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媛君が希うこと  作者: 佳耶
第三章 秘め事
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1

「――まずは、あなたの生い立ちについて教えてください」

 またこの質問か、と銀朱は嘆息した。

 王都の中心に位置するルサ・ヘティオール大聖堂内の礼拝堂で、銀朱は大司教と呼ばれる高位聖職者と対面していた。九月初旬、新月の前日である。明日から始まる毎月の礼拝に備え、銀朱の改宗の儀式が執り行われていた。

 装飾を控えた服装で王宮を出立したのは午前のことだ。エセルバードとともに大聖堂を訪れた銀朱は、王族専用の礼拝堂に通され、大司教から質問を浴びせられている。

 質問と言っても宗教学的な要素はなく、銀朱自身に対するものばかりだった。生い立ちと性格、食べ物の好みや趣味などから、生国での生活やヘリオスに対する印象、それぞれの神への見解が主な内容である。それが一度で済めばいいのだが、厄介なことに数人の大司教が入れ替わるごとに同様の質問がくりかえされるのだ。四度目ともなれば、さすがに疲労は否めない。

「そろそろ次に進んでもいいのでは?」

 間に入ったのは、銀朱の背後でなりゆきを見守っていたエセルバードだった。祭壇を背に座った三人の大司教と、視線が交わる。

「エセルバード殿下。これは聖なる儀式でございます。定められた手順に則り、丁重に進めなければなりません」

「四回も同様の質問を重ねる改宗の儀式など、聞いたことがない。それとも単に私が無知だとでも?」

「そのようなことは申しておりません。ただ、これは初めての事例でございます。我々が慎重にならざるを得ない事情もご理解ください」

「総大司教であられる陛下からの認許はあるというのに、何を畏れる? 彼女が改宗し、女神の信徒となるのはすでに決定しているんだ。君たちは通例どおりの儀式を行うだけでいい」

 殿下、と大司教の一人が首を振った。

「我々は聖職者でございます。あなた方は国を治めることに専念されなければ」

「分を弁えろと言いたいのかい? 常日頃は女神の末裔だ、始祖イシュメルの瞳だと騒ぎ立てておきながら?」

 ぴりりと空気が辛い。双方の睨みあいに挟まれ、銀朱はもう一度ため息をついた。

 王族用の特別な空間とあって、堂内は隅々まで贅を凝らしてあり、ベルベットを張った長椅子の座り心地も悪くなかった。それでも何時間も座ったままでいるのは拷問でしかなく、秋が濃くなる季節に陽の入らない室内は涼しい。紙に落としたインクがじわりと滲むように、首筋や手先から冷気が染みてくる。

「とにかく、休憩を取らせてもらおう。君たちが奥であたたかいお茶にありついている間、銀朱はここで食事も摂らずにひたすら待機していたのだからね」

「エセルバード殿下、まだ質問の最中でございます」

「君たちが同じ質問をし、銀朱が同じ答えを返す。時間の無駄だ。情報の共有ぐらいしたまえ」

 差し出されたエセルバードの手に、銀朱は躊躇しながらも自分のを重ねた。足腰はすっかり強ばっていて、初めの一、二歩は不安を覚えたが、すぐに普段の感覚を思い出す。呼び止める大司教を冷ややかに無視して、ふたりは礼拝堂を後にした。入り口に控えていたアーロンが無言で背後に続いた。

 陽光に満ちた大聖堂内では、参拝者や法服をまとった聖職者が数多く行き来していた。側廊の幅は人が二十人並んでも足りないが、中央をまっすぐに貫く身廊はその倍はあるだろう。多種多様の石材で流麗な文様を描く床に、彫像や絵画など数多の装飾で埋め尽くされた壁。堂内にそびえる巨大な白柱は身廊の両脇を一直線に並び、はるか頭上の円天井を支えている。最奥部の黄金に輝く祭壇には、花と祈りの灯火がしとやかに捧げられていた。

 墓所のあるジ・ジェルフ聖堂と比べてもはるかに豪華絢爛であり、何代にも渡り莫大な資金と技術を投じて建設された、国家の威信とも表せる建造物だ。太古の昔、女神と始祖が巡り会ったとされる聖地を彩り祀るのに似つかわしいだろう。

「……よかったのかしら」

 ぽつりと銀朱が呟く。エセルバードに気づいた聖職者が、こうべを垂れて道を譲った。階級が低いのか、法服の装飾は質素だった。

「彼らは少し傲りすぎだ。たまには喝を入れてやらないとね」

 側廊から脇に伸びた通路をしばらく進むと、いつのまにか宮殿のような内装に様変わりしていた。廊下や部屋の配置は王宮とそっくりだ。案内された一室にはジゼルが待機しており、笑顔を浮かべてふたりを出迎えた。

「お疲れ様でございます。今、お茶をお淹れしますね。お食事の支度もできておりますが、召し上がりますか?」

「ああ、頼むよ」

 部屋は居間になっており、椅子に落ち着くとほどなく茶器が並べられた。いまだ手足の先が冷えていたので、あたたかいカップのぬくもりが愛おしい。ほぅ、ととろけるように肩の力が抜けていく。

