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廃墟、敗北

 ――数値化魔法取扱説明書より抜粋

壱、使用方法

 魔法具柄を片手で握りながら「ステータス」と詠唱する事により、目の前に数値化された詠唱者の能力が表示されます。

弐、表示内容・基本表記

 体力:死者を0とした数値で、この数値が高い程詠唱者は死に難いです。

 攻撃力:詠唱者の外部に与え得る影響力の最大数値です。

 防御力:詠唱者の外部から受ける影響に対する抵抗力の最大数値です。

 魔力:詠唱者が内包する魔力を数値化した物です。

 応魔力:詠唱者の魔法に対する耐性、或いは魔法行使精度の最大数値です。

参、表示内容・特殊

 種族値:甲数と乙数二種類の数値が表示されます。数値の大小による優劣は無く、詠唱者の先天的な特徴を数値化した物です。

 能力:詠唱者が先天的に所持する突出した特徴です。抽象的な言葉によって表示されます。

 称号:詠唱者が後天的に会得した突出した特徴です。抽象的な言葉によって表示されます。

 階級:詠唱者の総合評価です。数値が大きい程優秀な個体である事を示し、併記される抽象的な単語によってその方向性が示唆されます。


 旧エルダ領は最早人族の住める土地では無かった。

 変異した貯水草の根による多種の支配は植物に留まらず、動物さえも貯水草の手足と成り下がる。

 貯水草が支配したルドアリ平野で見かける動物と言えば、絶滅を待つ腐牙狼の末裔が少数と時折赤翼怪鳥が訪れる程度であり、栄華を誇った女神の国は緩やかに風化する無機物が静謐な街並みを残すだけだった。

 街は演算スライムの提言、一般的には女神の敗北宣言と呼ばれる提言によって計画的に放棄されていた為、構造物自体はまだ寿命を残していた。

 エルダの象徴とも言うべき中心部にあった塔も未だに健在であり、長い年月を経て子犬程度の大きさになった赤翼怪鳥の群れが飛んで来て翼を休めていた。

 馬鹿でも煙でも無いから、と言う訳でも無いのだが、貯水草は高所を忌避する傾向があった。

 小型化して弱体化した為ルドアリ平野の覇者の座を追われた赤翼怪鳥であるが、人族にとってはそれなりの脅威でもある。

 タナカ技師の護衛と言う名目で付いて来た帝国機動弓兵隊の生き残り十名は、拠点となる塔の五階層へ訪れる赤翼怪鳥を片端から撃ち殺していた。

 矢が勿体無いから止めなさいとタナカ技師は諭したが、三分の一に目減りした兵士達は恐怖からその行為を止める事は出来なかった。

 タナカ技師はそれ以上の意見を言わなかった。

 付いて来てくれとは頼んでおらず、むしろ来るなと言うのに付いて来た者達に対してそれ以上の義理は無いからだ。

 兵士達はルドアリ平野における貯水草の脅威を目の当たりにした今、タナカ技師の助力無くして無事帰還出来ない事は理解していた。

 タナカ技師が作業を終えて帰還する際に金魚の糞の如く付随する事に、兵士達は一縷の望みを託したのだ。

 それでも生き残れない事は薄々察知していたが、そこからは目を逸らしていた。

 兵士達が矢を撃ち果たす頃、塔に拠点を設営してから二ヶ月目に、タナカ技師の作業は第一段階を終えた。

 五階層の中央に鎮座していた女神像は解体されて下の階へと移され、代わりに五角柱の青黒い魔法具が鎮座していた。

 更に三ヶ月が経過し、兵士は気が触れた一人を残して皆死んでいた。

 演算スライムがエルダを訪れたのはそんな頃だった。

[どちら様ですか?]

