虚構、反響
三体目の身体は人族だった。
演算スライムとしては予定外に得た身体であった。
その人族は名前をジャックと言った。
十五周期から二十五周期程度の女を狙い、魔法を掛けて攫っては殺す男だった。
演算スライムは人族が倫理と呼ぶ概念を保有している事を知っているし、その概念がどう言った物かも正確に把握している。
だからと言って自身の行動がそれに影響を受ける事は無い。
結局の所、その人族を選んだ理由は二つあった。
一つは独自に発展させた魔法が有用だった事。
これは演算スライムとしては最低限必要な条件だった。
一つはその人族の周囲には墓鼠が日常的に居た事。
その人族は死体の皮膚を丁寧に剥いで収集していたが、中身は家畜狼に与え、骨は墓鼠に与えていた。
墓鼠が病を伝播させる事が広く知られている今、墓鼠を見ても攻撃的にならない人族は珍しい。
当初、演算スライムはその人族を殺す気は無かった。
演算スライムは発生した情報を既存の法則に従って処理する事には長けている。
ただし、演算スライムの本質はどれだけ時間が経っても不定形種なのである。
それに対して人族は人族である。
人族が人族の言葉で発想、着想、創意工夫と呼ぶ思考形式を演算スライムは模倣する事が出来ずにいた。
例えるなら演算スライムは算盤で人族は関数電卓なのだ。
行える処理方式数は人族の方が勝る。
優秀な頭脳が欲しい。頭脳に発声器も付いているのなら尚欲しい。
演算スライムは人族を一人飼う事を決定していたのだ。
昼間、狙った人種の家に堂々と侵入して隠密魔法で隠した流動体の網が家全体を覆う様に巡らせた。
夜、演算スライムはその人族を捕縛する事にした。
隠密魔法を解いてその姿を露わにした流動体は、家に続いてその人族をも包み込んだ。
人族が垂れ流す絶叫は全て隠密魔法の応用で遮断する。
万が一にでも人族に逃げられない様に家の内壁全てに流動体を隙間無く這わせる。
そうして準備が整った段階で、演算スライムは人族と意思疎通を図る。
演算スライムは魔法詠唱を出来る様になっていたが、それは人族の詠唱とは根本以外は異なる方式であったため、人族と同じ方法で会話をする方法は未だに確立されていなかった。
その為、演算スライムは別の会話方法を確立した。
演算スライムはそれを反響話法と呼んでいる。
仕組みは比較的単純だ。
演算スライムの意思を魔力の振動へと変換し、人族の頭部に照射する。
それは人族が自我や感情と呼ぶ物と酷似した働きをする。
照射された魔力の振動を人族は自分達のそれと勘違いするのだ。
言語基盤を合わせず、意思だけが直接脳内へと浸透する。
人族はその意思を自分の語彙に合わせて勝手に解釈して理解する。
演算スライムは人族へと魔力の振動を照射する。
そうやって、人族に殺意が無い事と求めているのはその思考形式だけなので余分な部分は排除する旨を伝えた。
その上で最低でも数百年の生存の保障もした。
人族は当惑した様子で一旦絶叫するのを止めたが、再びその口からは絶叫が垂れ流される事になる。
それは流動体の中で人族の手足が引き千切られた時の事だった。
先に神経を遮断してあるので人族に痛みは無い。
にも拘らず人族が絶叫を再開した事を、演算スライムは理解出来なかった。
不定形種は不定形であるが故に、自身の身体が不可逆的な変化をする事への恐怖は理解し難い。
特に対応もせず人族を生かし易くする為の加工を進める際中に、人族の心は壊れた。
人族の思考形式が全く異なるそれに変容してしまったのである。
演算スライムは何か重要な器官を切り離してしまったのかと、慌てて人族の身体を元に戻すが、思考形式は戻らない。
人族は何かをぶつぶつと呟くだけの存在になっていた。
演算スライムは百二十六年前に発見した上半分になった人族と、今自身の流動体に浮かぶ人族が類似した思考形式を保有している事に気が付いた。
大幅な身体の変容が思考形式に悪影響を及ぼしたと仮定した。
流動体の中で人族は言葉を発している。
何を話しているのか。
演算スライムは三十秒程掛けてその人族が過去に攫って皮を奪った者達の名前を羅列している事を算出した。
いずれにしても、当初の計画は破棄しなくてはならなかった。
計画を諦めた演算スライムの行動は速かった。
人族の呟きは数秒で止まる。
いつも通り、脳を溶解させて吸収した。
その人族から模倣する魔法は、幻覚を見せる魔法だった。
幻覚と言っても、それは見せる側が作る幻覚では無い。
見せられる側が作る幻覚だ。
魔法を使う側が指定した印象に相当する物を、魔法を掛けられた側が見る。
これを利用して誘われたら着いて行きたくなる様な異性として自分を認識させて、その人族は大量の皮を入手した。
その魔法は演算スライムにとって非常に有用な魔法であった。
はっきり言って幻覚魔法があれば人族の身体等最早不要なのである。
例え不定形種の外見をしていても、幻覚魔法の影響下ではそれは別の何かにしか見えないのだから。
にも拘らず身体を求めたのは、演算スライムの習慣の様な物だった。
発生してからほぼすべての時間を別の身体を纏って過ごして来たのだから、最早演算スライムにとって別の身体を纏う事は正装の様な物だった。
反響話法と幻覚魔法による偽装。
演算スライムは路上で生活する者として自身を周囲に認識させる様に幻覚魔法を使う。
元々多くても三人程度を相手にする様に想定されていた幻覚魔法だったが、演算スライムはその演算能力で力押しして、何十万人だろうと幻覚魔法の影響下に置く事が可能だった。
エルダの人口は二万人程に増えていたが、演算スライムはその全域に魔法を展開させる。
そうやって魔法を展開して、演算スライムは一つの奇妙な事実に気が付いた。
魔法に対する耐性に、特徴的な個体差があった。それも多種多様に多数。
人族は不揃いな成長を見せる種族であったが、今回の個人差はそれによる物ではなかった。
魔法をかける際、対象の種族が違えば発現する効果に差は無くても、その感触が異なる。
つまり、人族は種族として分化しつつあると言う事だ。
種族自体の特性が変わる事は多々ある。
例えば貯水草は昔と違い他の野草を利用する事は無くなった。
野草は貯水草が地中に放つ魔法毒で死に絶え、貯水草の子株が野草の役割を担う様になっていた。
大抵の場合古い種が新しい種を抑え込むか、新しい種が古い種を駆逐する事によって、一つの場所では多数の種は生まれない。
しかし、人族は現状混在している。
不揃いになる筈の学習方式が、種の壁を越えて個体の特性を揃えようとする働きをしていると演算スライムは仮定した。
いずれにしても、今の観測方法では限界がある事は五十年ほど前から感じていた。
種としての変化速度はともかく、文化の変化速度は演算スライムの予想を超えて速かった。
十秒程試算をして、演算スライムは一つの結論を算出する。
人族を最低でも一人、手懐けようと。