淘汰、転機
千五百年程続いた不仲が解消される。
その式典はそれを宣言する場でもあった。
純人教会が獣人や亜人に対する態度を改めたのだ。
エルフの住民やドワーフと言った亜人達。彼等の様に純人に有用とされる者達に対する迫害は随分前から形式的な物でしかなかったが、不要とされていた獣人に対する迫害まで禁じたのは当の獣人達にとっても予想外の出来事であった。
教皇であるネヴとその側近達は六十区で記念式典を終えて懇談会を楽しんでいた。
会場は六十区の中央街にて執り行われており、区長以下六十区の要職に就く者達もまた、新しい時代の幕開けを予感して懇談会を楽しんでいた。
実の所、六十区としては労働力になるのなら何でも良かったのだが。
しかしながらこれまでと正反対である一連の決定に異を唱える者も多く、懇談会会場周辺は六十区に駐留していた重武装使節団による警備が行われていた。
「これまでの私の館に対する警備活動並びに」「式典開始から一切休まず警備活動ご苦労様です」
会場入り口を警備する二人に、ルー達は労いの言葉を投げ掛けて、会場から出ようとした。
「…来賓の方々がもう帰られるのですか?もう少しゆっくりして行かれれば宜しいのに」
普段の法衣では無く、儀礼用の装飾が施された法衣に身を包んだ警備要員の一人がルー達に声を掛けた。
「いつぞやは帝国技師団の方を引き連れて護衛に」「当たって頂いたお二人の死ななかった方ですね」
ルー達の言葉に、声を掛けた警備要員の顔が強張る。
もう一人の警備要員は無言だが、僅かに訝しげな視線をルー達へと向けた。
「原則派の方々におかれましてはこの度の式典」「酷く不快であろうと思われますので」
ルー達は終始無表情である。
声を掛けた警備要員の腕に片方のルーが手を添えた。
ルー達のどちらかが偽物である。
少なくとも、教会の公式見解はそうである。
外見では全く見分けのつかない二人のルーの内、手を添えたルーがどちらのルーなのかは警備要員達にも判然としない。
唯一の相違点であった桃色と橙色の髪飾りすら色褪せてしまい、数年前から重武装使節団はルー達の個体識別方法を喪失してしまっているのである。
しかし、手を添えられた原則派の警備要員はそれが偽物のルーであると確信していた。
確信に至る確かな事実はその警備要員の経験から来る感覚だけだ。
その警備要員は過去に擬態種を殺処分した経験があった。
今手を添えているルーに対して、擬態種の関節即が首元に迫った時以上の恐怖を感じていたのである。
本能の訴えは明確であった。
これは擬態種より危険な何かであると、そう本能が訴えていた。
隣にいる融和派の警備要員を殺し、ルー達を殺してしまおうと思っていたその警備要員の覚悟が、いとも容易く粉砕されてしまっていた。
[その思想は、人族の分化と発展を妨げる]
反響話法が恐怖する警備要員へと照射された。
その余りに異質な声、正確には声ですらないその意思に、その警備要員はただただ硬直するばかりである。
[停滞する外敵もまた人族の分化と発展を妨げる]
殺意を殺されてしまった警備要員から視線をそらし、二人のルーは終始無表情のまま会場を後にした。
放心してその場に座り込んだ警備要員が、異端思想を持つからと言う理由で殺害した者達の事を語る日は、来ない。
その警備要員が行方を眩ますのは翌日の事であり、語られない犯罪は例え露見したとしても教会の趨勢に何ら影響はしない。
「何を話していたの?」
周囲に誰もいない事を確認して、ルーがルーに話し掛ける。
「可能な限り限定して照射した積りだったが、気づいていたか」
ルーがルーに応える。
同じ声であったが、その印象はどこか機械的であった。
「三十年も一緒に居たら分かるわよ?」
ルーはルーに小首を傾げて笑い掛けた。
「人族の多様化は重要な事だと、そう伝えておいた」
私達は人族ですらないのにねとルーは応え、お前は人族の一部だと解釈しているとルーは応える。
「人種と融和出来なかった擬態種は、潰える」
ルーの静かな言葉に、ルーは悲しそうに笑った。
「お別れの時かしら?」
ルー達は歩みを止めて見つめ合う。
「声を貰った。別離すればいずれ失う声だが、とても感謝している」
機械的なルーが、色褪せた髪飾りを外してもう一人のルーに渡した。
「この能力が自分以外にも使える事を教えてくれた事に感謝しているわ」
色褪せた髪飾りを受け取ったルーは、若干涙ぐみながらそう言った。
「そう言えば、私の先祖がヒトならざるモノに助けて貰ったって言い伝えがあったわね」
どんな人物だったのだと言う問いに詳しい事を聞く前に両親は死んでしまったと答えが返された。
髪飾りを外したルーの姿が、エルダ=サウラのそれへと変容した。
「ルー。お前はそんな簡単には死ぬな」
演算スライムはルーと同じ声でそう言った。
「人族は安定してしまった。現状のままではこれ以上の発展は難しい」
それが寂しいのねとルーは言った。
演算スライムは無言で頷いた。
「変容した擬態種と人族の混血は、他の種族の特性を引き継げる。だっけ?」
無表情の演算スライムと、ルーは笑顔で語り合う。
「それは食べる事によって成される。六十区から続く系譜は他の種を捕食するだけでその特性を引き継ぐ」
演算スライムは無機質な響きを含ませた声で淡々と語る。
ふと、ルーが中央街の方へと顔を向けた。
「始まったのかしら?」
ルーの鼻は、風に乗った血の匂いを嗅ぎ取っていた。
「擬態種しか産めない擬態種と、その天敵たる教会の原則派が手を取って、最後の悪足掻きかしら?」
融和派はこれを凌げるのかしらと言うルーに、演算スライムは問題無いと即答した。
ルーはその判断に至る理由には関心を示さず、ただ微笑んだ。
「外敵もまた、発展するべきだったのだ」
そんな言葉を最後に、演算スライムは無表情のままその姿を消した。
三十年ぶりに一人になったルーは、手の中の色褪せた髪飾りを見た。
そして考える。
この髪飾りは何色だったのだろうかと。
ルーには自分が本当に自分であるかを確認する方法が無い。
まるで半身を失ったかの様な、途方も無い落失感がそこにはあった。
「容姿端麗にして無表情。形状不定にして破壊不可能」
幼い頃、両親から聞かされた御伽噺の一節。
「詳しく聞いていなくても分かったわよ。あんなのが沢山いるとは思えないしね」
ルーの心にぽっかりと空いた空洞は、しかし実の所十分に満たされていた。
ルーとルーの庇護する獣人達を取り巻く環境は依然として厳しいのだから、感傷に浸っている暇などなかった。
天敵たる純人教会の方針がまたいつ変わるかも知れないのだ。
やるべき事は沢山ある。
獣人を保護する行為は演算スライムの意思だが、ルーはそれを放棄しようとは微塵も考えていなかった。
しかし、さしあたってルーが対応しなければならない課題はそれとは別に一つ。
「一人になった事をどう説明しよう…」
幼少期の様に気が付かない振りで押し通す事も出来ないこの現実に、ルーの表情が少しだけ曇った。
それは髪流しの氾濫と呼ばれる大惨事が起きる二百年程前の事、まだ魔王と言う概念の存在しない頃の話であった。