変人、爆発
――著者校用・シルナ公設秘書の回顧録より抜粋
ラル技師と初めて対面したのは私が公設秘書の資格を得てから三年目の事だ。
ラル技師が稀代の変人である事は公然の噂であった為、面談の時は酷く緊張した事を覚えている。
しかしながら面談の際のラル技師の印象は、代名詞とも言える赤橙色の義眼以外は特筆すべき点は無い至極真面目な研究者で、緊張する私に冗談を交えた会話で気遣う事が出来る柔軟な一面も見られた。
もっとも、その印象は初出勤の際に塗り替えられる事になる。
ラル技師の研究所は魔窟と言うのに相応しい場所であり、名目上は私設秘書の役に付くルダが居た。
余談だが、私はラル技師の元で働いていた約二十年の間にルダの声を聞いた事は無い。
ラル技師の研究室に関しては未だに検閲条項とされている為、技術に関わる部分は記す事が出来ないが、それ以外の場所を幾つか紹介する。
例えば巨大な水槽一杯に培養された不定形種達だ。全て実験用なのだが、6×6×6メートルの容積を持つ水槽に不定形種が犇めくその様子は異様だった。毎日世話をしている内に私の認識はかわいい愛玩動物となったが。
例えば雑多な石ころ(今なら粗悪な結晶石と記す物品だが、当時はただの石ころ以上の価値は無かった)が詰まった袋が三百。置き場所の確保に常に悩まされた。
例えば【検閲条項1120該当】思えばあの研究室には私以外に常識人は居なかったのだ。
魔力が見えると、そう言った触れ込みだったと、シルナは聞いていた。
帝国魔法士団を動員して行った実験でそれは実証されたとされている。
魔見の義眼とも呼ばれるその赤橙色の義眼を、ラルはあまり気に入ってなかった。
主に見た目が。
赤橙色の義眼は布や金属の覆いを用いてもその効力を減衰させる事は無いので、眼帯を用いて隠せば良いのではないかとシルナは思うのだが、ラルは一貫してそれは恰好悪いと拒絶している。
それでもシルナは眼帯が恰好良いと思うので定期的に勧めていたが。
帝国に提出する書類と格闘していたシルナに、ルダがお茶を持って来た。
灰色の給仕服がかわいらしい少女である。
「ありがと」
シルナは視線を合わせて微笑んでみるが、ルダからは全く反応が無かった。
視線を伏せている訳でも無いし避けられている訳でも無いのだが、ただただ反応が皆無な変人私設秘書に、僅か五ヶ月でシルナは慣れた。
何故なら、シルナが仕える技師の方がよっぽど変人だからだ。
今も万力で石を砕いて何故爆発しないのかを訝しがっている。
ただの石ころが爆発しても困るのだが、実際五十個に一つくらい爆発しているのだから洒落にならない。
爆発の度に書類が撒き散らされ、シルナがラルを叱責する主従関係が逆転した光景が最初の頃こそ日常的に見られていたのだが、ルダが設置した半透明な防壁のおかげでその光景は殆ど無くなった。
材質も設置方法も不明なその防壁について、シルナはルダにどこから持って来たのか聞いたが、無感動に小首を傾げられる反応だけが返ってきた。
それはシルナの言葉にルダが無言無表情以外の反応を返した初めての事例であった。
試しにシルナが使える攻撃魔法の内最も威力の高い物をぶつけてみたのだが、傷一つ付かなかった。
シルナはルダもラル側の存在だった事に大いに落胆したと、回顧録には断片的に記されている。
以来シルナは自分がこの研究所唯一の常識人だと公言しているが、あの変人に仕え続けられる事が変人だと公設秘書協会中で言われている事を本人だけが知らない。
無知とは幸福である。
不意に、閃光が迸る。
今回の爆発は衝撃派を伴わない形式だったが、代わりに熱風を発生させた。
シルナを囲う防壁がその色を黒く変えた。
天井に開けられた通気口を焦げ臭い空気が吹き抜けた。
「ふむ、ふむふむ」
閃光の去った爆心地でラル技師が思案顔で何か考え込んでいた。
ラル技師は時折この実験の為に死に掛ける様だが、ここにはルダが居る。
中程度の火傷を負ったラル技師に、爆風の中で給仕服に守られて無傷だったルダが歩み寄る。
給仕服の襟が変形して、そのかわいらしい顔を護っていた。
ルダは詠唱をしない。ただ治癒魔法が発動して、ラル技師は全快する。
シルナは自称常識人だ。
無詠唱で高位の治癒魔法を発動させたりはしない、至って誠実な自称常識人だ。
「…」
常識人は僅か五か月で諦観の境地に達していた。
シルナがラルから目を逸らすと、その視線の先には水槽に押し込められた不定形種が居た。
