傭兵、部隊
“傭兵は十分な金さえ貰えれば仕事は選ばない”
広域傭兵管理組合の総組合長であるリダダガマスボの言葉である。
本来は規模を問わず戦闘行為に際して雇われる者が傭兵と言われていたが、その扱いを向上させる目的で創設された広域傭兵管理組合は、傭兵と言う言葉が持つ本来の意味すら変えて見せた。
その結果として。
「依頼の完了登録お願いします」
「承ります。…畑作業三十日の依頼で間違いありませんね?」
「はい」
「報酬は現金での支給を希望でしょうか?」
「組合口座へお願いします」
「承りました。少々お待ちください」
その結果として、こう言った遣り取りが日常化する事になった。
演算スライムがその光景を見た時には、自身がグラン地方を巡っている間に何があったのかと呆然とした。
傭兵達よ少しは仕事を選べ、と。
これでも一応、創設から三十年は普通の傭兵じみた傭兵を扱っていた組合なのだ。
エルダ放棄後、属国である筈のエルダに押さえつけられていたヒヒ帝国が侵略戦争と言う名の大暴走を起こした結果、僅か十数年で帝国領の人口は働き手を中心に著しく減少した。
先帝が戦死した後、内外から無能者と言われていた先帝の息子ハルが即位し、あっけ無い程迅速に周辺諸国と休戦協定を結び、疲弊していた帝国を周辺諸国が予想も出来なかった程迅速に復興させたのだが、その際に活用したのが傭兵組合である。
その背後にはリダダガマスボとハル皇帝との間に数々の密約があったと言われるが、俗にいう“真相は常に天幕の向こう”である。
演算スライムはその頃グラン諸国連合を放浪していた為、その辺りの細かい事情はまるで知らない。
要するに仕事と労働力の双方を効率的に確保、斡旋、管理出来る下地を持った組織が傭兵組合だったと言うだけの話なのだが。
最初に衝撃を受けた光景に翌日には慣れ、演算スライムは傭兵生活を満喫していた。
ジルが評価値一桁台の依頼をこなす日々を送る中、気まぐれに評価値三桁台中盤の依頼を受けては遊んでいる。
名前のみを登録すればなれる非正規傭兵としては完全に規格外である。
その為に無駄な注目を浴びる様になった演算スライムは、幻覚魔法と隠密魔法を駆使して他人に極力見つからない様に偽装していた。
今も待合所の掲示板を眺めている演算スライムだが、そこに注意を向ける者は居ない。
意識的に見ない限りは演算スライムを視覚で捉える事は困難であり、人族が気配として総称する各種不可視光線が漏れない為、視覚で捉えられない限り演算スライムを感知するのは不可能である。
「…蔦蛇を一人で駆除したって?」
例外は流動体である左腕を介して演算スライムを知覚出来るジルである。
演算スライムはジルに向けて、評価値三桁以上の依頼を受ける様に誘いたい旨を反響話法で伝える。
[今度一緒にどうだい?]
ジルはジト目で首を横に振る。
「口説き文句みたいに物騒な誘いしないで」
演算スライムの思考にある意味ではジルを口説き落とそうとする意図があるのだからあながち間違いではないのだが。
危険な場所に放り込む機会を逃して残念に思う思考が僅かに漏れる。
「何で本気で残念そうにしてる!?」
相変わらず良く分からないと額に左手を当てて呟くジルを見て、益々左腕が馴染んでいる事に嬉しさ半分寂しさ半分と言った感じの演算スライムは、壁に貼り付けられた放置依頼を眺める。
放置依頼とは様々な理由で中々受注されない依頼である。
演算スライムが好んで受注する評価値三桁以上の危険極まりない依頼が一割で、大半は評価値二桁台前半以下の簡単な依頼が多い。
ジルは評価値一桁か二桁に毛が生えた程度の依頼しか受けない。無難な選択でもある。
放置依頼であれば評価値一桁辺りでも危険の多そうな依頼もあるかも知れないとそれを眺めていた演算スライムは、ジルから漏れ出す思考が変質した事に気が付いてそちらに意識を向ける。
その感情は人族が怨嗟と呼ぶ物に酷似していた。
待合所に居る傭兵の中でも手練れの数名がジルの方に視線を向けた。
「ねえ、あんたと部隊登録をすれば三桁依頼でも受注可能だよね?」
登録された傭兵の無駄な損失を防ぐ為に、通常であれば評価値70以上の依頼は過去に成功させた依頼の最高評価値に対して80上乗せした依頼までしか受けられない規則になっている。
