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予言、解放

 矢が飛来した。

 矢と言っても矢羽と重い鏃を備えた一般的な矢では無い。

 雪吐きの骨から削り出された先端から後端まで同じ径の矢である。

 鏃も矢羽も、筈すらも存在しない。

 側面には螺旋状に筋が付いていて、雪吐きの皮膚を細く裂いて束ねた弦で巻き込む様に装填されるその矢は、回転しながら打ち出されると同時に微弱な風魔法によって一メートル程跳ぶ間に極限まで加速される。

 その魔法は矢本体では無くそれを取り巻く空気を前方に押し出す形式で、攻撃そのものを妨害される恐れの少ない仕組みでもある。

 比類無き情報処理速度を誇る演算スライムであっても、中近距離から放たれたそれを躱すのはほぼ不可能。

 躱すどころか、核を異相空間に退避させる事すら間に合わない。

 細く硬質なその矢は何の抵抗も無く演算スライム体表の硬質化流動体を貫通し、内部に満たされた流動体を減速しながらも突き抜け、反対側の硬質化流動体から先端を覗かせた所でようやく推進力を失った。

 矢が貫いたのは人族であれば心臓が存在する位置であった。

 矢が核を貫かなかったのは偶然であり、演算スライムの体積に対する核の小ささを鑑みれば矢が核を貫く可能性は万に一つより小さいのではあるが、演算スライムは念の為に異相空間の中へと核を収納した。

 内心冷や汗ものだった演算スライムであったが、それは体表には一切現れない。

 演算スライムが振り返ると、その頭部を数本の矢が貫いた。

 僅かな風切り音と矢が着弾する軽く小さい音は射手には聞こえない。

 後頭部と額から矢の両端を生やした演算スライムは、一秒に満たない思考の後にその場に倒れた。

 そのままの状態で数秒。周囲の状況は変わらない。

「倒れ方が下手なのだよ、無口な異民よ」

 ばれているのなら仕方がないと、演算スライムは起き上がる。

 何本かの矢がその身体を貫いたが、対策が済んだ攻撃手法に興味は無かった。

 破壊力に乏しいその貫通力特化型の矢は核に当たらなければ何も意味は無い。

「…異民が灼熱の聖地を侵す事は許されない」

 五人のスラグの民が弓を両手に姿を現した。

 皆魔力を感受出来ない一般の民であった。

 白い前掛けと靴は雪吐きの皮で作られた一般的な装い。しかしながら上半身は男女の区別なく何も身に着けていない。

 雪吐きの外套は低温においては高い保温性を誇るが、百度を超える高温地帯においては何等意味を成さない。

 その五人の上半身には幾何学模様が刻まれていた。

 皮膚を薄く切り、傷口に肉削樹木の樹液を煮詰めた物を刷り込んだものだと演算スライムは瞬時に解析した。

 それはカインが考案した人体に直接魔法を埋め込む方法だったが、埋め込み時と発動時に強い痛みを伴う為に廃案にした技術だった。

「スラグの神――」

 何かを言おうとした女が間一髪演算スライムの蹴りを躱す。

(反応速度が通常の十倍から二十倍)

 蹴り上げた足を二本の矢が貫通し、背後から強い衝撃。

 演算スライムが首だけを真後ろに向けると、そこにはぎょっとした顔をした男が居た。

 接近は感知していた。攻撃を躱さなかった理由は解析の為。

(筋力は通常の五倍から十倍)

 演算スライムの右腕が、外見から予想される関節の曲がり方とは正反対に曲がり、男の腕を掴んだ。

 首と手があらぬ方向を向く出来の悪いホラーの様なその光景に、情けない悲鳴を上げて後方へ跳び退く男。

 その腕を肘から千切れた右腕が掴んだままだった。

 飛び退いてから一拍遅れてそれに気が付いた男が、声にならない悲鳴を上げて毟り取った腕を演算スライムへと投げ返す。

 それを演算スライムは新たな右腕で受取り、掌から吸収した。

 わざわざ腕を投げ返してくれた事に対する感謝を反響話法で伝えたが、五人から反応は無かった。

(魔力を受け付けないスラグの民をどうやって身体強化したのかと思いきや、ただ単に物理的刺激で活性化させただけか)

 その技術もまたカインが考案して、反動の大きさから実用には至らなかった技術である。

 切り離した右腕を通じて得た情報を元に、演算スライムは五人の活動限界を算出した。

 算出されたのは、五人が全く脅威とならない事実。

 演算スライムは距離を取る五人に追撃する事無く、火口へと向かう。

 無視される形になった五人は次々と矢を射るが、それは足止めにもならない。

 雪吐きの群れと違い、五人に演算スライムの正面に立ち塞がる覚悟は無い。

「通さぬ」

 覚悟を決めた人物が、演算スライムの正面に立ち塞がった。

[ようやく話ができる]

 その人物、ゲルヌに、演算スライムは反響話法で微笑んだ。

 ゲルヌは反響話法による対話に応じる事無く魔法を放った。

 圧力の無い魔力の風が演算スライムを捉える。

 演算スライムに刺さった矢が全て朽ちて砂になった。

 巻き込まれた五人のスラグの民が、瞬く間に老いて死に、砂になった。

[ガサブダザガデバルエ高位司祭の異端魔法]

