表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
焔駆けつ  作者: 鏑木恵梨
9/11

 丘の上の我が館からすでに集落は見えなくなっていた。

 夕闇が荘を覆いつくし、冷たい夜が始まろうとしていたからだ。

「本末転倒だ」

 意思とは関わりなく口をついた、呟き。

 この館を去った者たちが集落でどうしているか。考えたくもなかった。考えることすらできなかった。

 三郎は子供にいい聞かせるように、私に説いてみせる。

「大嵐と思うがいい。所詮いっときのこと、去るときは早く、長くとどまることはない」

 私は無言のまま、なにも云い返せずにいた。

 すると、


 おおん、おおん。


 と、低い音が辺りに轟いた。

 なにも食していない腹まで響き渡る。不吉を感じ、私は思わず身をすくめた。

「聞きませい、出陣じゃい」

 自らの正しさを誇るように、鷲尾の三郎は大げさな身振りで声を大にした。

 三郎のことばは正しかった。

 一人、また一人。

 どこからか武者が現れる。

 対面の座に居た者たちもまた、弓を携え母屋から繰り出してくる。次々に馬を牽き、馬上の人となる。

 おそろしく手早く軍装が整えられる。そのさまを、私は呆然と眺めていた。

「庫の裏手にでも隠れていよ」

「隠れる」

「もう用済みだからな。姿を見せぬほうがよい。それに、ここからはなにがあっても手向かいいたすな。村人ひとりの犠牲が何十人に変わるぞ」

 三郎はそう言い捨てると、さっと身を翻し軍勢の元へ歩んでいった。

 三郎は振り返ることはなかった。

 私は、彼が武者どもの群れに交わってゆく様子を眺めていた。彼の姿が見えなくなってから、私は忠告どおり庫の裏手へ回った。

 夜の遠目でも彼らの姿はよく見えた。

 手にかざす松明の焔に照らされ、姿が幽鬼のように浮かび上がっていた。表情さえも明確に判別できる。

 ひとり九郎御曹司は焔を掲げていなかったが、彼もまた周りの灯りに照らされていた。

 その姿はこれまでとは別人であった。

 爛々と輝く眼。

 鷹の眼をしていた。獲物を眼のみで射抜く、酷いまでの眼光。

 ……狩りが始まる。

 私は突然いわれなき恐怖に慄き、背筋が凍った。まるで私が狩られるかのように、微動だに出来なくなった。

 眼を塞ぎたくなる衝動を抑え、ひたすら観察を続けた。

 そこに浮かぶ一群。それは、一様に悪鬼の表情であった。


「出陣!」

 九郎御曹司の声に応え、滑るように焔の列が動いた。

 坂を下る情景を私は見送っている。


 ……ようやく去ってくれるのだ。

 長く続く不作。そして飢饉という天祇地神の怒り。

 源氏という人々がもたらした、災厄。

 それもこの軍勢が去るいま、あとひと月を忍べば、春は確実にやって来る。

 そう、春は確実にやって来る。

 住吉社の米は、細く食えば夏までは耐えられる。新しき窯づくりと器づくりに取り掛かることもできる。

 苦しみのあとの春。それを謳歌する日を、私は夢想する。

 去り行く焔を見送りながら……。

 焔の軍列。それは私にとって、希望を出迎える儀式のようでもあった。


 だがその夢は次の瞬間、無残に打ち砕かれた。


 集落の闇に、焔が散った。

 その灯火はひとつ、ふたつ。ふたつがよっつ。

 確実に増えていった。

 そして大きくなっていった。

 私は三郎のことばを反芻した。

 ……なにがあっても手向かいいたすな。

 どうにも出来ない。手向かいなどできるはずがない。

 私は無力感に苛まれた。

 それでも……甕に水をくべると、集落へと駆けた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