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発生、変容

 不定形種。俗称スライム。

 魔物のヒエラルキーにおける底辺であり生態系の底辺でもある。

 魔力を有する生き物の中では最も原始的で、どんな場所にも生存可能であるとされる。

 龍の吐息に焼かれた荒野にも、毒に侵された平野にも、瘴気に覆われた火口にも、真っ先に根付き、死んで養分となり、毒すらも取り込んで養分とし、瘴気を取り込んで薄める。

 環境を少しだけ優しく変え、他の生き物の餌となる。

 もちろん過酷な環境でなくとも不定形種は居る。僅かな魔力があればどこにでも発生する。

 その不定形種は、比較的穏やかな草原に発生した。

 でろりとした身体。表面はぬらぬらと輝いている。

 色は極薄い青。不定形種の標準的な色だ。

 色があると言っても殆ど透明に近い身体は向こう側が透けて見える。

 そうやって不定形種は捕食者の眼を誤魔化す。

 その不定形種はゆるゆると身体を変形させながら、手近な草を体内に取り込む。

 取り込まれた草は不定形種の体内で溶ける様に消化されて行く。

 その消化速度は酷く緩慢で、生きた動物が餌食になる事は殆ど無い。

 大きな個体になると小動物を捕食する事もあるが、発生直後の不定形種は子供の拳程の大きさしかないのだ。

 その草の根元に、小さな欠片が落ちていた。

 灰色の石に半分埋まっていたその破片は、薄黄色の長方形の板だった。

 板の表面には銀色の線が幾筋も引かれていて、その線は互いに交わる事無く中央の黒く四角い板に集まっていた。

 銀色の筋の上には数か所鈍色の金属がこびり付いていて、時折空気中の僅かな魔力を吸収していた。

 吸収された魔力は中央の四角い板に送られ、板に刻まれた魔法式が一瞬活性化して、何も起きないまままた不活性化する。

 不定形種はそれを気にしていない。

 気にする意味も無い。

 だから、気にしていなかったからこそ、ゆったりと草を消化する最中そのぬらぬらした体表がぴたりと、板の表面に触れた。

 不定形種の体表が、震えた。

 そのまま日が沈むまで、不定形種は動かなかった。

 消化も止まったままだ。

 日が沈んでしばらくしてから、ようやく不定形種は動き始めた。

 まず消化途中だった草が完全に消化された。異常な速度で。

 それは不定形種が効率的な消化方法を算出したからである。

 平行して薄黄色の板を体内に取り込む。

 周囲の石だけが粉状に分解され、板は原型のまま。

 それが重要な存在である事は長い停止時間の間に理解していた。

 透明である筈の不定形種の体内に、灰色の丸い核が生成される。

 薄黄色の板はその中へと納まっていた。

 核の表面には小さな穴が無数に開いていて、本体である不定形種の流動体は核の内外を循環可能な構造になっている。

 日が落ちた暗闇の中で、不定形種は自身の身体を新しい構造へと瞬く間に作り変えたのだ。

 本来中心となる核を持たない不定形種だが、この個体は不定形種の基本構造に拘る意味を失っていた。

 核を持たないのは特定の弱点を持たない不定形種の生存戦略。

 その戦略より重要な物を、この個体は手に入れている。

 その不定形種をじっと見ていた存在があった。

 腐牙狼。

 夜行性で単独で狩をする、夜の草原では比較的危険度の高い魔獣。

 奇妙な不定形種故に暫く様子を伺っていたその腐牙狼は、最終的に危険無しと判断した。

 気配を消しながらゆっくりと、腐牙狼は不定形種を襲う準備を開始した。

 姿勢を低くして草に隠れ、足音も立てずに忍び寄る。

 腐牙狼の視線の先で、不定形種はその身体を平たく変形させ、大量の草を食らっていた。

 まるで草が地面に吸い込まれる様に消えて行く。

 平たく変形していると言う事は、的は大きくなったと言う事。