 演算スライムの反響話法に反応した兵士が虚ろな目を向けて意味の無い言葉を垂れ流した。

 一方でタナカ技師は演算スライムの方を一瞥しただけで何も答えず魔法具へと向き直る。

 エルダ像が撤去されていた事に若干不快感を得た演算スライムであったが、未知の魔法具に対する興味はそれをあっさりと上書きした。

 演算スライムは人族を模したその外観に無数の眼を展開させた。

 それらの眼は全て魔力を感知する眼である。

 演算スライムの視覚には多数の魔力の流れが見えていた。

 一つは大気中に偏在する魔力。それらは斑のある霧の様な情景として見えていた。

 一つは貯水草の魔力。床を透過して遥か下に見えるその魔力は、海の様に広がっていた。

 一つはタナカ技師の纏う魔力。ジルの天恵魔法に似た魔力は、エルダ全体を包み込む規模だった。

 一つはタナカ技師の紡ぐ魔力。無数の食指が魔法具を撫で回していた。

 一つは魔法具の外と内に流れる魔力。内部に五十個程存在する結晶石から漏れるその魔力は、魔法具に幾何学的な模様を描くかの様に流れていた。

 そのまま四時間程、タナカ技師の作業を見守った。

「faikjr/o:f」

 ぽつりと、タナカ技師が呟いた。

「儂の本当の名前だ」

 それは演算スライムの知らない言語基盤だった。

 それもその筈で、それはこの大陸はおろかこの世界のどこにも存在しない言語であった。

 大陸には共通言語があるが、一方で無数の地域言語もある。

 演算スライムはそれらの言語を全て理解する一方で、それで全てだと認識していないので、タナカ技師の言語もまた地方言語の一つなのだろうと推測した。

「儂の出身国はf/hkl:,mと言う所でね、この魔法具はそこでは一般的な物なのだよ」

 こっちで再現するのはとても大変だったけれどねと、タナカ技師はそう言って作業の手を止めた。

[f/hkl:,mと言う名の地域は知りません]

 演算スライムの反響話法を感受すると、タナカ技師は目を見開いて演算スライムに顔を向けた。

「鑑定」

 タナカ技師の短い詠唱と同時に、纏う魔力が顫動した。

「ふむ、はて、何だったかな?」

 タナカ技師は小さな手帳を取り出すとぺらぺらと頁を捲る。

 演算スライムの視覚がそこに書かれた無数の数字と文字を読み取るが、意味は分からなかった。

「ほ、一番近いのは不定形種とな?お主不定形種か?」

 手帳から顔を上げたタナカ技師の素っ頓狂な声に、演算スライムは肯定の意を反響話法で伝えた。

 抽象送達がそれかと、タナカ技師は独り納得した様に頷いた。

 そしてLeo./loを理解している訳では無いのだなと、残念そうな言葉と共に少しばかり失望を含ませた溜息を吐いた。

「儂と同類かとも思ったが、そうでも無い様だな」

 その顔に浮かぶ笑みには僅かな寂寥感が混じっていたのだが、それは演算スライムにも検知出来ない程僅かな感情だった。

「お主は何をしにこの場所を訪れたのか?」

 タナカ技師は片手を魔法具に触れさせながらそう尋ねる。

[里帰り]

 演算スライムの回答に、タナカ技師は口を閉ざして思案し始めた。

 二時間程の間、時折壊れた兵士の呻き声がする以外は静かな時間が続いた。

 その静けさは飛来した四匹の赤翼怪鳥の鳴声で撹拌され、演算スライムがそれらの首を刈り取る事で再び静けさが沈殿して行く。

 タナカ技師がそのとばっちりで撥ね飛ばされた兵士の首を一瞥したのは、その首が転がってから三時間が経過した時だった。

「お主はここで発生したのか?」

 旧知の友に話し掛ける様な気安さで、その問答は開始した。

[起源はルドアリ平野と認識している]

「旧エルダで無く、ルドアリ平野が故郷か」

[この塔でかつて、女神と呼ばれていた]

「…だが女神では無い」

[そうだ]

「ではお主は何だ」

[不定形種]

「それも違う」

[先程そちらから不定形種と定義され、肯定は受諾されたと記憶している]

「儂は一番近いのは不定形種だと言ったのだ」

[肯定。その様に言っていた]

「お主は不定形種に近いが、不定形種とは異なる」

[意図が理解出来ない]

「不定形種はこの塔から投げ捨てられれば落下死するだろう?」

[肯定。その様な光景は既視である]

「そうか!見た事があるのか。ならば話は簡単だ。お主はその程度では死なぬだろう?」

[肯定。しかし、それが不定形種で無い事の証拠にはならない]

