演算スライム外伝
――純人教会内部手配書より一部抜粋
手配者名:マルギル高位神官
違反規約:九条二項
容姿:標準的な純人族。赤髪碧眼。身長1.7メートル。
備考:高位魔法全般を高い練度で使用。
加納広海は特定の身体を持っていない。
それはこの世界へ転移して来る際に失ったからだ。
加納広海は他の身体を奪う事で生き長らえて来た。
そして今も、マルギルと言う名の高位神官の身体から、名前も知らない野盗の身体へと乗り移った。
その方法に関しては加納広海自身も詳しく説明出来ない。
具体的には視線を合わせるのと、ある程度相手の意識が自身へと向いていないといけないのは経験から分かっていた。
「…」「…」
加納広海となった二人の人物は深々と溜息を吐いた。
「取り敢えず、どっかで死んで来る」
マルギルの方がそう言った。
それは乗り移ると言うよりは、複写すると言う事に近かった。
同時に存在する加納広海の数には制限が無かったが、それでも無暗に数を増やさない様に調整はしていた。
「頼む」
野盗の方はそう言うとそそくさとその場から去って行った。
これで教会とは縁が切れる。そう思いながら、加納広海は夜道を走る。
旧帝国領ナナユユ共和国側の街道は、グラン諸国側に比べて雑な造りであった。
草木の生えない荒野の様な街道を走りながら、加納広海はこの世界で最初見た光景、ルドアリ平野はこんな場所だったなと、古い記憶を思い起こした。
トラックに轢かれた痛みと共に転移して、同時に身体を失い、半ば気の狂った加納広海は、自身を召喚した者達を殺して逃げたのだ。
同じ日本国出身の転生者、リダダガマスボに出会ったのはその千年後。
街道を走り続けた加納広海は小さな関所へと辿り着く。
その関所は小さな集落に隣接する形で作られており、有料ではあるが食事や酒が振舞われていた。
歓談する者の中にエルフ族を見かけて、加納広海は思わず視線を逸らした。
エルフ族。転生体。護式竜。
それらは全て加納広海が喜多方と言う名で行った人体実験の産物。
リダダガマスボにも知られていない悪魔の所業の産物。
適当な椅子に座って酒を煽ると、何も食べていなかった野盗の胃が厚く燃える様に反応した。
加納広海は四千年掛けて、最初に戻ったのだ。
何も無い。
何の意味も無い個人に戻ったのだ。
加納広海の関与した組織に加納広海の居場所は無い。
ヒヒ帝国はもう存在しないし、純人教会は加納広海の望む組織ではなくなったし、人口の激減した森の集落も後数世紀で滅びるだろう。
加納広海は、死んだ者達の事に思いを馳せた。
エルフ族のローラも居ない。彼女は未完成の時空を超える魔術を使って死んだ。
帝国女皇帝のエダも居ない。彼女は帝国と共に朽ち果てる道を選んだ。
大陸統一を誓ったハルも居ない。彼は時の流れの中で狂い始め自死を選んだ。
奇異な異世界者タナカも居ない。彼は元の世界に戻ると言う名目で自らを消し去った。
同郷の友リダダガマスボも居ない。彼は世界に飽きて自死を選んだ。
皆この世界では異常な程長生きだったが、皆死を望んだ。
共通して千年を超えた辺りから、皆死を渇望しだすのだ。
「まだ、死ぬ気にはならないな…」
じっと手元を見詰めながら、加納広海は呟いた。
加納広海だけは、例外だったのだ。
千年生きても、二千年生きても、三千年生きても、四千年生きても、死への渇望は湧かなかった。
今だってそうなのだ。
死にたいとは思わない。
ただ、生きたいとも思っていない。
「ここいいかい?」
そんな加納広海の前に、一人の女が座った。
加納広海が視線を上げると、粗野な印象の女が酒瓶を片手に座っていた。
「なんだ、辛気臭い顔して!まあ呑め!」
そう言って手元の容器に酒を注ぐ女はジルと名乗った。
名前を聞かれて加納広海は少し悩んだ。
喜多方やネヴと言った幾つもの名前が頭を過ぎり、最終的にヒロミと名乗った。
身体の持ち主はワジと言う名前だったが、何と無く本名を名乗った。
そして目を逸らした。
一目で転生体だと分かったからだ。
(まだ、残っていたのか)
魔王の手先たちのとの戦いで転生体は皆死んだと聞いていた。
目の前に居ると言う事は、実戦投入される前に逃げ出したか、もしかしたら製造された事をエルフ族が把握していない個体かも知れないとヒロミは思った。
「その成り、あんたも傭兵かい?」
ジルにそう言われて、ヒロミは新しい身体を初めてしっかりと観察した。
擦り切れた服、その上から何本かの短刀が仕込まれているのが分かる。
左側の腰に刺された金属棒は盾の役割だろう。
野盗盗賊の類でなければ傭兵以外説明のつかない恰好だ。
「ま、一応」
そう答えながら登録証を見せろと言われたらどうしようかとも思っていたが、ジルは曖昧に相槌を打つだけでそこまでは求めて来なかった。
「登録証見せろと言われたら困ると思うのなら、最初から傭兵かなんて聞かなければいいのですよ」
どこかで声が聞こえた気がしてヒロミは周囲を見回したが、声の主らしき人物は周囲に見受けられない。
と、言うより。
「何か、避けられてないか?」
そこはかとなく距離を取られ、こちらを見る視線もどこか痛みを伴う様な気がした。
「あー。私が嫌われてるのよ。広域傭兵組合通さずに依頼受けるから」
傭兵は十分な金さえ貰えれば仕事は選ばないってねと言って笑うジルに、ヒロミは懐かしさを覚えながらもいつの時代の言葉ですかとつっこむ。
そうつっこみながら、その言葉を聞くのは何百年振りなのだろうかと疑問に思った。
疑問に思うと同時に、一つの可能性に辿り着く。
この転生体は、千年単位の時間を生きているのではないだろうかと。
少なくとも、三千年前くらいには死語扱いだった筈なのだから。
改めてジルを見る。
どこか魅力的な女性にも見えた。
ヒロミは二千年以上自分と同じ様に時の流れを乗り切る相棒を探していた。
目の前の女性がその素質を有するかもと少しだけ期待を抱いて、豪快に酒を煽るその姿に少し自分の考えを修正する。
それはまだ精霊魔法が存在する時代の話であり、ジルの年齢を聞きたいが中々聞けないヒロミの苦悩はこの後約千年に渡って続く。
そのヒロミが魔王の正体に関する話をジルから聞くのはまだ四千年程先の事であり、要領を得ないジルの話から辿り着いた魔王の正体に関して、ヒロミはこう述べるのである。
「それは…名づけるなら演算スライムって感じか」
余談だが、演算スライムと言う単語は魔王再来後も全く定着しなかった。