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焔駆けつ  作者: 鏑木恵梨
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 館の外に出、まず気づいたのは静けさであった。

 ……倉にも武者がいたはずだが。

 不安に苛まれながら、私はあたりを見回す。

 なだらかに下りゆく地の上に、荘の人々の姿は認められない。

「荘の名代どの」

 背後からの声に、驚いて身をひるがえす。

 御曹司の影にいた若い猟師である。馬を不器用そうに曳いていた。

 不来坂を越えた、同じ丹波国は鷲尾の住人。探すよう命じられた、男でもあった。

「あなたが鷲尾のお方か」

「三郎と申します……随分、お疲れのようすですな」

 会釈もせず訊ねた答えを、彼は労わりのことばで返した。

「お歴々が軍議に参れと仰せですぞ」

「俺は道々案内をするだけじゃ。行っても佐藤兄弟のコケ脅しを食らうだけよ」

 飄々としたものである。

 だが好意は持てない。達観しきった目は、ものごとを茶化すような印象を受ける。

 それに何より……。

「あなたたちか。当荘に米が余っていると偽りを申したのは」

「長老が云うたかも知れぬな」三郎は私を斜交いに見た、「おまえさん、断ったのだな」

「断る以前に、無いのだ」

「ここを訪れたとき、子供がいたではないか。子供が生きているくらいだ。少しくらいはあるだろう」

「飢え死にを承知で渡せと」私は眉を寄せた、「あなたは武士ではないのに、よくもかく申せますな」

 三郎は黙った。引き続き、私を斜交いに眺めている。

 それは答えを探しているというより、むしろ私を観察しているようであった。

 沈黙に覆われる。

 私もそれ以上、言葉を継ぎはしなかった。

「平家など」沈黙を破ったのは三郎だった、「平家は所詮、財を独り占めにし慣れ、味方してもこのような小さな荘園などに感謝はせん。いまさら、平家に肩入れして何になる」

「平家源家は関係ない」

「ならば飢えていようが死にかけていようが、源家にはおとなしく従うがよかった」

 朝日将軍は耳にしていよう。

 木曾の源家の将軍、義仲さまのことだ。平家の公達が去ったあと京に入った義仲さまは「朝日将軍」と呼ばれた。が、将軍とその郎等の傍若無人ぶりに都人は辟易した、という。

 源家の人はかく成ればなにをするか分からん、と三郎は続ける。

「だが、だ。味方なれば態度は別。ゆえに鷲尾では、死にかけや婆の家を選んでそこから食料を捻出したわけさ」

 いずれ死ぬ者に食わせたって仕方ないからな。

 三郎は淡々と、そう云った。

 私は、言葉を失った。

 われわれは全員が食いつなぐことだけを考えた。だから米を隠した。

 だがそれは、甘い考えであったのか。


 空は黄昏がかっていた。

 背後の山から吹き降ろす風が、身にしみつつある。

 闇と灯火に覆われた小野原集落。

 人は一様に、焔を眺めるだけだった。

「暖かいわい、暖かいわい」

 気が触れたように叫びながら、男どもは踊りだす。

 脱け殻のように座り込む、女達。

 そして、そのさまを目にして水甕を取り落とした私。

 その光景は小野原だけではなかった。

 西の本荘集落まで焔の道は続いている。源氏の軍勢の道行を照らす、大きな松明。それが今田荘だったのだ。

 ……老人は半ば他人事のように云う。

「おお、向こうも火がかけられた」

 小野原の南、東光寺の一角にも火の手があがった。

「坊様たちの米隠しを手伝うたしのう」

 宿坊数十を数える寺である。

 当然、向こうにも徴発は来たらしい。

 だが東光寺も今田荘と意をひとつにしていた。坊主たちも荘の者の手を借りて、兵糧逃れをしていたのである。

 今田荘のとばっちりとも云えるが、そうでないとも云える。

 いずれにせよ寺に火をかけるなどとは、世も末だ。

 だが、私には他に気になることがある。

 気になるというよりは不安、であった。

「母はご存知ないでしょうか。ここにはいないようですが」

「東光寺の御坊に隠れておったかも知れぬ」

 絶句した。

 瞬時に、不安は絶望に変わる。

 私は再び、駆けた。


 東光寺は今まさに、火の手が回りはじめたところであった。

 坊様たちはまだ必死で水を掛けたり逃げ惑ったりと、混乱を極めていた。

 たれかに行方を聞こうにも、自分が逃げることが先に決まっている。

 幾人かを引き止めてはみた。だが老母など知らぬと、足早に去っていく。

 ……母は荘官の庇護を受けていたときより、寄進を欠かしたことはなかった。生活に困らぬ以上のものはすべてほかの人に与え、そして寺に喜捨した。

 信心深い人だった。

 それなのに、あの老母に気を払う者はたれ一人としていなかった……。

 私は、焔の宿坊を走り回った。

「母さま、母さま!」

 熱い。

 冬にも関わらず、全身から汗が吹き出ている。

 叫ぶ声も嗄れ始めている。

 汗を腕で拭い、私は立ち止まる。

 細い、女の声を聞いた。前方からだった。

「さえ殿!」

 その人は立ち尽くしていた。

 焔に包まれた小屋の戸口で火の粉を浴びている。

 髪はほつれ、衣の裾は乱れ、腕はただれている。そして裸足の両肢に滴る血。

 彼女の身に襲い掛かった出来事を、私は瞬時に悟った。

「さえ殿、早う逃げましょう」

 私が促すも、彼女は動かなかった。かわりに虚ろな声で、答える。

「おばさまが、いちばん、美しい耳壺を、忘れたと」

 小屋が音を立てて崩れる。さえは目を逸らさない。

「中に取りに、かえっていらして」

 激しく火の粉が舞い上がった。

 私はもう何も出来ない。

 声も無くただ彼女を抱きしめ、雪のように降る火から守ることしかできない。


 私はさえを背負い、小野原へと歩き出した。

 さえは私の耳元でなにかを呟いている。私は足を止め、いま一度訊ねた。

「きれい」

 私は顔を上げた。

 夜闇の今田荘を覆う焔。それは物語に聞く龍が、駆け抜ける姿に見えた。

 なにも無い荘園の最期を彩る焔。

「ええ。美しい」

 私の肩が濡れた。

 続いて肩越しに低い嗚咽が聞こえ、私はそっとまぶたを伏せた。


 やがて、龍は朝焼けとともに去っていった。



(了)




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