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媛君が希うこと  作者: 佳耶
第一章 邂逅
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 翌朝、銀朱ぎんしゅように起こされると、直ちに支度に取りかかった。

 すでに衣桁にかけられていた衣装はすべて畳まれ、着重ねていく順番に並べられている。顔を洗って簡単な朝食を摂ると、まずは丹念に髪を梳るところから始まった。

 腰のあたりで切りそろえられた髪の一部だけを頭頂部へ結いあげ、下ろした部分は肩ほどの長さになるように調節してまとめる。薄く化粧を施し、銀朱は着替えのために敷かれた布の上に立った。

 とうの正装は、何枚もの衣を重ねてその美しさと豪奢さを誇示する造りだ。袖口の最も下に出る色は明るい紅で、そこから濃淡の異なる萌黄色や紅をどんどん重ね、その上に鴛鴦の紋の織られた紫の衣を着る。

「あの、何かお手伝いできることはございますか?」

 様子を見守っていたジゼルが申し出たが、昨日初めて桐の衣裳を目にした彼女にできることはない。銀朱の支度はほとんど洋ひとりで行い、補助として以緒よりつぐが次に重ねる衣や帯を差し出す程度だ。あまりの数の多さにジゼルは面食らったようだった。

「ありがとうございます。でも、慣れているから大丈夫ですよ」

 てきぱきと手を動かしながら、洋はにこやかに返事した。用の済んだ道具は、速やかに未良みよしが片づけていく。

 すべての衣を重ね終えた頃には、さすがに重くて腕を動かすのも億劫だった。金の髪飾りを挿し、肩から飾り布をまとう。

 最後に以緒が紅筆で、銀朱の額に鳥に似た紋様を描いた。正真正銘、銀朱が桐の皇女である証だ。あとは手に色紐でまとめた扇を持てば完成だった。

「お疲れ様でした」

 洋と以緒が一礼する。手際よく進んだおかげで、王宮からの迎えが来るまでにはまだ余裕があった。長い裾を捌き、以緒の手を借りて椅子に腰かける。

 するとちょうどその時、カリンが姿を現した。普段身につけていた灰色の服ではなく、白でまとめた騎士の正装姿である。肩からはマントを下げ、腰には華美な装飾が施された儀礼用の剣を佩いていた。

「それじゃあ、わたしたちも支度してきますね。失礼します」

 その場をジゼルとカリンに任せ、三人はいったん退室した。とたんに室内に沈黙が降りた。

 人の背丈ほどある絵画や、贅の限りを尽くした室内装飾は、銀朱の趣味には合わなかった。そのため、一日経ってもどこか居心地が悪く、昨夜も寝付きが悪かった。朝食も銀朱ひとりの量にしては多く、淡々と口に運ぶ作業をしただけだ。重い衣裳を着なければならないので、もとよりそれほど食べるつもりはなかったが、いまだに胃のあたりでつかえている感覚が取れない。

「お茶のご用意をいたしましょうか? まだ時間もありますし、王宮へ上られたらお忙しいでしょうから」

 ジゼルが重い空気を払うように言い出した。カリンは入り口近くに、無言で控えている。

「……そうね。お願いできる?」

 はい、とうなずいてから、ジゼルはお茶の準備に出ていった。

 ふたたび静寂に満たされ、銀朱はそのまま以緒を待った。カリンからは見えないように、袖の下で扇を弄ぶ。

 ――ようやくここまで辿りついた。思わぬ方向から差し出された手を、銀朱は迷うことなく掴んだ。正しい選択かはいまだにわからない――だが、なんとしてもあの国を出たかったのだ。