「儀式はいかがでしたか?」

 ジゼルの問いかけに、紅茶を嚥下してから応える。銀朱は砂糖を使わないので、ざらりとした葉の渋味だけが舌の上に広がった。

「正直、疲れるわね……。まだ終わらないのよ」

 途端、ジゼルの面差しが驚きに一変した。灰青の双眸を瞠ったままエセルバードをうかがう。

「予定ではすでに終了しているはずでは……?」

「そう。本来ならそろそろ王宮に戻るはずなのだけれどね。カリンを置いてきてよかったよ」

 どうやら、よほど時間を延長しているらしい。彼も暇ではないので、この後の予定があるはずだ。カリンが調整するにしても限度がある。エセルバードは帰った方がいいのではと銀朱は危惧したが、彼がいなければふたたびあの質問を延々とくりかえされるだろう。いつ王宮に帰れるのか、それこそ予測がつかない。

「大丈夫だよ。事情が事情だからね、カリンも腹を立てはしない」

 事前にいくらか予知できたのだろう。シグリッドの書状を持参したのも、大司教側が儀式の進行を阻害するのを防ぐためだった。しかしヘリオスの一族が聖職から離れて久しいせいか、女神の末裔と崇められていても干渉するには壁は厚い。銀朱の改宗と毎月の礼拝についても、長い議論の末に絞り出された折衷案であり、不満はいまだに燻っている。

「ついてきてくれて、ありがとう」

 銀朱は素直に礼を伝えた。もしひとりだったなら、日が暮れるまで問答を続けていたにちがいない。桐人を同伴するのは断固拒否されていたので、手も足も出なかったはずだ。

「君のためならかまわないよ」

 満足げに咲いた笑みは、はっとするほど美しかった。つくづく男性であることを疑う容貌だ。

 銀朱のためが総じてエセルバードのためになる――だが、銀朱は彼の本心を勘ぐることを辞めた。どのような打算が働いていても、エセルバードが時間や労力を割いているのは事実だ。

 食事の用意が調い、ふたりは隣室へ移った。食卓には向かい合う形で二人分の食器が並べられており、席に着けばすぐにスープが運びこまれる。王宮と似た献立と給仕に、銀朱は違和感を覚えた。大聖堂に連結する建物なのだから、当然そちらに属するのだと捉えていたが、ここまで王宮と仕様が似通うものだろうか。

「……ここは聖職者か来客用の建物ではないの?」

「いや、ここは王族用の施設だ。管理も王宮と同じ宮内府の管轄だよ。本来は新年の儀式など、大規模な祭事の時に滞在するための建物だけれど、大聖堂を訪れた際の休憩所としても使われるんだ」

 大聖堂で行われる儀礼式典は数多く、中には夜を徹して行われるものもある。そうした労力を要する祭事のために、準備や休息を取るための施設というわけだ。

「原点に立ち返れば、聖職者たちは国政に就く我々の代役として女神に仕えているんだ。つまり、大聖堂自体も元を辿れば我々一族の物であり、彼らの権威は我々の傘下にあるからこそ誇示できるものだ。けれどそれを失念している者もたくさんいるからねぇ……まったく、頭が痛いよ」

 そう話すエセルバードの顔に、苦悩はわずかも見られない。会話をしながら滑らかな動作で食事を進めるところは、一国の王子として幼少時から教育されてきた賜物だ。銀朱は自分の手がすっかり止まりかけていたことに気づき、スープを口に運んだ。

 エセルバードに訴えて以来、匂いの強い食材に触れる機会は格段に減った。事前に融通を効かせたようで、食事の内容は銀朱にも食べやすく、負担が少ない。

 ふたりの皿が空になると、続いてチーズや卵を使った前菜が目の前に並べられた。その次も、前菜に区分される皿が続く。この調子では食事が終わるまで優に二時間はかかるだろうと、銀朱は経験から算出した。さすがに大司教たちも腹を立てて乗りこんでくるのではないだろうか。

「こんなにゆっくりしていて大丈夫かしら……?」

 悠々と食事を堪能していたエセルバードは、優麗に微笑んだ。

「大丈夫だよ。ここまで踏みこんでくるような気概のある者はいないし、もしいたとしてもここには入れない」

 背後を指す翠緑の視線の先には、黒髪の騎士が控えている。カリンや以緒を王宮へ置いてきたので、銀朱らの護衛はアーロンと近衛隊が務めていた。騎士がエセルバード個人の護衛であるのに対し、近衛は国軍に所属する兵士から構成されているため、騎士ほどの交流はなく、銀朱は名前も顔も覚えていない。アーロンは漆黒の瞳を弧に描き、銀朱の問いに笑みを返した。給仕にあたる女官がわずかに色めき立つ。

「殿下もそう仰っていますし、どうぞごゆっくりお召し上がりください」

 ジゼルにも説得され、銀朱は食事に専念することにした。エセルバードは料理が終わるまで梃子でも動かないだろう。ひとりで戻る勇気も度胸もない以上、おとなしく従うほかない。

 銀朱が自覚していたよりも胃は食べ物を欲していたため、昼食は順調に進み、気づけば陽射しは夕暮れの色を帯び始めていた。

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