監視、交代
――純人教会最高機密資料・要絶滅種一覧より一部抜粋
敵性種指定20番:擬態種
危険度:高9
排除指標:急10
簡易種族概要
幼齢時の姿は白銀色の肌に三つの眼を有する人族の頭部に似た本体から、刃物状の関節足が放射状に八本生えている。垂直面も移動可能。※図71参照
肉食性で多種多様な動物を捕食する。
最大の脅威は捕食した種の姿形を再現し、その種の雌に擬態する事である。※但し異説有。補記229参照
擬態種に雄は存在せず、擬態した種の雄と交雑して擬態種の仔を孕む。
仔はその殆どが擬態種の姿で生まれ、大抵の場合父親を捕食してその種に擬態する。
そうやって長く特定種に擬態し続けた氏族の仔は、その特定種に擬態した状態で生まれる場合があるとされる。※補記190参照
詳細な擬態の仕組みは不明だが、捕獲した幼齢個体を用いた実験により何等かの魔法であると推測されている。※補記173参照
主な汚染地域は――
六十区内で高位治癒魔法は日常的な物になっていた。
病傷者は六十区の北に存在するルー達の館へと赴き、ルー達との直接交渉によって対価を決めて治療を受ける。
対価は大抵の場合無償労働に従事する事であり、それらの労働力を駆使してルー達は館で悠悠自適な生活を送っていた。
その館は外観こそ豪華絢爛と言う訳でも無いが、エルフ特産の建材を使った堅牢な屋敷は並大抵の事では崩壊しない。
屋敷には特定の使用人はおらず、必要に応じて召集された労働力が出入りする以外は患者の受け入れがあるのみだ。
少女二人が住まうその屋敷を、第二十八期重武装使節団は常時監視していた。
第二十七期重装備使節団と派遣された五名の研究者はルー達によって皆殺された。
帝国弓兵機動隊十名を引き連れた技師の一団もまた、同様の末路を辿っていた。
前区長のダガはそれらの巻き添えで殺された。
ルー達からすれば自分達の周りで勝手に殺し合いを始めた者達を一切区別する事無く平等に排除しただけなのだが。
「交代の時間か」
鎧の上から法衣を羽織い、儀式用の剣を腰に差した重武装使節団の監視要員が、遠方より定位置へと向かう法衣を見てそう呟いた。
「…法衣を着ていない者が一人一緒に居ますね?あの赤い服は誰でしょうか?」
剣は持たないが手甲をしている監視要員が、見慣れない服を着た人物を見咎めて不信感を露わにした。
やがて、交代人員が定位置へと到着する。
「通常交代の時間です。引き継ぎをお願いします」
「受け入れ病傷者は十二人。他異常無し。所で、そいつは誰だ?」
交代人員と共に定位置へと訪れた者は、赤い服を着た女だった。
その服は白衣と呼ばれる帝国技師の正装であったが、その名が示す通りそれは通常白い。
帝国民では無い重武装使節団は知らなかったが、その女はかつて生体研究の第一人者と言われたギナギ技師の元助手であり、現在帝国技師会の総帥である女だった。
名は誰も知らず、単に元助手と呼ばれる。
「同じ様な任を負った技師会の者ですよ。監視員と言うか見張り番と言うかね」
肩を竦めて、元助手は視線を館へと向けた。
「十年も放置しておいて今更か?」
剣の監視員の怪訝な声音に、助手は皮肉を込めた笑みを浮かべて何も言わなかった。
話すだけ無駄だと手甲の監視員に諭された剣の監視員はそれ以上の詮索をしなかった。
二人の監視要員は八十時間振りにその肩書きを外し、交代要員が来た道を歩いて去って行った。
「…しかし、本当に何故この時期なんだ?」
肩書きを引き継いだ監視員の一人が、去って行く二人が見えなくなってから思い出した様に尋ねた。
「色々。単純に技師が沢山死んで大変だったってのもあるけど?」
何か考える様な素振りをする元助手の赤い白衣が、風に吹かれてひらひらと揺れた。
「それに教会が人派遣して見張ってるんだから、それを活用した方が楽だったってのが大きいね」
二人の監視要員の視線は元助手では無く館へと向けられている。
「で、今更介入しようとする厄介そうな女の同行を許可した理由は何?」
監視員の一人が一瞬だけ元助手に視線を向けた。
不快な笑みが監視員の瞳に映り、それは直後に館の外観で上書きされた。
「…帝国の技師連中は、あの少女達をどう思っている?」
元助手に視線を向けなかった監視員が発したどこか迷う様なその言葉に、もう一人の監視員は冷淡な視線を向け、元助手は若干の喜色を含んだ視線を向けた。
「さあ?技師ならぬその助手にはなんとも。それよりも、使節団の中にそんな言い方する人が居る事の方がびっくりね。少女達、なんてねえ…」
まるであの二人を人族だと思っている様な言い方ねと、元助手は意味有り気な視線を無言の監視員へと向けながら呟く。
「教会の考えを盲信していたらちょっと長生しただけで異端者だ」
切って捨てる様な言い方に無言の監視員が眉根を寄せたが、それに気付いたのは元助手だけであった。
「確かにね。教会の言う純人類の基準って、千年生きただけでも異端認定だっけ?」