「いや、なる。お主はどうやったら死ぬのだ?お主の体力は測定不能。能力の衝撃均一化が通常の不定形種のそれと同じだとすれば、お主の体積は不死身を実現させる程なのだろう?」

[大半は理解不能だが、冒頭に関しては肯定。私は私が死ぬ条件を特定出来ない]

「最早それは不定形種とは別の種族だ。だからこそ問う、お主は何だと」

[部分肯定、しかし私は不定形種だ]

「ならば、その証拠を見せてみろ」

 演算スライムの形状が、普遍的な不定形種のそれへと変容した。

「形状を変えても証明出来ぬ。最早それは不定形種とは別種だ」

[理解不能。算出不能。私は何だ?]

「お主は何だ?」

[私は何だ?私は何だ?私は何だ?私は―]

 演算スライムの思考は、堂々巡りを始めた。

 抽出復元法の何が問題なのかを演算スライムは理解していない。

 個とは何なのかを思考する事はフロイ=サウラによって抑制された。

 演算スライムの自我がその疑問に耐え切れないとフロイ=サウラが判断したからだ。

 しかし、二千年を超える時の中でフロイ=サウラの施した枷は緩んでいた。

 同じ思考を繰り返し漏らす演算スライムの容姿は、人族のそれを維持出来ずにいた。

 異相空間から止め処無く溢れ出る流動体は、五階層の床を瞬く間に満たしながら四階層へ流れ落ちた。

 異相空間から吐き出されているのは流動体だけでは無い。

 貯め込んでいた金属もまた、流動体に混じって溢れ出ていた。

 その金属に紛れて流れ出た核がタナカ技師の目に留まらなかったのは幸運であったのだろう。

 塔の一階まで流れ落ちた流動体は塔の外へと溢れ出る。

 貯水草がその流動体を感知し、逃げた。

 二千三百年以上前に演算スライムに隷属していた貯水草は、本能から流動体を忌避していた。

 上空からも地上からも見えない、塔を中心とした地面の下で、貯水草の根が撤退を開始していた。

 その貯水草を追い立てるかの様に、流動体は広がって行く。

 エルダから僅かに漏れ出るまでその流出は続いた。

「…これ程までの体積とは」

 流動体が全て流れ落ちた塔の五階層で、タナカ技師はぬらぬらした肌に冷や汗を掻きながらそう言った。

 辺りを見回すと兵士の死体もまた一緒に流れ落ちていたが、必死に押さえていた魔法具は無事だった。

[私は何だ?私は何だ?私は何だ?私は―]

 演算スライムの自問が、エルダ全体を満たしていた。

 同時に貯水草が逃げ出した事を、タナカ技師は感知していた。

「…貯水草を使う積もりだったが、あの不定形種もどきで代用するか」

 世の中計算通りには進まんと、タナカ技師は忌々しそうにそう言って、魔法具に魔力を流し込んだ。

 タナカ技師を中心とする特殊な魔力が、その範囲を無制限に拡大された。

 同時に魔法具は演算スライムと魔力で接続された。

 本来なら地中に広がった貯水草の根を利用する筈だったその魔力の接続は、演算スライムを使っても殆ど問題は起きなかった。

 タナカ技師の予想では最低でも二百年は、この状態が維持される。

 いつかは演算スライムが回復する筈だが、殆ど問題は無いだろうとタナカ博士は予想していた。

 それはタナカ技師が皇帝を始めとする様々な集団に通達した数値化魔法が使用可能になる日の事であり、演算スライムが害意を持った人族に初めて敗北した日の事でもあった。

 そして数値化魔法を完成させたタナカ技師は、その身体を光へと変化させ、消えつつあった。

「運が良ければ…」

 その呟きの続きは声帯が光に変化した為に音にはならなかった。

 元の世界に戻れる、かも知れない。

 タナカ技師はそこまで言う事は無く、光になって消えた。

[私は何だ?私は何だ?私は何だ?私は―]

 タナカ技師の誘導によって終わらない思考に閉じ込められた演算スライムが、機能回復するには外部からの干渉を必要としていた。

 そうなるのはまだ千百年程先の話である。

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