そしてジルが凝視する放置依頼は評価値292である。
しかし、一つだけ抜け道がある。部隊登録だ。
同じ依頼を複数の傭兵が受注する際には部隊登録をする事になるのだが、その相手と登録方式によっては評価値がかなり高い依頼も受注可能になる。
「理由は知らないけど、あんたは私に危険な依頼を受けて欲しいんだよね?」
ぎらぎらとした眼光を放ちながら、ジルは演算スライムを睨み付けた。
演算スライムにとってはその申し出を否定する要素は無い。
[是が非でも]
演算スライムの思考が伝わると、ジルは不敵な笑みを浮かべて掲示板に留められた依頼書を引っ手繰り、登録受付へと歩いて行く。
その日の登録受付は空いていた。
並ぶ事無く受付に辿り着いたジルは一言。
「部隊申請をしたいんだけど」
自身の登録証を差し出してそう告げると、受付の初老の男性は柔和な笑顔で書類を取り出しながら部隊登録の詳細を訪ねる。
その手は無駄の無い動きで渡された登録証を魔法具へと差し込む。
「後ろのこいつと、通常登録で」
笑顔でジルの指差す先を見た受付が、その顔を若干引き締める。
「…破壊神と、ですか」
漏れ出た不穏当な単語にジルが呆れた顔であんた何やらかしたのと演算スライムを振り返る。
漠然とした疑問を返す演算スライムに、ジルは一抹の不安を覚えるが、それはすぐに怨嗟の念によって思考の深層に塗り込められた。
「確認になりますが、通常部隊登録は臨時部隊登録とは異なり、登録にも解除にも双方の意思が必要となります。また、臨時登録とは異なり重複しての登録は出来ませんがよろしいでしょうか?」
受付の説明にそうだと呟くジルと、構わないと言う思考を放つ演算スライムに受付は頭を痛める。
外側からは見えない位置にジルの個人情報が表示されていた。
足手まといになる程格下である。
(大丈夫なのか?色んな意味で)
通常部隊登録を臨時傭兵同士でする事自体は禁止されていないが、申請があるのは極稀である。
部隊での活動に関しては制限が緩和される一方で、自由気ままな活動はしにくくなる。
そうでなくとも、破壊神と受注限界二桁の格下。
地形を変える次元で大技を振るう事から破壊神と呼ばれている規格外の臨時傭兵と、どうやって一緒に依頼をこなすのだろうかと。
そんな事を考えながら説明を終え、受付は演算スライムから受け取った登録証も魔法具に差し込む。
「ジル様、エルダ=サウラ様、通常部隊登録を進めてもよろしければこの水晶に手を…」
そんな事を考えながらも、柔和な笑顔を維持しながら手続きをする受付の耳がジルの呟きを拾う。
「そんな名前だったんだ」
説明の途中に不自然な沈黙が差し込まれ、ジルは失言したなと言う顔で口元を押さえる。
「…この水晶に手を乗せて下さい」
受付けが笑顔を崩さなかったのは職業魂の賜物である。
その後も淡々と登録が進められ、無事に登録は完了した。
「以上で登録は完了です」
差し出された登録証を受け取ったジルは、放置依頼の詳細が書かれた依頼書を突き出した。
「これ、部隊で受注したいんだけど」
登録窓口では原則依頼の受注手続きはしていないのだが、その日は比較的空いていたのと、破壊神と格下傭兵との異色部隊がどんな依頼を受注するのかが見てみたいと言う考えが頭を巡り、受付はやや躊躇しながら依頼書を受け取る。
「はあ、宵闇盗賊団の討伐依頼ですか?」
興味本位で受け取ったものの、結局受付は驚けばいいのか納得すればいいのか判断出来ずに曖昧な声を返した。
ジルには難し過ぎる依頼だが、破壊神には簡単過ぎる依頼。
規則としての基準はギリギリ満たしている。
色々と非常識な感じもするのだが、総じて判断すれば無難になると言う不思議。
無難と言っても、これが臨時部隊であれば即時却下する水準ではあるが。
色々と心配事はあるのだが、結局受付が忠告したのは一つだけだった。
「街道、壊さないでくださいよね?」
真剣な受付の視線と、本当に何をしたのだと言いたげなジルの視線が、演算スライムに突き刺さる。
演算スライムはそのどちらにも答えずに、漠然とした困惑を漏らしただけである。
受付が作業する様子を怨嗟の念を漏らすジルの背後から覗きながら、ジルの天恵魔法に触れる機会を得た事に対する喜びは欠片たりとも漏らさなかったが。