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媛君が希うこと  作者: 佳耶
第二章 太陽の国
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12

 部屋を出てさらに奥へ進むと、重厚な扉が進路を阻んでいた。老人から鍵を受け取り、エセルバードがくろがね色の大きな錠前に嵌め込む。ばねの撥ねる重い響きに続き、低い軋み声を上げながら扉は開かれた。

 扉の先はすれ違えないほど細い通路になっており、数歩先も覚束ない闇の世界だった。先頭に大司教が立ち、次にエセルバードと銀朱が続く。銀朱はエセルバードの持った灯りを頼りに通路を進んだが、背中越しの灯火ではいささか心許ない。

 天井や壁面、床までもが石造りであり、よほど古い建造物なのか足下は不安定だ。しかも、少しずつ降っているような気がする。ひやりと冷えた空気はかび臭く、あまり人の往来が無いことを物語っていた。

 どれほど歩いただろう、永遠に続くのではないかと思われた暗闇は、突如として終わりを迎えた。

 エセルバードがふたたび鍵のかかった扉を開くと、にわかに通路に白い光が漏れ出した。ようやく闇に慣れた銀朱の目には強烈で、手のひらで遮ってもじわりと涙が滲む。何度も瞬きをくりかえしたあと、明滅していた視界がはっきりと像を結ぶと、銀朱は思わず天を仰いだ。そこは、円筒状の広い空間だった。

 明るいのは、はるか頭上にある天窓から鏡を伝って陽射しが注ぎこんでいるからだ。まるで井戸の底のような空間の中央には小さな塔が安置されており、その周囲に放射状に石棺が並べられている。作成された年代は広範囲に渡るが、すべての石棺は塵ひとつなく綺麗に保たれており、隅々まで手が行き届いていた。

「あれが、女神と始祖の遺髪が収められているという塔だよ。中は僕も見たことがないけれどね」

 塔と言っても、大人数人で運べる程度の大きさだ。金で飾られたそれは、太陽を名乗る一族にふさわしい輝きを誇っている。

 銀朱のうしろについてきたアーロン、以緒、カリンを含め全員で礼拝を済ませると、内部を一周しながら簡単にエセルバードが説明を始めた。

「ここは大昔から墓地でね、聖堂ができる前からこの建物はあったそうだ。時代が降るにつれて墓守や礼拝に訪れる人のために祭壇が設けられ、それが聖堂の起源となった。この内部で眠ることができるのは一族の当主のみで、他の王族は敷地内の墓地に収められるんだよ」

 彼はもっとも新しい棺の前で立ち止まった。精妙な彫刻で飾られた石棺に触れ、軽くくちづけを落とす。

「これは先代国王――僕の祖父のものだ。その隣が先々代、二代目、初代と続く」

 墓碑には、アレックス・ヘリオスと刻まれていた。祖父と言われても、銀朱にはぴんと来なかった。

「会ったことはあるの?」

「小さい頃に何度かね。彼は譲位してから離宮に移っていたから、あまり顔は覚えていないかな」

 そういうものかと銀朱は感想を抱いた。先ほどのは、エセルバードなりの祖父への敬意なのだろう。

「ほかに何か知りたいことはあるかな?」

 銀朱はさりげなく以緒の様子をうかがってから、ゆるゆると首を振った。期待していたほどめずらしい物があるわけでもなく、ごくごく普通の墓所にしか思えなかった。奇妙な造りではあったが、おそらく盗掘を防ぐためだろう。天窓は人が通るには小さく、また縄を下ろすには高すぎた。

 厳重な扉を閉じ、銀朱らは手燭の灯火を頼りに通路を引き返した。墓所にいたのはわずかな時間だったが、まるで異世界まで行ってきた気分だ。長い隘路は物理的にも精神的にも、墓所を特別な空間に仕立て上げていた。女神の直系の子孫しか足を踏み入れることが許されない空間は、たしかに彼らにとっては聖域にふさわしい。

 大司教に礼を述べて、銀朱はエセルバードとともに馬車へ乗り込んだ。今夜は予定が入っていないので、王宮へ戻ったらのんびりと休めるだろう。

「何か収穫はあったかな?」

「……ええ。ありがとう」

「それはよかった」

 エセルバードの笑みを曖昧に流し、銀朱は外へと意識を向けた。複数の蹄の音から一頭を聞き分けようとしたが、目的の音を拾うことはできなかった。

 


 自分を呼ぶ声に、以緒は顔を上げた。

 椅子から立ち上がり簡単に身なりを整えると、部屋を出て隣室の扉を叩く。中から現れた未良みよしに、同伴とその理由を伝えた。未良は一度部屋に戻り、以緒と同様に服装を整えた。

