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破壊、人族

 腐牙狼の皮を被った演算スライムは、藪の中で怠惰な時間を過ごしていた。

 植物の残骸に半ば埋まる様にして寝そべる腐牙狼がそうである。

 腐牙狼の身体を手に入れてから既に三十年の月日が流れていた。

 演算スライムの容積はその月日の流れに比例して増大しており、既に腐牙狼の頭骨に収まらない。

 三年目には体液が、八年目には内臓が、十五年目には筋肉が、不定形種の本体たる流動体に置き換えられた。

 比喩では無く、腐牙狼の皮を被った演算スライムとしてここ十五年を過ごしていた。

 それでも収まり切らない流動体は藪を構成する魔草の根に侵入していた。

 藪を構成する魔草は貯水草と呼ばれる。

 貯水草は防衛魔法を纏える稀有な魔草であり、ただの野草を隷属させる植物の王者でもある。

 広く伸ばした根を物理的に他の草の根へと繋げ、野草が取得する匂いの情報を体系的に集積して分析する。

 ルドアリ平野ほぼ全域に及ぶ程深く広く張り巡らされている貯水草の根は、演算スライムに支配されていた。

 演算能力の高さ故に、緻密でありながら即発動する腐蝕魔法と貯水草を支配して得た高い敵索能力。

 演算スライムこそルドアリ平野の覇者と呼んでも差し支えない。

 差し支えない、のだが。

 不定形種とはかけ離れた外見だが、演算スライムの本質は不定形種である。

 そう、貧弱で、原始的な、不定形種である。

 残念な事に未だに不定形種なのである。

 力を誇示するとか、強者を下すとか、そう言った事には無頓着な不定形種である。

 貯水草の吸い上げる養分を横取り出来るのであれば、動く必要は微塵も無い。

 動く必要が無い故に動かない。

 だが、不意に、数年は動かそうともしなかった腐牙狼の身体が起き上がった。

 同時に藪がざわめく。

 その藪、貯水草は支配されていても魔草なのである。

 常時発動している高位障壁に重ね掛けされる形で強力な硬化魔法が発動した。

 それまで僅かな風に揺れていた藪が、その動きを止める。

 葉の先から根の端まで、貯水草は尋常でない強度まで硬化した。

 外殻の丈夫な魔物、例えば岩喰であっても、今その藪に飛び込めばその身体を切り刻まれる事になるだろう。

 貯水草の最上級の防衛措置である。

 何が起きたのか。貯水草に分かっているのは単純な情報だけ。

 少し離れた場所で、地表の野草と地下の根が一瞬にして消失した。

 貯水草は動けない。だからその場で守りを固めるしかない。

 一方で動ける演算スライムはここに至ってようやく、何年振りかの動く理由を手に入れていた。

 逃げるべきであると不定形種の本能は訴えた。

 一方で、その膨大な演算能力は状況の把握の必要性を算出した。

 消失した範囲が広過ぎるのである。

 藪の外は見通しの良過ぎる平野なのだから、逃げる背中を狙われる危険性が無視出来ない確率で存在すると算出された。

 逃げたい本能と危険を把握したい理性との間で、葛藤は大きかった。

 だが、演算スライムの演算能力は桁外れに高い。

 葛藤を処理するまでの手順が多くても、処理にかかる時間は一瞬なのだ。

 演算スライムは脅威を把握する事を決めた。

 貯水草に浸透させていた流動体が引き上げられる。

 立ち上がった演算スライムは硬化した葉を避けて藪を跳び出した。

 腐牙狼が、その周囲に流動体を纏わせ跳び出す。

 水棲魔獣の流水制御魔法の様な光景だったが、ここは乾燥した平野である。

 それを見た者は居なかったので、誰もその不可思議さを知覚しなかったが。

 同時に腐牙狼の眼を開く。

 数年振りに使用する眼球から送られる情報は、最初の数瞬は僅かに乱れていたが、すぐに機能を調整して正確な情報を送り始めた。

 頭上の月と、暗い平野。

 夜だったのかと、演算スライムはほんの少しだけ余計な思考を行った。

 理性はそれが好都合であると算出した。

 腐牙狼は夜行性なのだから、夜でも視覚情報は問題無く入手出来る。

 演算スライムは腐牙狼の毛皮に魔力を通す。

 灰色の毛が一瞬煌めくと、次の瞬間その姿は周囲の流動体ごと掻き消える。

 姿だけでは無い。匂いも、魔力も、熱も感知出来なくなる。

 良く見ると眼だけが宙に浮いている。

 そこまで隠すと何も見えなくなってしまうからだ。

 腐牙狼の隠密魔法の本質は隔離である。

 普通は魔力の消費量や気力の関係で熱や魔力を隠す程度に留めるのだが、演算スライムにはそれを考慮する必要性は無かった。

