一
常なれば、摂津住吉本社まで参ることはなかった。
私は荘官の係累とはいえ、生まれ出でしより今田荘に居し、今やひとりの陶工にすぎぬ。その私が本社まで出向いたは、ゆえ有ってのことである。
ここ数年、うち続く凶作。それはこの今田荘だけの話ではない。
諸処、似た話を聞く。さらに非道な語りも耳にしている。
この荘もこのままでは飢えを待つばかり、「口減らし」「姥すて」やむなしと、たれともなく口にするようになった。
だが待てよ、と私たち若い陶工衆は知恵を絞った。
……近来焼きはじめた陶を献じればなんとかならないだろうか。
それには、納めるに足る質と数を確保せねばならぬ。
ひとつの窯で一度に出来る数は、数個。一度の焼成にかかる期間は、半月。
私をはじめ、陶工は眠らず休まず窯を見守った。
穴窯の中駆けめぐる焔。その奥に沈む土塊。
冬が来てさえ、私は毎日汗を幾筋伝わせていた。土の色の変化を、形の歪みのないことを見張り続けていた。
正月を越えた頃、幾たびめかの雪の朝。
秋以来、のぼり続けていた窯の煙を止めうる時が来た。
三本峠の穴窯の耳壺十ほど、同じものが揃ったのだ。ひと列にずらり並べて、その比類無き出来映えに私は息を呑んだ。
……なんと端正な姿態、繊細な彩紋、そして灰色の深みの美しきかな。
この焼物に携わった工人どもは、顔の土を涙で洗い流した。そう、あまりの美しさにだ。
この宝を、みな手放すことを惜しんだ。
否。
この品を届け、荘倉を開かねばならぬ。来春の菜作りも待てぬのだ。耳壺は、間違いなく目の肥えた歴々を満足させるであろう。揃いの物を焼き上げる技も認められるはずだ。年祖減免も必ずや聞き届けられよう。
……一刻も早く届けねばならぬ。本領を守り動かぬ荘官の来所を待てはせぬ。
源氏が東国より都に攻め上る世情。帝や天上の方々、それに平家の公達が福原新京に旧都にと行きつ帰りつする有様。荘官は内々のことは荘内の者に任せ、なかなか現地に下り来ることはない。
私は残雪微かな峠を越え、住吉社へ赴いた。
そして、思いがけなく上首尾となった。暫時、荘官との目通りが叶い、永年半済の発給を得たのである。未来永劫年祖が今までの半分となり、しかも今年は半分を戻すというのだ。
私は一刻もはやく荘の者に知らせんと、すぐに本社を発った。
その帰途。
伊孑志の渡し舟の上であったか。私はこんな話を耳にした。
「またいくさじゃ」
「源氏なぞも平安の都におらしゃるだけでこと足れりとしてくれぬかの。とんだ迷惑じゃ」
平家の方々が福原を出立し、範頼義経なる源氏の御曹司を迎え討つ。その平家方が「三草山」に布陣するという。
三草山は、今田荘よりほんの数里の山である。
……早う武庫の川を渡りきらぬものか。
船酔いか、不安にさいなまれたか。私は急に胸がつかえ、ひざから崩れた。
躯は動かぬというに、ただ気だけが急いていた。