襲撃、停戦
シルナは非常に不機嫌だった。
「…この様に、不定形種の中に結晶石の原石を入れると、不純物だけを消化して…」
檀上で研究の成果を解説するラルの横には、大人の頭程の不定形種が居た。
小さな水槽に入ったその不定形種の中にラルが石を放り込むと、不定形だった石達は丸い形に成形されていた。
「…これらの資料が示す様に、石の中には精霊の核が潜んでいます。既知の通り精霊は今から六百三十年程前に…」
シルナは口の中で欠伸をして、辺りを見回す。
檀上にはラル技師。正装だとまるで別人であるが、その正装が酷く似合っていない。
ラルから少し離れた場所、客席では無く檀上の端に設置された来賓席に座っているのは一人の貴族。
研究発表展の発案者でもあるフリッツ侯爵は貴族らしい威厳を湛えた正装が良く似合う壮年の男だ。
フリッツ侯爵家は帝国軍の要職を多数輩出している帝国随一の武闘派侯爵家でもある。
反対の端に座っている技師達に比べると、その威厳は一目瞭然であった。
「…爆発の際に発生する衝撃の性質は、精霊が保持している魔力の性質によって調整が可能です。私が研究に使用していた結晶石は山が消滅する程の大噴火をしたキタミ山跡から収集した物なので、火の形質を帯びている物が多く、殆どは解放時に爆発を…」
前夜遅くまで資料の確認に追われていたシルナは次第に舟を漕ぎ始める。
そのシルナの横に、一人の人物が座った。
びくりと身体を震わせてその人物を見たシルナは。
「…なんだ、ルダか」
その人物がルダである事を確認すると、また意識を沈ませて行く。
「…最後に爆発をさせる方法ですが、これは結晶石を不定形種で生成すると、必ず一か所小さな窪みがあります。そこに一定以上の圧力を加えると結晶石が一気に崩壊し…」
睡魔と激戦を繰り広げるシルナの脳内に、ふと一つの疑問が現れた。
私設秘書であるルダに、招待券は与えられていない事に思い至ったのである。
ほんの少しだけ目が冴えたシルナが、視線を隣に座るルダに向けようとしたその瞬間、十二体の甲冑が窓を割って次々と飛び込んで来た。
その全てが、細い矢をこれでもかと打ち込まれていた。
傍目にも中身は絶命している事が明らかだった。
甲冑にはフリッツ侯爵家の家紋が刻まれており、遅ればせながら観客達はその甲冑が会場を警備するフリッツ侯爵家の私兵達である事に気付いた。
騒がしくなりつつあった会場の大扉が荒々しく開かれ、十人の男達が悠然と会場へ踏み込んで来る。
髭の濃い男を先頭に、皆細い筒状の武器を携えていた。
腕程の太さで長さは一メートル程。両端は平坦で先端には九つの小さな穴。側面に持ち手と引鉄。
帝国民であれば、誰もが知っている形状の武器。
しかしながら、この時点ではまさか本物ではないだろうと言う予断が会場を支配していた。
「何だ貴様らは無r―」
立ち上がって声を荒げたフリッツ侯爵に、三本の矢が突き刺さった。
一本が頭を貫き、二本は心臓を貫いていた。
「死にたくなければ静粛に」
会場は静まり返った。
その武器が絞り弓である事は嫌でも分かってしまう上に、それが本物だと言う証拠が出来てしまったからだ。
絞り弓はその危険性から、開発者である故カイン技師、生産を一任されているフリッツ侯爵家、そして皇帝直轄の管理部署しか扱う事の出来ない武器である。
「この場はオルム平和教が取り仕切らせて頂きます」
オルム平和教。平和の為なら犠牲は厭わない。そう言った集団である。
会場は驚愕と悲壮感に包まれる。
所詮新興宗教でしかないオルム平和教が絞り弓を持っている事に対する驚愕と、気が狂った連中が絞り弓を持っている事に対する悲壮感であった。
そんな中、シルナだけは別の事を思っていた。
「食堂のおっさん?」
その呟きは幸いにも聞き咎められなかった。シルナが名前を知らないその輪郭をぐるりと髭が生えた厳つい男の言葉はまだ続いていた。
「私はオルム平和教より平和の道を伝道する為に参りました、キャサリンと申します。皆様方は是非とも平和の礎となって頂きたい」
シルナを始めとした会場の約半分は驚愕した。
お前、そんな名前だったのかと。
窓際から幾つかの悲鳴。
逃走を試みた観客が、外から撃ち込まれた矢によって絶命していた。
オルム平和教が取り仕切っているのは会場内だけでは無い様だと、考えてみれば当然な事にシルナは今更気付く。
「静粛に。静粛に」
キャサリンは落ち着いた声でそう諭しながら、悲鳴を止めない観客の頭を撃ちぬいて行った。
「さあ皆様静粛に」
騒がしい者達が居なくなった事を確認して、キャサリンは微笑んだ。
死体を見て青褪める者は多かったが、声は総じて押し殺されていた。
そう出来ない者は既に死体になっていた。