楽しそうに喋る元助手の視線は相変わらず無言の監視員へと向けられていた。
「獣人だろうが亜人だろうが化け物だろうが、有用な人材であれば活用するべきだ」
また一人、館へと入って行く病傷者を目で追いながら、饒舌な監視員は言葉を止めない。
「これは俺の私見だが、擬態種の擬態魔法は治癒魔法の一種ではないかと、そう考えている」
古い記録にも擬態種と思しき個体が無詠唱魔法を使った事例があったなと、無言の監視員が初めて口を開いた。
「ラル技師の秘書だな?帝国民、お前ならそれにも詳しいんじゃないのか?」
元助手は二千年以上も前の話を調べてる暇は無いねと、薄く笑って視線を館へと向けた。
「数値化魔法使っても解析不能なんて、生物の枠組み超えた存在だね」
小馬鹿にした様にそう言った元助手の目が細められ、纏う空気が変容した。
その気配に監視員達がその視線を元助手へと向けた。
二つの視線が行き着く先で、元助手は無表情で館を見詰めていた。
「一つだけ、技師会の明確な方針を教えてあげる。それはね、彼女達が何であろうと技師会は積極的に介入しない事。技師会が決められたのはただそれだけ」
それまでの曖昧な口調から一転してきっぱりと断言されたその言葉に、監視員達は後に続ける言葉を見失い、何とも形容し難い沈黙が三人を包んだ。
監視員達の視線が元助手へ向いていたのは数分間。
三つの視線は、館へと向けられて、固定される。
沈黙は約七十時間続いた。
「疲れたから帰るわ」
その沈黙はそんな短い言葉で破られる。
七十時間は監視員達に交代が訪れるには少しだけ足りない時間である。
自らの意志で定位置を離れられない監視員達に、元助手はもう一つだけ短い言葉を残して、七十時間前に来た道を戻って行った。
元助手曰く、さわらぬ神に祟り無し。
去って行く元助手に一瞬だけ視線を送って十分に離れた事を確認してから、饒舌な監視員は一つの疑問を言葉にした。
「…タタリって何だ?」
寡黙な監視員はそれを知らないし、何も答えない。
その二人の会話は十分な距離を離れた元助手には聞こえていなかった。
当然ながら元助手が定位置から離れた場所で、二人には聞こえていない。
「しばらく放置している内に、教会の質も随分落ちた物だ」
元助手は苦い表情をしながらそう言った。
その表情のまま一時間程徒歩で移動した元助手は、六十区の中心部へと辿り着く。
六十区に関するラル技師と帝国の取引は未だに健在であり、帝都の様な例外を除くのなら六十区の生活水準は高い。
石壁の街並みを元助手はふらふらと流される様に歩いて行く。
そうしていつの間にか、元助手は入り組んだ街並みの日陰に流れ着いていた。
空家と空家に囲まれた寂れた袋小路で、元助手は立ち止まる。
「折角出て来やすい場所を探し出してあげたのに、いつまで隠れている積もり?」
元助手の言葉を受けて、法衣を着た二人の人物が姿を現した。
「…指定6822号。ギナギ技師の助手だった名前の無い女」
一人が、剣を構えて感情を抑えた低い声でそう言った。
「長生きしただけでこれだから教会は…。約七十時間振りかな?監視業務が終わった後で更にお仕事するなんて、信心深いね」
言いながら、元助手は左右に揺れた。
飛来した針が突き当りの壁に突き刺さる。
「教義の贄になれ」
針を飛ばした人物がミスリル銀の手甲で元助手に殴り掛かった。
金属が硬い物に衝突する音が袋小路に響く。
「魔力性硬化症、ってのはもう古い言葉かな?でも精霊被曝症は一般的な言葉ではないよね?」
岩盤をも叩き割る威力の拳を素手で受け止めた元助手は、涼しい顔で続く追撃をもう片方の手で受け止める。
味方を貫いたミスリル銀の剣もまた、元助手は素手で受け止めた。
心臓を貫かれて絶命した手甲の人物は、だらりと首を垂れた。
剣の人物と元助手の視線が交錯し、勝負は着いた。
「…な…s」
何かを言おうとする剣の人物はその瞳から一瞬だけ知性の色を失った。
「気分はどうだい?私よ」
元助手が剣の人物に問い掛ける。
「毎度の事だが、最悪な気分だ」
剣の人物が問い掛けに答える。その声は先程までと同じ音だったが、印象はがらりと変わっていた。
「…ふむ、この人物はネヴと言う名前の様だ。原則派の若手中堅って所の様だな」
剣の人物は他人事の様に自分の情報を語る。
「ほう、一人目から当たりだな。後二年である程度の功績を積み上げておけよ?」
元助手は心なしか弾んだ声でそう言った。
「そっちこそ、身辺整理しっかりしておけよ?」
剣の人物の声も、どこか楽しそうにそう言った。
二人は一人の死体をその場に放置して袋小路から姿を消す。
帝国技師会の総帥が替わるのはそれから二年後の事であり、純人教会の方針が大きく変わるのもまた二年後の事であった。
そしてそのどちらも、本当の理由が対外的に周知される事は無い。
「真相は常に天幕の向こう…ふふ」
剣の人物は雑踏を歩きながら、古い諺を呟いた。