 二度目の反響話法には顕著な反応があった。

 ゲルヌは動揺により魔法を維持出来ず、冷や汗を滝の様に流して後ずさる。

 顔面蒼白で唇を震わせながら紡がれる声は音になっていなかったが、演算スライムは止め処無く流れ出る強い動揺から自分が何者かについて問われた事を察知し、答える。

[私は女神だ]

 演算スライムの正体を知ったゲルヌは恐れ戦き、足をがくがくと震わせながらも、なんとかその場に踏み止まった。

「な…ぜ…」

 掠れた声が漏れ、ゲルヌは一度唾液を呑み込む。

 極度の緊張から高い粘度を持ったその唾液が喉を閏わせる事は無かったが、それでもゲルヌは精神力だけで声を紡ぐ。

「何故…何故貴様は!何故貴様は二度も我の邪魔をするのじゃ!」

 ゲルヌの叫びに演算スライムは心の中で小首を傾げる。

[意味不明?]

 疑問を現す感情だけが反響話法に乗せられてゲルヌに届いた。

「邪魔、だ!我は!我は常々考えていたのじゃ!人族は魔法を扱うには未熟じゃと!人族は魔法を扱うべきであらぬ!現にどうじゃ異端魔法に魅入られた我はまだ生きておる!齢千八百年を超えてまだ生きておる!これがどれ程悍ましい事か!」

 魂を吐き出すかの様なゲルヌの話に、演算スライムは殆ど持たなかった。

 ゲルヌが放つ感情を受けて思うのはただ一つ。

 まるで身体に大きな変容を受けた人族が得る思考形式に近いと、そう感じていた。

 それが七年も同じ集落に居てゲルヌの正体に気付かなかった理由でもある。

 ガサブダザガデバルエ高位司祭の思考形式は、演算スライムが知るそれとは大きく異なる物へと変質していた。

「千五百年掛けて!魔力を認識しない者だけの王国を造ったのじゃ!忌々しいフロイの遺物にまで縋って作り上げた!ここは!ここは私の理想の王国じゃ!魔法が存在しない理想の王国じゃ!」

 気が付くと山頂一帯を精霊が埋め尽くしていた。

 その精霊達に、演算スライムは興味を殆ど持たなかった。

 演算スライムの興味はゲルヌの話に出て来たフロイの遺物と言う言葉に集中していた。

 自身に混ざった盟友の記憶を呼び起こし、盟友が預言した一つの技術に辿り着いた。

 魔法式。

 魔力を込めた文字や記号を用いて魔法を発動させる魔法陣とは異なり、魔法式はそれ自体の作成に魔力を必要としない魔法陣に類似した技術。

 そして演算スライムは得心した。

 あの石柱やカインの道具に対して心惹かれたのは、心の深い部分で交じり合う盟友がそうさせるのだと。

 そして同時に、自身がカインの技術をこの山から降ろそうとした理由が、盟友の予言を実現させる為なのだと、そうはっきりと、演算スライムは自覚した。

 まるでそれは盟友に対する愛情ではないかと、演算スライムは心地よいくすぐったさを感じながら、柔らかい感情を隠すこと無く放った。

 その感情は人族が放てる感情を、人族を超えた人族であるゲルヌが放つ感情すら遥かに凌駕する程苛烈な物であった。

 ゲルヌの纏う精霊魔法が、ガサブダザガデバルエ高位司祭の纏う異端魔法が、演算スライムの柔らかい感情を得た精霊達に寄って、優しく剥ぎ取られた。

「―――」

 ゲルヌの呟きは余りにか弱く、演算スライムにすら感受する事は出来なかった。

 ゲルヌが止めていた時の流れが怒涛の如く流れ、その身体は一気に老いて、砂となって散った。

 呟きを感受する事は出来なかったが、朽ちるゲルヌの走馬灯を演算スライムは感受していた。

 魔法によって家族の命を奪われた過去や、人生の不条理を呪いながらも神を呪えない生涯や、魔法の無い平和な世界を幻視するその夢が、演算スライムに流れ込む。

 しかし、それは演算スライムにとってはどうでもいい事である。

 結局の所、今も昔もゲルヌの心の片隅に存在していた演算スライムに対する不信感は、人族が行き着くべき理想に対する相違であった。

 ゲルヌが幻視するのは魔法の無い慎ましやかな人族の未来。

 演算スライムが誘導するのは数多の技術を凝縮した愉快な人族の未来。

 女神禄補遺の作成を命じながらも、その存在を禁書としてまで魔法の衰退を望んだガサブダザガデバルエ高位司祭。

 高位司祭と言う立場も、エルダと言う環境も放棄して、理想の王国を創り出そうとしたゲルヌ。

 理想を実現する為に常に魔法に頼らざるを得なかったその生涯が終わるに至って、自分の手で幕を引けなかったその生涯を終えるに至って、ゲルヌは心底安堵していた。

 非常に残念な結末を迎えたゲルヌの夢だったが、その瞬間はゲルヌは人生で最も幸せな瞬間でもあった。

(ようやく、異端魔法から逃れる事が叶う)

 走馬灯が全て流れ出た後に、残滓の如く漂った安堵を感じ取ったのは精霊だけだった。

 その時には既に、演算スライムは弾丸の如き速さで山を駆け下りていた。

 ゲルヌだった砂が赤茶けた地面に降り注ぐ。

 演算スライムの感情を受けた精霊の魔力が薙いだそこに、魔法壁を構成する幾何学模様はどこにも存在しなかった。

 山が、揺れた。

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