眼も顔も口も無い不定形種が、お前も大変だなと言っている様にシルナは感じた。
普通不定形種は喋らないが、それでもシルナはそう言われた気がした。
「疲れているのね、私h――」
その言葉は爆音に遮られた。本日二回目である。
閃光や熱風は防壁によって防がれるが、音はそうは行かない。
シルナの聴覚が完全に麻痺した。
視線をラルに向けると、先程よりぼろ雑巾に近付いたラルに完全防護のルダが治癒魔法を掛けていた。
聴覚の麻痺しているシルナに音は聞こえなかったが、どうせまた無詠唱だろうと判断した。実際そうであった。
帝国魔法士団に強制徴用されてもおかしくない程の才能がよりによってラルの元に居るのは何故かと言う疑問は、今更シルナの頭に浮かばない。
全く別の懸念があるからだ。
三度の閃光と爆発音。衝撃は無い。
「やった!ついに毎回爆発させる方法が!」
シルナの回復しつつある聴覚に、ラルの声がうるさい。
今度は閃光のみ。
「完璧だ!」
無邪気に高笑いするラルに、シルナは傍らに積んでおいた煉瓦を投げつけた。
ラルは頭蓋骨が砕けた痛みで意識を失ってその場に倒れ伏した。
ルダの治癒魔法があるからと、一切手加減の無い投擲だった。
「昼食を受け取って来るね」
ルダからの反応は無い。
シルナは深い溜息を吐いて、鋼鉄製の机の引き出しから紙幣の入った封筒を取り出すと足早に研究所から出て行った。
辺境の長閑な畦道を歩きながら、毎日の様にシルナは考える。
「就職先、間違えたかな…」
この昼食を貰いに行く日課とて、シルナからすると若干納得が行かない。
何故安いからと言うだけの理由で一キロも離れた食事処まで毎日通わないといけないのかと。
その一方で毎日一定時間ラルから解放されるのは助かっているのも事実なので、この事に関してシルナは文句を言う気は無かったが。
その息抜きも考慮してラルが昼食の仕入れ先を選択したとは全く考えていない。
もっとも、それは数多の理由の内の一つの、非常に些細な理由でしかないのだが。
長閑な畦道を歩きながら、その広がる畑を眺めながら、ラルは技師にならずにこの辺境で普通に開拓の仕事をしていた方がよかったのではと考える。
辺境六十一区は他の辺境区に比べて異様とも言える速度で発展し、ラルの開拓運営能力がそれを成し遂げたのは周知の事実なのである。
そんな事を考えながら歩いている内に、目的の建物が見えて来る。
オルム食堂。
帝都に本拠を置き、周辺区に十五の支店を持つ帝国最大手の食堂である。
新興宗教の下部組織である為に嫌う人も多いが、味はそこそこで値段格安となれば客は付く。
辺境にある支店はこの十二号店のみで、帝都から遠く離れたこの地に支店を誘致したのはラルである。
「やあ、毎日大変だねえ」
壮年の男が弁当三つを持ってシルナを出迎えた。
何が大変なのかを、シルナはあえて確認しなかった。
輪郭をぐるりと髭が生えたこの厳つい男が、何故定食屋を運営しているのかをシルナは知らないし、知りたくも無い。
よって、その男の名前は五ヶ月経っても覚えてはいなかった。
「今日は特に爆発が多かったけど、大丈夫かい?」
笑み自体は爽やかなのに基礎が脂ぎっているのが残念なその顔に、曖昧な笑顔と当たり障りのない言葉を返して、封筒と引き換えに弁当を受け取る。
「今後ともご贔屓に!」
弁当を抱えて来た道を引き返しながら、シルナは憂鬱な気分に包まれていた。
(仕事が増える…間違い無く増える…)
シルナが伝えられているラルの研究内容は、石の爆発を確実に引き起こす方法を探す事だった。
シルナの憂鬱を余所に、爆音がラルの研究所がある方向から響いた。
(もう復活しやがったか)
三年置きに開かれる帝国技師会の研究発表展の前年に成果を出したラルを呪いながら、ついでに帝国技師会後援会長であり研究発表展の出資者でもあるフリッツ侯爵も呪う。
後者は完全な八つ当たりである。
それでも自身が培養した不定形種がその壇上に上がるのかと思うと少し気持ちが高揚するシルナは、取り敢えず暴走して石を割り続けているだろうラルを止める為に、帰路を急いだ。
結果だけを言うなら、シルナは翌年の研究発表展でとんでもない事件に見舞われる。
自身が培養した不定形種が場所を取り過ぎると言う至極真っ当な理由で檀上に上がらない事と同様、先の事を予測出来ないのは幸せなのでもあった。
もっとも、そんな事を予測出来ているのは現時点でラルと演算スライム位だ。
早足のシルナの前方で、閃光と爆発と衝撃波が長閑な開発区を騒がしていた。