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媛君が希うこと  作者: 佳耶
第二章 太陽の国
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 祭の期間中、シルエラがずっと側にいたおかげで、銀朱ぎんしゅは余計な挨拶回りや不慣れなダンスを披露せずに済んだ。国王の愛娘は貴族にも愛されており、まだ成人していないのも相まって、彼女の些細なわがままは大目に見られたのだ。また、シルエラは声をかけてきた者に例外なく銀朱との仲の良さを強調したので、祭が終わる頃には銀朱とシルエラの仲は誰もが知ることになっていた。

 当初の予想とはちがう意味での疲労を感じつつ、銀朱は無事にすべての予定をこなせたことに安堵した。しばらくは祭の余韻があちこちに残っていたが、十日も経つとそれも拭われ、頻繁に駆り出されていた茶会も回数が減っていった。

 相変わらずディアンが懇切丁寧に銀朱の世話に務め、向けられる視線は変化を見せていたものの、やはり根底にある桐への嫌悪感が簡単に払拭されるはずもない。表面に出されることのない侮辱を銀朱は肌で感じていたが、身近な人物の態度が軟化したせいか銀朱が慣れたせいか、以前ほど癇に障ることは無くなっていた。

 そろそろ秋の気配を濃厚に感じ始めた頃、エセルバードは約束どおり銀朱を聖堂へと連れ出した。

 王都に聖堂の名がつく宗教施設はふたつあり、ひとつはアストルクスの中心に建つルサ・ヘティオール大聖堂である。太古の昔、女神シェリカと始祖イシュメルが出会った場所に建てられたと言われており、シェリカを神と崇める宗教の総本山でもある。

 もうひとつの西にある聖堂はジ・ジェルフ聖堂と呼ばれ、ヘリオス一族の墓所でもあった。彼らは約三千年の間にさまざまな地位や地域に転じたため、すべての棺が収められているわけではないが、重要なのは聖遺物――女神と始祖の遺髪の存在である。

 こちらも聖地とされていたが、一族の眠りを妨げないように静寂が保たれており、国の儀式もルサ・ヘティオール大聖堂で行われるのが常だった。

 王宮とよく似た薄墨色の石を使った聖堂は荘厳な造りで、天に向かって伸びる数多の尖塔が印象的である。内部は昼間でも薄暗かったが、側廊の窓のすべてに神話を描いたステンドグラスが嵌めこまれており、みずから光を発しているかのようだ。それ以外の装飾はほとんど無いため、ガラスの色彩がより鮮やかに映え、堂内の神聖さを際立たせていた。

 中央の身廊を通り、最奥部の祭壇へ型どおりの礼拝をする。祭の最中に王宮の礼拝堂で儀式に参加したのみで、銀朱はまだ礼拝には不慣れだった。大聖堂へもまだ足を運んだことはなく、巨大なドーム型の屋根を王宮から臨むだけだ。

 記憶をさらいながら無事に済ませ、銀朱はエセルバードに連れられて祭壇の横にある扉へと向かった。飴色の木戸を叩くと、すぐに白い法衣に身を包んだ青年が現れた。

 事前に話を通してあったため、彼は無言でふたりを中へと導いた。昼間から蝋燭の灯された狭い廊下の先には、複数の扉が壁にずらりと並んでいる。そのひとつへ案内されると、室内ではひとりの老人が銀朱らを待っていた。

「お待ち申しあげておりました」

 老人は、白髪に覆われた頭を深々と下げた。案内の青年と比べると刺繍の入った華美な法服で、首からは聖堂や礼拝堂には必ずある金の円盤を模した首飾りを下げている。

「銀朱、彼がウェイマス大司教だ」

 ウェイマスと呼ばれた老人の顔にはくっきりとしわが刻みこまれており、特に眉間のそれから気難しい印象を受けた。彼は銀朱を見ると、くぼんだ眼孔の奥にある双眸をわずかに眇めた。

「お噂は聞き及んでおります、寿春じゅしゅん皇女様。一度お目にかかりたいと思っておりました」

 老人はふたりに椅子を勧めると、自分も向かい側に腰を下ろした。彼の言葉に驚きを覚えつつも、銀朱は口を閉ざしたままでいた。

 執務机に本棚、来客用の机と椅子があるだけの、質素な部屋だ。しかし家具はみな良質で、大司教と呼ばれる高位聖職者専用の部屋であることは確かだった。

「今日は女神についてお話しするということでよろしかったでしょうか?」

 エセルバードは、青年が持ってきた紅茶を受け取りながらうなずいた。

「銀朱が聖典について詳しく知りたいそうでね。銀朱、彼は聖職者であると同時に、聖典の研究者でもあるんだよ」

 なるほどと銀朱は合点がいった。これほどの適材はいないだろう。

「今日はお時間を割いていただきありがとうございます。殿下のご厚意でウェイマス猊下とお会いできたことを、大変うれしく思います」

「猊下はおよしください。皇女殿下の方がよほど高貴なお方でしょう。あなたはヘリオス家の方々と同じく神の血を引かれるのですから、同じ目線に立つことは本来畏れおおいことです」

