後のほうは、ぼそぼそとした声で聞き取るのが困難だった。
サニエはゆっくりと歩き出した。
「待って下さい。ラースは何処にいるのですか? 何か知っているなら教えてください」
呼びとめた僕の問いに答えるように、サニエは一瞬歩を止めた。
「東へ向かいなさい。ただひたすら東へ」
横顔を覗かせたサニエの視線はレオノールにそそがれ、その瞳には、気のせいか涙が浮かんでいるように見えた。
暗闇に姿を消したサニエを名残惜しむように、薪がパチパチと泣いていた。
つづく




