九
丘の上の我が館からすでに集落は見えなくなっていた。
夕闇が荘を覆いつくし、冷たい夜が始まろうとしていたからだ。
「本末転倒だ」
意思とは関わりなく口をついた、呟き。
この館を去った者たちが集落でどうしているか。考えたくもなかった。考えることすらできなかった。
三郎は子供にいい聞かせるように、私に説いてみせる。
「大嵐と思うがいい。所詮いっときのこと、去るときは早く、長くとどまることはない」
私は無言のまま、なにも云い返せずにいた。
すると、
おおん、おおん。
と、低い音が辺りに轟いた。
なにも食していない腹まで響き渡る。不吉を感じ、私は思わず身をすくめた。
「聞きませい、出陣じゃい」
自らの正しさを誇るように、鷲尾の三郎は大げさな身振りで声を大にした。
三郎のことばは正しかった。
一人、また一人。
どこからか武者が現れる。
対面の座に居た者たちもまた、弓を携え母屋から繰り出してくる。次々に馬を牽き、馬上の人となる。
おそろしく手早く軍装が整えられる。そのさまを、私は呆然と眺めていた。
「庫の裏手にでも隠れていよ」
「隠れる」
「もう用済みだからな。姿を見せぬほうがよい。それに、ここからはなにがあっても手向かいいたすな。村人ひとりの犠牲が何十人に変わるぞ」
三郎はそう言い捨てると、さっと身を翻し軍勢の元へ歩んでいった。
三郎は振り返ることはなかった。
私は、彼が武者どもの群れに交わってゆく様子を眺めていた。彼の姿が見えなくなってから、私は忠告どおり庫の裏手へ回った。
夜の遠目でも彼らの姿はよく見えた。
手にかざす松明の焔に照らされ、姿が幽鬼のように浮かび上がっていた。表情さえも明確に判別できる。
ひとり九郎御曹司は焔を掲げていなかったが、彼もまた周りの灯りに照らされていた。
その姿はこれまでとは別人であった。
爛々と輝く眼。
鷹の眼をしていた。獲物を眼のみで射抜く、酷いまでの眼光。
……狩りが始まる。
私は突然いわれなき恐怖に慄き、背筋が凍った。まるで私が狩られるかのように、微動だに出来なくなった。
眼を塞ぎたくなる衝動を抑え、ひたすら観察を続けた。
そこに浮かぶ一群。それは、一様に悪鬼の表情であった。
「出陣!」
九郎御曹司の声に応え、滑るように焔の列が動いた。
坂を下る情景を私は見送っている。
……ようやく去ってくれるのだ。
長く続く不作。そして飢饉という天祇地神の怒り。
源氏という人々がもたらした、災厄。
それもこの軍勢が去るいま、あとひと月を忍べば、春は確実にやって来る。
そう、春は確実にやって来る。
住吉社の米は、細く食えば夏までは耐えられる。新しき窯づくりと器づくりに取り掛かることもできる。
苦しみのあとの春。それを謳歌する日を、私は夢想する。
去り行く焔を見送りながら……。
焔の軍列。それは私にとって、希望を出迎える儀式のようでもあった。
だがその夢は次の瞬間、無残に打ち砕かれた。
集落の闇に、焔が散った。
その灯火はひとつ、ふたつ。ふたつがよっつ。
確実に増えていった。
そして大きくなっていった。
私は三郎のことばを反芻した。
……なにがあっても手向かいいたすな。
どうにも出来ない。手向かいなどできるはずがない。
私は無力感に苛まれた。
それでも……甕に水をくべると、集落へと駆けた。