シルナは気になってルダの方を見たが、ルダの表情は予想通りいつものままだった。
安心する様な、残念な様な、形容し難い感情を呑み込みながら、シルナはラルへと視線を向ける。
若干存在を忘れかけていたが、ラルが死ぬと自身が失職する事に気が付いたからだ。
まさか死んではいないだろうと思いながら檀上へ視線を向けると、シルナはラルと視線を合わせる事になった。
「一つ、いいかな?」
場違いな程緊張感が欠けた声音が、会場に響いた。
「なんでしょうか?」
不躾な言葉にキャサリンは気分を害された様子も無く、優雅に射出口と微笑みを向けて見せた。
「いや、君に話しかけたんじゃないよ?僕はアルキ技師に話しかけたんだが?」
「は?」
怯みもしないラル技師の言葉に、激しく動揺したのはアルキ技師だ。
自分は何もしていないのに、武装した集団から注目を浴びれば無理も無い事だが。
「完全無制御で登録者の敵を排除する自律人形を完成させたと、最初に檀上でそんな事を話していたのは君だったんじゃなかったっけな?」
警戒を込めた九十の射出口と、希望を込めた無数の視線がアルキ技師へ向けられた。
「いや、あの、実はアレ未完成でね、うん、いや、その、私は、本当はあんな無骨な子達じゃなくて、もっとかわいい、例えば幼女や少女の外観を実装した、自律人形とかを――」
アルキ技師が色々と自分の恥を暴露する中、シルナの横でルダが立ち上がる。
その顔を見て、シルナは恐怖を感じた。
オルム平和教の襲撃による恐怖に紛れてシルナの中で具体的な形を成す事は無かったその恐怖と、全く同じ種類の恐怖をルダに視線を向けた全ての人族は感じていた。
どこかに力が込められている訳でも無く、明確な敵意が存在する訳でも無く、もちろんその顔に表情がある訳でも無い。
それでも、観客の多くは既に恐怖を感じている事と、声を出せば死ぬと認識している為に、その恐怖に対する反応は限り無く稀薄な物だった。
一方で顕著な反応を示してしまった者が二人いた。
その二人は大きな恐怖を感じていなかった者、即ちオルム平和教の襲撃者であり、当然ながら絞り弓を手にしていた。
二人は突然感じた理解不能な恐怖に悲鳴を息と一緒に呑み込むのと同時に、絞り弓をルダに向けて引鉄を引いていた。
二人が悲鳴を上げなかった事と、絞り弓がとても静かな武器であった事が、他の八人の反応を遅らせた。
キャサリンが気付いた時には、ルダは悲鳴を呑み込んだ内の一人に肉迫していた。
その手には金属製の短い杖の様な物が握られており、じっくりと観察する事が出来たのなら先端には結晶石がはめ込まれている事が見て取れただろう。
「小さな窪みに一定以上の圧力を加えると結晶石が一気に崩壊して内包した力が解放される」
ルダの声を聞いた十人が十人共、懐かしい恐怖に襲われた。
その声は人族が内包する様々な部族のいずれとも異なる異質な音であった。
その声が想起させる恐怖を十人が十人共正確に知覚する事は出来なかったが、それは鼠が蛇の鳴声に恐怖する様な、天敵に対する恐怖であった。
よって、十人が十人共その言葉の意味に気が付く事は無かった。
杖の装飾に偽装された押し込み式の仕掛けをルダが作動させるのと同時に、杖の先端で結晶石が爆発した。
シルナはルダの超人的な耐久性と治癒魔法を見ている為に気付いていなかったが、ラル技師の爆発耐性は異常な水準であった。
それは肉片になった十人と数人には等しく関係の無い事である。
爆心地から少し遠くに居た為に血肉を浴びた観客が悲鳴をあげた。
真っ赤に染まった者達より不幸なのは、身体の一部を吹き飛ばされて呻き声を漏らす爆心地近くの観客であり、最も幸せなのは何かを考える間も無く飛び散った十人と数人だったのかも知れない。
会場が混乱の渦に掻き乱されるその外で発生した複数回の爆発音を聞いたのはシルナだけだった。
我先にと会場から流出する人の濁流に呑まれながら、一瞬。シルナとラルの視線が合う。
ラルの、その笑みを見た瞬間、シルナは察した。
察すると同時に色々な事が思い起こされ、一つの流れとして組み上がって行く。
それは断片的な形にしかならなかったが、シルナに恐怖を感じさせるには十分だった。
背筋を見えない氷が下から上へと滑って行った。シルナはそう感じた。
この事件から五日後、帝国起動弓兵隊がオルム平和教の拠点を制圧し、ありきたりな国家反逆者達は駆逐され、その際に得られた幾つかの証拠からオルム平和教に資金を提供していたのはフリッツ侯爵家だった事が公になる。
結果、フリッツ侯爵家は取り潰しとなった。
そしてその翌年、帝国は森の人との無期限停戦条約を締結した。
帝国軍機動弓兵隊発足から百年後の事であった。
シルナはその一報を聞くのと同時に、回顧録を出版する事を決意した。