八
館の外に出、まず気づいたのは静けさであった。
……倉にも武者がいたはずだが。
不安に苛まれながら、私はあたりを見回す。
なだらかに下りゆく地の上に、荘の人々の姿は認められない。
「荘の名代どの」
背後からの声に、驚いて身をひるがえす。
御曹司の影にいた若い猟師である。馬を不器用そうに曳いていた。
不来坂を越えた、同じ丹波国は鷲尾の住人。探すよう命じられた、男でもあった。
「あなたが鷲尾のお方か」
「三郎と申します……随分、お疲れのようすですな」
会釈もせず訊ねた答えを、彼は労わりのことばで返した。
「お歴々が軍議に参れと仰せですぞ」
「俺は道々案内をするだけじゃ。行っても佐藤兄弟のコケ脅しを食らうだけよ」
飄々としたものである。
だが好意は持てない。達観しきった目は、ものごとを茶化すような印象を受ける。
それに何より……。
「あなたたちか。当荘に米が余っていると偽りを申したのは」
「長老が云うたかも知れぬな」三郎は私を斜交いに見た、「おまえさん、断ったのだな」
「断る以前に、無いのだ」
「ここを訪れたとき、子供がいたではないか。子供が生きているくらいだ。少しくらいはあるだろう」
「飢え死にを承知で渡せと」私は眉を寄せた、「あなたは武士ではないのに、よくもかく申せますな」
三郎は黙った。引き続き、私を斜交いに眺めている。
それは答えを探しているというより、むしろ私を観察しているようであった。
沈黙に覆われる。
私もそれ以上、言葉を継ぎはしなかった。
「平家など」沈黙を破ったのは三郎だった、「平家は所詮、財を独り占めにし慣れ、味方してもこのような小さな荘園などに感謝はせん。いまさら、平家に肩入れして何になる」
「平家源家は関係ない」
「ならば飢えていようが死にかけていようが、源家にはおとなしく従うがよかった」
朝日将軍は耳にしていよう。
木曾の源家の将軍、義仲さまのことだ。平家の公達が去ったあと京に入った義仲さまは「朝日将軍」と呼ばれた。が、将軍とその郎等の傍若無人ぶりに都人は辟易した、という。
源家の人はかく成ればなにをするか分からん、と三郎は続ける。
「だが、だ。味方なれば態度は別。ゆえに鷲尾では、死にかけや婆の家を選んでそこから食料を捻出したわけさ」
いずれ死ぬ者に食わせたって仕方ないからな。
三郎は淡々と、そう云った。
私は、言葉を失った。
われわれは全員が食いつなぐことだけを考えた。だから米を隠した。
だがそれは、甘い考えであったのか。
空は黄昏がかっていた。
背後の山から吹き降ろす風が、身にしみつつある。
こうなれば夜の帳は今にも下ろされる。山里の凍てはすぐにやってくる。
「ついでに云うと、身内になればさらに待遇は良い。俺は道案内をかって出た。食物を出さずとも済んだという話さ」
「そこまで媚びるのか」
「媚び? 時勢を見たまでのこと」
「いままでの話、鷲尾の方々の総意ではあるまい」
らちも無い。
と、三郎は軽く笑った。私は肯定と受け取った。
「館まで、俺はおまえさんに無言で訴えていたんだ。九郎義経さまは甘く見ぬほうが良いと……薄ぼんやりの軽い人だが、身内の人心を上手く操ることには長けているらしい。対立したものにはとことん嫌われるようだがね……長老の一人は、従う俺の顔も二度と見たくないと云ったよ」
「……ご助言感謝するが、いささか遅きに失したようだ」
「空腹と疲労で、武者どもは戦意を失くしていた。それを義経さまは憎悪の念で再び鼓舞したのだよ。この荘ご自慢のかわらけを食え、と命じることでね」
私は思い出した。
庫を占めていたはずの武者たちの姿を。本当に破片を食えと命ぜられたのか。それでは武者たちは……。
私は再びあたりを見回す。
三郎は意図を察し、庫を指差して物語るように話した。
「義盛さまが『これを食え』とかわらけを差し出したら、奴ら集落のほうへと去っていったぞ」
なんてこと……!
きびすを返し、集落へ向かわんとする私の腕を、三郎はむずと掴む。
「離せ!」
「興奮するな。おぬし、集落へ下りて行っていかにする」
「いかにするも何も」
「それで米が残ればよかろう」
「きさま……」
「それが第一義であったのだろう? いま少し頭は良いかと思うたがな」