終章、隠遁
――女神禄補遺より一部抜粋
フロイ:【検閲済み】
女神 :【検閲済み】
フロイ:【検閲済み】
女神 :私は盟友を≪悲しむ/愛おしむ≫
補記
女神とフロイ=サウラの逢瀬は三時間に及び、この後フロイ=サウラは【検閲済み】
上記の会話内容から自然死したフロイ=サウラを女神が【検閲済み】した物と思われる。
本記録が女神とフロイ=サウラの会話を傍受した物に限定される事から、以上を以って記録を完了するものとする。
記録者【検閲済み】
エルフ族からモグラと呼ばれる生物が居る。
ずんぐりとした胴体と尖った鼻、目耳は無く短い四肢の先には鋭い爪を備えている。
帝国では根喰いと呼ばれ、モグラと呼ぶのはエルフ族のみだ。
その語源は喜多方と言う名の古いエルフ族が名付けたとされる以外は不明だ。
土竜の核であったそのモグラは敗走していた。
内包する魔力の残量は少なく、岩石の外殻を以って人族を相手にしていた時の威勢は無い。
魔力増幅器を失ったのが土竜にとって痛恨の出来事だった。
元々護式竜最弱とされていた土竜である。
水竜によって解放された後も他種の竜や森の人を避けてひたすら逃亡し、やっと見つけた安息の地、魔草が支配するその土地では魔王に捕えられ、その魔王から人族の敵となる事を条件に得たのが自由と魔力増幅器だったのだ。
土竜は地中を移動しながら周囲に意識を配る。
風竜は知覚外に居る。水竜の二つを知覚したが、水竜は敵では無い。
先程まで戦っていた人族達はまだ元の場所に居る。
土竜は馬鹿だが、馬鹿なりに考えはする。
考えた結果、逃げ切る事は可能だと思った。
その後は何も考えずに地中を移動し続ける。
丸七日地中を移動して、死んだ。
気が付いた時には、地表に引きずり出されていた。
「土竜発見ー!」
歓声を上げるその人物の魔力に、土竜は覚えがあった。
四千年ちょっと前に火竜や水竜と戦っていた森の人だと、そう思った。
「発見したのはいいが、それが土竜だと証明する方法はあるのか?根喰いにしか見えないだろうから褒賞金も貰えないだろう」
自分と同じ竜の言語が聞こえた。
聞こえたが、土竜にその存在を見つける事は出来なかった。
自分が死ぬ事を今一理解できないまま、土竜は死んだ。モグラとして死んだ。
「褒賞金くらいどうだっていいじゃん。世の中平和に近付けば。転生体は何百年か食べなくても死なないし」
土竜の死体をふらふらと揺らしていたジルは、おもむろにそれに噛り付いた。
「それ、食べるのか」
食べなくても死なないと言ったその口でと、光竜が呆れた声でつっこんだ。
ジルは不味いと言いながらも土竜を平らげた。
修復されたばかりの左腕で下腹部を撫でて、久しぶりに食べたと呟いた。
「しかし、魔王ねえ?」
変な名前を付けたもんだねと言って後ろを振り返る。
魔王、エルダ=サウラがそこに居た。
[その名称を定義したのは私では無い]
今なら教会の討伐隊簡単に全滅させられるんじゃないと言うジルに、演算スライムはそれをしない考えを伝えた。
[この方針は最善ではない様だ]
魔王と言う共通の脅威を作る事によって人族間での無用な争いは激減した。
闇竜の脅威はそれだけ大きかったのだ。
ナナユユ共和国二万、帝国百十八万、グラン諸国三万五千、エルフ五百。
髪流しの氾濫は演算スライムの予想を上回る甚大な被害を人族へ与えた。
ジルに依頼して事態の収拾を図る程には想定外だった。
それでも、演算スライムの望む革新的進歩は無かったのだ。
魔法を体系的に纏め直して魔術と称したり、人族の分化を体系的に調査して整理したり、分散していた技術を統合して纏め直したり、そう言った動きがあったのは事実だ。
しかし、演算スライムにとっては不足している。
例えば、人族は未だに空を飛んですらいないのだから。
[現状の人族は発展の限界に達したか或いは、私の介入で発展可能な余地を失ったかのどちらか]
闇竜も土竜も人知れず倒された。
そして、魔王は倒されていない。
ジル以外の人族はそれら全てが倒されていないと認識させたまま、共通の脅威として配置しようと言うのが演算スライムの考えだ。
それは最善では無いが、有効な措置だと判断した。
[同時に、私の発展も限界を迎えた]
演算スライムは人族の発想を借りなければこれ以上自身が進歩する事は無いと考えていた。
それに加え、演算スライムはもう一つの限界にも気付いていたのである。
演算スライムはジルに手の平大の石を放り投げた。
「なんだこれ?」
受け取ったジルが光に翳す様にして石を見るが、中は見えない。
[私の核だった物が収められている。土竜に与えた物の原典だ]
土竜に渡し、エルフ族の禁呪によって時間の彼方へ飛ばされた物の、オリジナル。
もっとも、極限まで模倣した複製とオリジナルとの間に差異はないのだが。
[それが内包する機能は、既に私自身も内包している]
膨大な質量となった流動体を脳の様に使う事で、その基盤を遥かに超える処理能力を演算スライムは獲得していた。
言い換えれば、それは核の性能が自身に対して限界を迎えたと言う事。
[人族発展の礎になる可能性がある。時節を見て提供しろ]
ジルは掌で石を転がして遊びながら、演算スライムを見据えた。
結局この不思議生物は何なのかを、少しだけ考えて、考えるのを止めた。
「おおー、魔王様から頂いたこの品ー、大切に使わせて頂きますー」
大仰な仕草で石を飲み込んだ。
「飲むのか」
光竜が平坦な声でそう言った。
(上からか下からか悩んだんだけど、下からの方が良かった?)
「下品な思考は止めて!」
ジルの思考に光竜の悲鳴じみた声が返された。
それらの会話は演算スライムには聞こえていない。
[私は少し眠る。起きた時に人族が発展しているか、それよりも優秀な何かが発生している事を願う]
演算スライムが、まるで排水溝から排泄される様に、虚空へと消えて行く。
「少しってどのくらい?」
ジルはまるで明日の予定を聞くかの様な軽さで、演算スライムへ言葉を放り投げる。
[ほんの一億年程]
ジルの言葉と同じくらい軽いその反響話法を最後に、演算スライムは異相空間へ引き籠った。
「ほんの…一億年程ね…」
流石のジルも、その言葉には驚きを隠せなかった。
「一億年後って、私生きてるんかね?」
ジルのその言葉に、光竜は少し考えてから答えた。
「そんな先の事なんて明日考えればいい。明日も、そのまた明日も」
聞く人によっては投げ遣りとも取られないその意見に、ジルは深く納得した。
「それもそうだな」
ジルは立ち上がり、精霊を二十破壊して生み出した惨状を見渡した。
大地は捲り返り、空間も所々断絶している。
「なあ、どうやってここを出よう?」
光竜は無言で安全な空間に道標を作った。
「魔王は良い夢を見てるんかね?」
触れればただでは済まない空間の断絶を、居酒屋の暖簾を潜る様に気安く潜りながら、ジルはそんな事を呟いた。
「我にも分からん」
ジルの事も分からんと言い加えて、光竜は沈黙する。
何と無く、ジルも喋るのを止めた。
序章A´に連なる話は完結。演算スライム補遺に続きます。