 しかし、やっと銀朱は出立点に立っただけだ。本来の目的にはまだほど遠い。

 ぱちん、と乾いた音が耳を打ち、銀朱は伏せかけていた顔を上げた。どうやら手元が狂い、扇を鳴らしてしまったらしい。

「いかがなさいましたか?」

 それまで黙りこんでいたカリンが問う。

「何でもないわ。気にしないで」

 はい、と騎士は応じ、それ以上の追及は無かった。こっそりと影で扇を持ち直す。

 ふと、銀朱は昨日のことを思い出した。カリンの様子がおかしかったが、あれ以来ジゼルと顔を合わせている場面に立ち会っていない。あのままコルトサードを追いかけて出ていったきりだったのだ。

 ジゼルは何事も無かったように振る舞っていたが、お茶の用意を女官に頼まずに去ったということは、やはり居心地が悪かったのだろう。彫像のごとくたたずんでいるカリンを、銀朱は上から下まで観察した。

『……聞いてもいいかしら?』

 桐語でたずねると、騎士は銀朱に近寄った。

『何でしょうか?』

『ジゼル嬢とは何があったの』

 カリンは一瞬身を固くしたが、すぐに諦めたのか、ため息とともに広い肩を落とした。

『……お気遣い感謝いたします』

『こちらの言葉では話さないかと思っただけよ』

『隠すような事柄ではないのですが、やはり人の目がある場所では話しにくい内容ですので』

 銀朱が無言で続きをうながす。彼は渋面を作りながら話した。

『ジゼルは、私の元婚約者なのです』

『元……?』

 はい、とカリンがうなずく。

『おたがい父親が学友同士で、幼い頃からともに遊ぶ仲でした。成長してから自然とそういう話になったのですが、私が殿下の騎士を拝命したときに婚約も解消しておりまして……』

『なぜ?』

『騎士は、主君に命を捧げるのが務めです。平時は殿下のお側で処務をこなしますが、有事の際には殿下のために盾になる身なのです。そんな人間の妻になることが、ジゼルの幸せに繋がるとは思えませんでした』

『それで、仲違いしたのね』

 一方的な意見だと、銀朱は思った。ジゼルがカリンを好いていたかまでは知らないが、そこには彼女の意志はまったく関与していない。カリンと結婚すると信じて生きてきたジゼルにとって、婚約解消は未来を踏みにじる行為に等しいだろう。所詮、男にとって女とはその程度なのだ。

『仲違い、までは行きませんが……他人から見ればそうでしょうね』

 カリンは苦々しく笑う。

『ジゼルが寿春様の介添を務めるとは聞いていなかったので、昨日はあのようなはしたない行動を取ってしまいました。大変失礼いたしました』

『エセルバード殿下は、そのことをご存じなの?』

『ええ……まぁ……』

 わずかにカリンの口角が引き攣る。だが一瞬のことだったので、銀朱の見間違えだったのかもしれない。

『ですがもう八年近く前のことですし、殿下も純粋にジゼルの才覚を買われただけかと思います。桐に赴いた者はみな男性でしたので、やはり女性の作法には疎かったでしょう。ご不明なことがありましたら、ジゼルに何なりとお尋ねください』

『……そうね。そうするわ』

 ジゼルに同情はしなかった。ただ、幼なじみの婚約者に裏切られた彼女と、顔も知らない王子に嫁ぐ自分と、どちらがましだろうかと考えた。だがおそらく、比較するようなことではないのだろう。銀朱は道具であっても、自分の目的を貫くまでだ。

 やがて、ジゼルがお茶の準備を終えて戻ってきた。明るい色の液体が磁器のカップに注がれると、湯気とともにすっきりとした芳香が香りたつ。ほのかに甘みのある匂いは、りんごによく似ていた。

「緊張を和らげる効果があると言われているお茶です。お口に合うといいのですが……」

 胃がもたれていたが頼んだ手前があるので、銀朱はしかたなしに口をつけた。渋みは無く、初めての銀朱でも飲みやすい。身体中に染み渡るぬくもりと解れてゆく胃のつかえに、ようやく自分が緊張していたことを知る。

 自覚したとたんに足下から力が抜けてゆき、彼女は悟られないようにカップを握りしめた。無性に、以緒の顔が見たかった。

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