序章H
その場には二人の幼女がいた。
第二十七期重武装使節団の指揮官であるナルグは非常に悩ましい状況に直面していた。
それは六十区の区長であるダガも同じであった。
片やその幼女を天敵として殺処分しようとする者。
片やその幼女を殺させまいと庇護する者。
そして渦中の幼女は異端な外見をしていた。
五体欠ける事は無いその幼女は、耳が多かった。
頭部から余分に生える一対の耳は、人族のそれとは大きく掛け離れた形状をしていた。
それはいわゆるネコミミなのだが、この世界にその概念は無い。
人族ならざる部位を持つ者は獣人と総称され、その最も古い記録は二千年程前、六十区が開拓区域に指定された百年程後の事であったとされる。
それは親から子へと受け継がれる形質とは異なり、標準的な人族同士から何の前触れも無く生まれるのだ。
時折生まれた獣人に対して、六十区の住民はずっと寛容だった。
グラン諸国で権力を持つ純人教会の力が長い間帝国には及んでいなかった事が大きな要因であった。
教会が強く干渉し始めたのはハル皇帝が崩御した後の事だ。
獣人の全処分を迫る教会と六十区を筆頭とする旧開拓区は当然激しく対立した。
最初の重武装使節団派遣から千五百年程経った現在も、両者の関係は変わっていない。
千五百年の時間が流れ、当初対立していた者達は皆死んだ。
人族で最も長寿である森の人であっても、千五百年経てば世代が移る。
人族であれば、千五百年経てば最初の状況は忘れ去られる。
結局の所両者の対立は半ば形骸化しつつある状況であり、そんな状況であるからこそ、対立する者達の頭であるナルグとダガは膝を突き合わせて悩む事が出来たとも言える。
「「ルーは眠たいのです」」
向かい合っていた渋面が、揃って幼女達の方を向いた。
獣の耳を生やした幼女達は、頭にそれぞれ桃色と橙色の髪飾りを着けていた。
無垢な瞳を眠たそうに手の甲で擦り、その口からは大きな欠伸が漏れた。
ルーと名付けられたその幼女は、二人いた。
ルーは二人いない。双子では無いし、兄弟も姉妹もいない。
両親を魔物に殺されたルーは十日程前まで天涯孤独だったのだ。
今、ルーは二人いる。
外見が同じなのは言うまでもない。
行動まで同じなのだ。
喋る時は二人同時に同じ事を喋り、欠伸も瞬きも同調している。
無理矢理引き離せば別の場所に存在させる事も可能であり、片方を動けない様に抑えていれば同調して動く訳では無い。
逆に、物理的に可能であれば二人のルーは常に一緒に居る。
ダガはルーに危害を加える気は無いのだが、しかしながらどちらかは偽物であろう二人のルーをこのまま容認する事は、区長としては出来ない判断なのである。
ナルグは当初両方とも殺処分してしまえばいいと考えていたが、定期報告でルーの状態を伝えた所教会から待ったを掛けられてしまったのだ。
興味深い状況だと言う理由で調査を要求され、一方的に送り込まれる研究者の補助を指示されたとあれば面白くない。
両者はこの状況を正しく理解する必要があり、二千年近い対立は六十区限定で棚上げとなった。
そして、二人揃って悩んでいるのである。
さっさとこの下らない現象を解明して元の対立状態に戻りたいのだが、どうしていいかすら見当がつかず、悩んでいるのである。
ナルグもダガも生まれた時には既に旧開発区と重武装使節団は対立していたのだから、それが平常である二人にそれ以外の関係性は非常に気持ちが悪かったのだ。
「「…ルーは勝手に眠りましゅ」」
どうあっても安寧の無い大人二人に対して、二人の幼女はとても平和そうであった。