男女共学のバイビー130
松田は狂い出しそうな激情を押し殺すべく口を真一文字に閉ざし、踏ん張って、再び車椅子を押し出した。
濃霧の中、松田が息を切らし車椅子を止め、小休止をしつつ汗と涙を拭う。
雅は嗚咽しむせび泣いているが松田は声を出さずに泣いている。
声を出してしまったら、いたたまれない恐怖と不安にかられ「会長、自分と一緒に死にましょう!」と叫んでしまうのが理屈抜きに分かるからだ。
そんな激情をじっと堪え、松田は涙を拭い眼を凝らして、再び車椅子を慎重に押しながら考える。
母が死に一家離散、施設に入所し神経症を発病、荒んだ心を律し切れず悪い仲間に入り、ぐれて人を苦しめ傷付け、少年院に送られ自分の孤独を歎き、死ぬ事ばかりを考えていた時、初めて雅会長に出会った。
「私も一家離散身内もおらず、こんな身体でハンデもあり、孤独と貧乏に耐え切れず死ぬ事ばかり考えていた時期があったわ。でもね人生は負けたらお終いなのよ。私は石にかじりついてでも生き抜く事を考え、今の地位を一代で築き上げたのよ。人生はどんな嵐にも負けずに意気地を持って希望を胸に生きるしかないのよ」
そう告げ、雅会長は自分の荒んだ心を宥め、まるで優しい母のような温もりで接して来て、優しさと厳しさを以って己の荒らぶる心を落ち着かせ、自分に希望を抱き生きる事を教えてくれた大恩人だ。
以来、松田は雅を尊び恩を返すべく一心に尽くし働いて来た。
そしていつしか松田は母でもあり、父でもある雅に密かに恋心を抱くようになった。
しかし雅は自分の腹違いの弟であるヒロと出会い、色めき立つようにヒロに慕情を募らせて行き、図らずも松田は己の恋心を心の底に封印し、黙々と雅に忠勤を尽くして来た。
不安だけを掻き立てる濃霧の中、脱力感を回復させる為にもう一度車椅子を止め、松田は熱く溢れる涙を拭い、辛抱あるのみの一字を念頭に置き、狂い出しそうな激情を押し殺すべく口を真一文字に閉ざし、踏ん張って、再び車椅子を押し出した。