 好機と判断した腐牙狼は後ろ脚に力を貯め、跳躍する。

 彼我の距離は腐牙狼の体長に換算して五頭分はあったが、次の瞬間腐牙狼は不定形種にその牙を突き立てていた。

 牙に魔力が集まり、腐蝕の魔法が放たれる。

 だが、魔法の効力圏に不定形種は居なかった。

 ただ土と草だけがどす黒く腐敗した。

 不定形種は、捕食した草の生態を利用して腐牙狼の接近を察知していた。

 不定形種が捕食していたのは魔草の類ですらない草だった。

 その野草に限らず、殆どの野草は傷つくと傷口から体液を放出する。

 草の匂いがそれである。

 その匂いを察知する事で、野草は防衛的な反応と取る。

 昆虫類の嫌う物質を生産したり、種族によっては僅かにだが硬化したり。

 不定形種は腐牙狼が音も立てずに踏んだ草が発したその匂いを感知していたのだ。

 濃い匂いから予想されるのは食害では無く、踏み潰されたり折られたりと言った外傷。

 そこに魔力や獣の匂いは感知出来なかったが、何かが居る事は明白だった。

 そこに居る何かが気配を消しているのなら、高い確率で自分を狙っている捕食者だろうと、不定形種は予測した。

 予測出来ている攻撃を避けるのは、特殊な性質を帯びたその不定形種にとっては容易い事だった。

 腐牙狼は顔を上げて辺りを見回すが、不定形種は見つからない。

 不定形種は腐牙狼の喉元に張り付いていた。

 腐牙狼が喉元の違和感に気付くより早く、不定形種は次の手を打つ。

 不定形種から数本の突起が生え、するすると伸びたかと思うと腐牙狼の体内へと侵入した。

 耳から、鼻から、口から、目から。

 突然の不快感と痛みに驚いた腐牙狼は、訳も分からず前脚で自分の顔を引っ掻く。

 大して鋭くもない爪では何の意味も無かったが。

 抵抗は数秒程しか続かない。

 腐牙狼の四肢がぴんと伸ばされたかと思うと、その身体は地面に倒れる。

 口から泡を吹き、筋肉は全て収縮する。

 不定形種の先端は腐牙狼の脳に達していた。

 そして、浸食が始まる。

 腐牙狼の脳は溶け、頭骨の内部にはずるずると不定形種の身体が侵入する。

 食した脳の分だけ容積の増した不定形種にとってそこはやや狭かったが、それほどの問題は無かった。

 流動体から先に、最後は核が鼻腔を無理矢理押し広げながら頭骨内へと収まった。

 数刻の間夜の草原で腐牙狼は痙攣していたが、その痙攣も徐々に収まり、何事も無かったかの様に立ち上がる。

 立ち上がった腐牙狼の身体は不定形種の制御下にあった。

 元の腐牙狼の個性は既に無い。

 軽く走ったり飛び跳ねたりして腐牙狼の性能を確かめた不定形種は、手近な立木に近寄ると、牙を突き立てた。

 牙に魔力が集まり、腐蝕魔法が放たれる。

 本来は腐牙狼の身体をどうにか包み込める程度の範囲、それもやや歪な球形の範囲しか届かない筈のその腐蝕魔法が、立木を根から枝先まで黒い土塊へと変化させた。

 立木以外には一切被害を出さずに。

 腐牙狼の身体を操る不定形種はその結果を当然の様に受け入れて、少し離れた藪へと移動する。

 背丈の低い平野よりも、外敵に見つかり難いからと言う判断である。

 見つかり難いと言っても気休め程度だが。

 腐牙狼の身体を手に入れた時点で、主な外敵は赤翼怪鳥と草原狼と人族辺りしかいないのだが。

 その行動原理は底辺たる不定形種の本能だった。

 ここルドアリ平野においては正体不明の腐獣として噂されるその不定形種に特別な名前が付けられる事は無い。

 それでももし、他の不定形種と区別する為の名前を付けるのであれば、演算スライムとでも呼ぶのが適当であろうか。

 これが、誰も知らない演算スライムの発生の瞬間であった。

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