沼男、工場
演算スライムは廃鉱で鶴嘴を振るった。
凄まじい速度で掘り進められる穴はとても長く、どこまでも長く、ある座標を目指していた。
演算スライムがその座標を特定するのには一年程の時間を擁したが、その結果四街区の住人の四割はその被害者となった、のかも知れない。
スワンプマン、或いは沼の男。
そう名付けられた思考実験がある。
沼の傍で雷に打たれて男が死に、沼の澱が雷で化学反応を引き起こして死んだ男を複製した。この時、複製された存在と死んだ男の間には記憶を含めて一切の差異は無い。
果たして複製された存在と男を同一の存在と見做して良いのだろうかと言う問いだ。
これは、私は何かと言う事を考える思考実験である。
多少の条件は異なるが、四街区の住人の四割はスワンプマンに近い状況に置かれていた。
演算スライムが二千三百年程前に初めて人族の頭部を解析した時、その方法は消化しながら情報を取得すると言う物だった。
同じ方法を用いる限り、解析された人族は死亡する。
それに対してフロイ=サウラが求めた解析方法は、当然ながら人族の死を伴わない方法であった。
結果として反響話法を応用した感情解析が主な方法となったが、それとは別の方法も確立されていた。
最終的にはフロイ=サウラが難色を示した為にこれまで多用される事は無かったその手法は、復元抽出法と名付けられた方法である。
手順は至って単純。
対象を昏倒させて脳を吸出し、抽出した情報を元に復元した脳を対象に戻すのだ。
四百年程前に帝国諜報室の諜報員から情報を引き出したのはこの方法だった。
脳内には次回記憶を抽出する時に作業が楽になる補助器官が付随されるので、帝国諜報室が諜報員を解剖すればその痕跡を発見できただろう。
今回はグラン諸国の情報管理方法が飛び抜けて優れていた事が、演算スライムにこれまでは多用されなかった復元抽出法を多用させる結果となった。
そして断片的な多数の情報を統合した結果、演算スライムはオロチ衆の工場の場所を算出した。
その場所は地中に存在する入口の無い工場だと推測された。
上空からの観測では見つからない訳だと、演算スライムは感心さえした。
そしてオロチ衆とは地中を自由に移動する魔法を持っているのだろうと、演算スライムはそう予測していた。
残念ながら演算スライムはその類の魔法は持っておらず、地面を広範囲に渡って消し飛ばす事は容易だが未知の範囲に広がる工場を傷付けずにそれを行うのは困難だ。
そして様々な手法で試算した結果、鶴嘴で掘るのが一番安全かつ効率的であると算出されたのだ。
何より工場まで掘り進む必要は無いと算出されていた。
「動くな」
暗い横穴の中に、岩から生えるかの様に二人のドワーフが姿を現した。
演算スライムは鶴嘴を振るう手を止めた。
「…何は目的だ?」
ただの人族が魔法も使わず、鶴嘴で時速五十キロ程の速度で岩を掘り進む。
身体の強化を行っていたとしてもその速度は異常だ。
即ち、それを成し遂げた相手は危険だ。
二人のドワーフは重戦斧を構えてじりじりと間を詰める。
[工場を見学したい]
馬鹿にしているとしか思えないその回答に一人のドワーフが重戦斧を横薙ぎに振るう。
演算スライムは手にしていた鶴嘴でそれを受け流そうとするが、鶴嘴は衝撃に耐え切れずに砕けた。
鶴嘴と重戦斧が接触した瞬間の音から、重戦斧の材質はアダマンタイトを極薄のオリハルコンで覆った物だと算出された。
ドワーフの膂力と重戦斧の質量と硬度から、その威力の大きさを算出した演算スライムは一つの結論に辿り着く。
受け止めても問題無し、と。
再び重戦斧が振るわれる。
演算スライムの右腕を肩から落とす筈の一撃は、伸ばした右腕で止められていた。
右腕を構成する流動体は非常に粘性の高いそれへと変質していた。
そうやってただ単に衝撃を受け止めたのだ。
右掌から肘程まで潰して裂いた重戦斧が、力任せに引き抜かれる。
「ふん、この程度か」
ドワーフは鼻で笑いながらもう一度重戦斧を振り下ろす。
その一振りは左肩に吸い込まれ、先程よりも深くは埋まらずに止まった。
「両腕をもがれれば抵抗も出来まい」
演算スライムの用いる方法とは根本的に異なるが、人族にも幻覚魔法と呼ばれる魔法は存在する。
フロイ=サウラが完成を予言したその魔法は、術者が思い描いた像を対象に見せる魔法であり、その像の完成度は術者の想像力に左右され、像は現実に存在する魔法だ。
それ故に、全く存在しない像を再現した場合どうあっても違和感は消し切れず、発動の際に消費される魔力も大きい為、魔法の行使に気付くのも容易である。
「足もやっとくか?ふん。無様に命乞いか」
対して演算スライムの使う幻覚魔法は、見ている像はそこに存在していない。
皮剥鬼が生み出したその魔法は、対象が見る像を明確に指定出来ない代わりに、発覚しにくい魔法でもあった。
訓練を受けたドワーフ達が気付かない程、発覚しにくい方式である。
演算スライムはドワーフ達の予想に沿った戦闘が展開されている幻覚を設定し、ドワーフ達は重戦斧の刃先に頭部を割られた演算スライムを幻視していた。
実際に演算スライムの頭部には重戦斧が突き刺さっている。
避けるのが面倒になったのだ。どうせその程度では死なないのが演算スライムなのだから。
「おう、おう、長い穴掘りやがって」