 月のない夜中だった。以緒の部屋がある中央棟の一階はすでに寝静まり、初秋の夜気に満ちている。それを乱さないように、ふたりは手燭も持たずに無言で歩を進めた。しばらく廊下を行くと角を曲がり、ぐるりと回りこんだ場所にある扉を開ける。やはり明かりのない室内には、桐の衣装を着た男がひとり佇んでいた。

「控えよ」

 未良の有無を言わさぬ声に、その男は素早く床へ叩頭した。以緒は床に広がった袖と男の頭を一瞥し、隣に立った未良へ耳打ちする。

「――おまえが皇太子陛下からの御使いかと、お尋ねだ」

 男は額ずいたまま未良の問いに答えた。

「はい。御前を穢す無礼をお許しください。このたびは、皇太子陛下からみてくら様への玉章をお預かりして参りました」

 男が差し出した蒔絵の小箱には、皇太子の印である鳳凰紋が黄金の翼を広げていた。未良が受け取り、それを押し頂きながら以緒に差し出す。開くと中には紙が入っており、そこにも鳳凰が描かれていた。

 以緒が恭しく書状を開く。とたん、感情の無かった目元に笑みが滲んだ。

「陛下の御手だ」

 以緒の顔には初めは喜びがあったが、読み進めるとともに次第に闇へ溶けていく。最後まで目を通し終わると、守人はていねいに紙を畳んで懐へと収めた。

「直答を許す。顔を上げよ」

「以緒様」

「かまわない。そのままの姿勢ではつらいだろう」

 未良はわずかに黙りこんだが、わかりましたと呟くと、いまだに床にひれ伏す男へ朗々と告げた。

「幣様の御慈悲により、これより直答を許す。だがわずかでも無礼を働けば、陛下の御名のもと、私の一存でおまえの首を刎ねる。ゆめゆめ忘れぬよう心せよ」

「ご温情感謝いたします」

 男はゆっくりと上半身を起こした。いかにも桐人らしい、あっさりとした顔立ちである。しかし、決して以緒と視線を交えようとはしなかった。

「いつこちらへ到着された?」

 以緒の問いかけに、男は目を伏せたまま答える。

「今日の昼間のことでございます。皇女殿下の耳に入る前に、幣様にお渡しできればと思いまして」

「……なるほど。近くエセルバード王子から銀朱様へ知らせがあるだろう」

 そうすれば、銀朱は警戒を強めるにちがいない。ようやく慣れてきた生活に新たな心配の種が加わるのは、以緒にとっても心苦しい。

「……貴殿はいつごろ桐へ戻られる」

「ヘリオス側との交渉の進捗にも寄りますが、ひと月後には発つ予定でございます」

「そうか……」

 以緒の碧眼が窓へと向けられた。格子で区切られた四角いガラスのひとつひとつに、星空が切り取られている。月のない夜空でそれらは煌々と瞬き、夜闇に光の雫を滴らせた。

「――長旅ご苦労だった。下がれ」

 長い沈黙を破った以緒の声に、男ははっと顔を上げた。彼が以緒の顔を見たのは、それが初めてだった。

「ですが……」

「聞こえなかったのか。用は済んだ。下がれ」

 以緒の視線と男のそれが交わった瞬間、彼は弾かれたように全身を跳ねさせ、額を床にこすりつけた。

「……申し訳ございません。失礼いたしました」

 男は辞去を告げると、そそくさと部屋を出ていった。完全に気配が消え去ったのを確認し、以緒は無言で控えていた未良に声をかけた。

「戻ろう。遅くにすまなかった」

「いえ、滅相もございません。……ですが、以緒様」

 名を呼ばれ、以緒は踏み出した足を止めた。振り返ると、未良は一歩も動かずに以緒を見つめていた。促してもぴくりともしない。

「……わかっている。だが、もう少し時間が必要だ」

 無言の訴えに耐えかね、以緒が先に口を開いた。

「まだ早い……あと少し待ってくれないか」

「以緒様」

「自分の成すべき事はわかっている。決して裏切りはしない。……もう少しだけだ。頼む」

 以緒の懇願に、未良は諦めたように首を横に振った。口から重い嘆息がもれる。

「わかりました。ですが、限界はございます」

「ああ。ありがとう、未良」

 いえ、と応じた声には憂いが含まれていた。しかしそれを以緒が追及することもなく、それきり室内は静寂が支配する。

 ふたりは暗闇に溶けこむように、部屋を後にした。

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