 数秒間平野を駆け抜けた演算スライムは、遠方に微かに動く影を見つけて立ち止まり、その場に伏せた。

 流動体が細く地中へと伸び、野草の根へ侵入する。

 演算スライムは野草を介して周囲の様子を伺った。

 腐牙狼の隠密魔法は視覚以外の情報を得る事も出来なくなると言う欠点があるため、野草を介して周囲の様子を伺う他無いのである。

 周囲の野草は前方から漂う匂いを感知していた。

 過去の経験と照らし合わせて、人族の体液だと断定する。

 人族は厄介な相手だと、演算スライムは認識している。

 個体の能力値はばらつきが大きくて予測出来ず、だからと言って集団での能力は分析不可能な理由でより予測が困難なのだ。

 過去に腐蝕魔法の試射を繰り返していた時、人族の集団に襲われたのは苦い経験として記憶されていた。

 規模の大きい破壊も人族の仕業だとすれば納得は行った。

 人族ならばやりかねない。方法は予測不能だが。

 それにしても、と。演算スライムには疑問も残った。

 何故人族の血の匂いが漂っているのかと。

 共食いの可能性もあったが、そもそも争いの予兆が無かったのも気になった。

 演算スライムは流動体を細く伸ばした。

 今度は地中にでは無く、頭上に。

 伸ばした流動体を網状にして広げて、少し離れた場所にある立木に被せる。

 立木には屍喰鳥が何羽か居た。

 網状にした流動体がそれらの屍喰鳥に絡みつき、目や口から脳へと侵入する。

 羽ばたく音と悲痛な鳴き声が僅かに響いて、すぐに静かになった。

 幸いにして屍喰鳥の脳は単純な造りだったため、改造は極短時間で終わった。

 伸ばした流動体は本体へと戻り、簡単な行動制御を受けた屍喰鳥が数羽、夜の空へと飛び立った。

 屍喰鳥は羽ばたく音を隠す事無くゆっくりと前方へと飛び続け、何事も無く遠方へと消えて行った。

 通り掛かっただけで襲われる心配は低そうだと演算スライムは判断した。

 同時に隠密魔法の段階を落とす。

 纏っている流動体は完璧な隠蔽のまま、灰色の獣が夜の平野にその姿を現す。

 腐牙狼の体から発せられる魔力と体温は隠密魔法の効力で隠蔽していたが、それは腐牙狼の生態としては普遍的な範囲である。

 なにより、その状態は魔法と熱の影響を受けにくい特徴もある。

 隠密魔法の本質は隔離なのだ。それは両方向に作用する。

 ゆっくりと、演算スライムは前進する。

 姿勢は低く、足音は最小限に。

 周囲の野草は殆どなぎ倒されていた為に、あまり隠れられてはいなかったが。

 少し歩くと、地面が擂鉢状に抉れているのが見えて来た。

 その表面は部分的に月明かりを反射して輝いていた。

 細く伸ばした流動体がその先端で軽く表面を削って引っ込む。

 輝く表面は土が圧縮された物だった。

 演算スライムはこの破壊を作り出す方法を幾つか算出する。

 確証が無いので一つには絞り込めないが、隠密魔法の応用で回避か軽減が可能だと判断する。

 目線を元の高さに戻し、周囲を見回す。

 人族の上半身が少し離れた場所に転がっていた。

 辛うじて、生きている。

 生きている人族はそれだけの様だった。

 ここに危険がある可能性は低いと判断した演算スライムは、隠蔽魔法を全て解除してその人族の元へと跳んだ。

 人族は虚ろな目で演算スライムを見て、何かを話した。

 人族の言語が理解出来ない演算スライムにその内容は分からなかったが、一応音声としての情報は記憶した。

 人族は暫くすると話すのを止め、死んだ。

 演算スライムは流動体を伸ばし、人族の脳へと侵入した。

 腐牙狼の時とは違い、一気に溶解させて吸収はしない。

 演算スライムは人族の言語を解析しようとしていた。

 そして驚く。

 頭でっかちな種族だとは思っていたが、予想よりも遥かに脳の容積が多く、また情報量も多かった。

 脳自体も、腐牙狼のそれよりも機能的だった。

 俄然人族への興味が湧いた。

 流動体に上半身全てを巡らせて、他の器官には特筆すべき機能は無さそうだと判断する。

 脳はそのまま持ち帰る事に決定し、首を切る。

 頭部に溜まっていた体液を流動体に置き換えて、脳の自己溶解を防止した。

 改めて周囲を見回すも、完全な状態で残っている人族の頭部はこの一つだけだった。

 演算スライムは流動体に包まれた人族の頭部を腐牙狼の背中へ担ぐようにして、その場から跳び去った。


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