もう一人のドワーフは周囲の岩や土を操作して穴を埋めていた。
岩壁がゆっくりと狭まって来る。
数分掘られた穴は消えてしまう速度だった。
「久々の侵入者だったが、土の中でオロチ衆に敵う者なんざいやしねえって事だな」
二人のドワーフはひとしきり豪快に笑って、どちらからともなく帰るかと言って魔法を詠唱した。
「「ツチノカミよ、我ら土の従僕に大地の加護を与えたもう。土の道を御開き下さい」」
二人分の詠唱が重なり、ドワーフ達は大きく息を吸い込むと地中へ沈んで行った。
ずっと二人を見ていた演算スライムは、その魔法をその場で模倣した。
発動に至る仕組みは全く異なっていたが、魔法の効果は問題無く発動した。
演算スライムの身体も土の中へと沈み込み、最大の誤算が発覚する。
地中に潜った途端に演算スライムは何も認識出来なくなったのだ。
演算スライムが周囲を認識する為に利用する情報が、ほぼ途絶えたからだ。
土の中には僅かな光も無く、空気の振動も無い。
大地の震動から周囲を感知しようにも、魔法の効果で大地には触れる事が出来ない。
若干の浮遊感を伴いながら地中に沈むその感覚は水中にいる状態に酷似していた。
当然、呼吸は出来ない。
演算スライムは音に対する感度を引き上げるが、地中は地上よりも音に満ちていた。
そもそも地中を移動しているドワーフ達の音は拾えないのだろうから、ドワーフ達を追って工場へ向かうと言う演算スライムの予定は破綻した。
演算スライムはドワーフ達をとっくに見失っていたのだから。
一先ず上へと向かう。向かおうと思えば動けた。
数秒上へと向かうと、木の根が行く手を阻んだ。
根を断ち切りながら数秒浮上すると、十三番鉱山の中腹に飛び出た。
思ったよりも移動速度は速いと言うのが演算スライムの感想だった。
演算スライムは魔法を解除して地に足を着けると、飛んだ。
十三番鉱山の中腹で土煙が発生したが、それを目撃した者は居なかった。
四街区への移動は数十秒。
演算スライムは隠密魔法で姿を隠したまま裏通りへと落下した。
石畳が割れ、大地が揺れる。
轟音と衝撃に人が集まって来る頃には、演算スライムは地中へと沈んでいた。
その場所の真下は、演算スライムの予測した工場の位置だった。
ゆっくりと沈みながら、演算スライムは古い記憶を検索する。
ドワーフの詠唱に出て来たツチノカミなる単語には聞き覚えがあった。
検索は瞬時に終わり、ルドアリ平野での記憶が呼び起こされた。
下半身を失った人族が呟いていた祈りは、ツチノカミに対する祈りだった。
気になったので確認しただけで、演算スライムはそれをどうでもいい情報だと判断した。
転がっていた多数の人族とドワーフとでは、身体的特徴が一致していなかった事が若干の疑問ではあったが。
十秒程の沈降は工場の天井に足が付く事で止まる。
工場は外側をぐるりと木材で覆われていた。
工場の入口は数カ所存在していたが、その全ては木材が張られていない人一人通れる程度の隙間である。
こうしておけば万が一ドワーフの魔法が使えたとしても、入り口を探すまでの間息が続かない。
ドワーフの魔法はグラン諸国の常識によって外部には漏れないと言う前提があり、人族は例外無く呼吸を必要とする事を考えれば、工場へ辿り着ける者はまずいない。
そして呼吸をしていない演算スライムは二時間掛けてその入り口を見つけ出した。
工場内へと降り立った演算スライムは、そこから三日その場を動かなかった。
三日は動く必要が無かった。
そこはただの通路だったが、天井を幾つかの細い管が走っていた。
その管は未知の弾力がある素材で覆われており、中には極細のミスリル銀を束にしたものが通されていた。
そこから漏れ出るのは人族の思考に近い情報。
演算スライムは三日間その情報を傍受して解析する事で、工場内で行われる金属錬成の行程を凡そ把握する事が出来た。
更に七日気になった物品を拝借しながら工場内を練り歩く事で、工場の機材に関しても一通り仕組みを把握した。
把握した上で演算スライムが試算した結果、異相空間内において流動体で工場を再現する事は可能であると言う事を算出した。
僅か十日の工場見学の結果、演算スライムにはもうこの工場に用は無くなっていた。
工場を出るのは、入る時よりずっと楽だった。
ただ浮き上がればいいのだから。
四街区の大通りに浮き上がった演算スライムは、そのままグラン地方を飛び去った。
その音と振動に大通りが一時騒然とするが、演算スライムにとってそれはどうでもいい事だった。
簡単に振り払えるとは言え、帝国諜報室よりは巧妙な監視が付く場所等、金属錬成技術と言う目的が無ければ早々に立ち去りたかったからだ。
フロイ=サウラとの時間を終始盗聴されていた記憶から、演算スライムは人族から監視される事を嫌う傾向があった。
工場内へ空気を送りつつ逆に錬成した金属を工場外へと送り出す魔法の存在が若干後ろ髪を引いたが、監視される不快感は好奇心を大きく上回っていた。
演算スライムは空気を必要としないし、移動能力は人族の理解を超えた速度なのだから。
空を飛びながら演算スライムは考える。
未だに正体不明の監視者達は、無作為に四割を抽出しても見つからない位少数なのか、或いはその隙を与えなかったのかと。
序章Fに連なる話は完結。序章Gに続きます。