「……ウェイマス様は、〈皇帝〉の存在を認められるのですか?」

 彼は厳めしい表情をぴくりともさせずに返した。

「あなたたちが〈皇帝〉と呼ぶ存在が、女神の兄である太陽神を差すことは存じております。たしかに女神は〈皇帝〉に貶められたのでしょうが、〈皇帝〉が神であるのもその血を引く皇女殿下が尊いお方なのも、普遍の事実です。ただ、私の主はラスミア・シェリカおひとりであるというだけです」

 老人の答えはよどみがなかった。彼は銀朱の全身を、じっくりと観察していた。

「――件の神の血を引く人間がどのような姿形をしているか、長年興味がありました。お目にかかれ大変光栄です」

 単なる研究対象としてだろうか――彼の目つきはどこか不遜だったが、そこには銀朱に対する軽蔑はふくまれていなかった。

「……さっそくお話をうかがいたいのですが」

 わずかののちに銀朱が切り出す。さすがにじろじろと凝視されるのは気分が悪い。

「失礼いたしました。何からお話しいたしましょうか」

「聖典の内容について、詳しく教えていただきたいのです。特に古語で書かれた方について」

「読まれたことは?」

「今、読み進めているところです。お恥ずかしながら、まだ古語については勉強不足でして……」

「わかりました。では、まずは初めからお話しいたしましょうか」

 そういうと、彼は滔々と聖典の内容を語り出した。

 世界は二柱の神により治められていたこと、神々の諍いの後に月の女神が地上に堕とされたこと、何百年の末に〈星の民ヴァソ・ハマン〉の末裔であるイシュメルが女神を救ったこと――ウェイマスの語る内容は当然ながら聖典に忠実で、銀朱が隅々まで目を通した現代語の聖典にいくつかの小話が加えられた程度だった。

 女神が地上を彷徨っている間、夜空から月は失われていた。それをイシュメルが女神の神格を復活させたことで、ふたたび月が昇るようになったのである。彼がどのような方法で月を取り戻したのかは記されていなかったが、彼だけが女神と心を通わせられたという。

 イシュメルの死後、女神は彼とともに天へ帰り、今もこの世界を見守っている――イシュメルは太陽、シェリカは月として。

「ビリジェでは、女神は今も地上におられるのだと聞きました。ウェイマス様はどう思われますか?」

 銀朱の問いに、老人の瞳がきらりと反応した気がした。彼は相変わらずにこりともしなかったが、興味を示したようだ。

「小耳に挟んだことはあります。ビリジェなどの東の交易都市では、そのように伝えられているとか」

「はい。ビリジェの領主様にお話をうかがいましたが、そう仰いました。草原では女神の起こした〈奇跡〉と呼ばれる現象が、ときおり報告されるそうです」

 彼はしばらく口を固く結んで考えに沈んだ。長い沈黙に、湯気の上らなくなった紅茶を飲もうか銀朱が悩み始めると、ようやく口を開く。

「四公爵家の間では、女神は天へ帰ったとは伝えられていないとか」

 ウェイマスの視線が、銀朱の背後に控えたカリンへと注がれた。すると、隣からエセルバードのかすかな笑声がもれた。

「それは、我ら王家でも伝えられている話だ。女神は天へ帰ったのではなく、正確には旅に出たのだとね」

「旅?」

 それは初耳だった。銀朱の驚きに、エセルバードは鮮やかな翠眼を細めた。

「女神が望み、レノックス家の先祖がひそかに旅立たせたそうだよ。いくら神が望まれようと、当然ながら誰もが反対するだろうからね。ただそれ以来誰も女神の姿を見た者はいないから、天への旅路だったのだろうと――そう解釈されている」

 またレノックス家か、と銀朱は思った。四公爵家の中でも、特にレノックス家はよく耳にする。聞くところによると、レノックス家の先祖は長男で、本来ならば彼が王位に即くはずだったらしい。

「なぜ、レノックスの先祖は王位を継がなかったのかしら」

 古来は彼らも長子相続だったのだ。エセルバードが呼ぶと、カリンは銀朱の問いに答えた。

「それは、女神から王佐の才に恵まれているとの神託を賜ったからだと聞いています。同時に、ヘリオス家の先祖――次男は統治者としての才に秀でていると。これが、現在行われている継承者選出法の由来になったそうです」

「だからだろうね。長男の家系なこともあって、四公爵家の中でもレノックス家は長のような存在だ」

 カリンの言葉をエセルバードが引き継いだ。たしかに、茶会にはレノックス公爵夫人の姿もあったが、彼女はディアンに近い席に着いていた。ディアンも夫人には特に敬意を払っているようだった。

 もし本当に、レノックス家の先祖が女神の望みを叶えたのだとしたら。誰も女神の行く先は知らないのだ。ビリジェには女神の足跡と思われる奇跡の報告が今でも届くという――果たして、本当に女神は天へ帰ったのだろうか。

 その疑問を銀朱が投げかけると、エセルバードやウェイマスは関心を示したが、肯定する者は誰もいなかった。

「たしかに、女神が天へ帰られたのを目撃した者はおりませんが、女神のお姿を目撃した者もおりません。奇跡が女神のお力によるものならば、自然と女神を拝見した話も出てくるでしょう。ですがそういうものが付随しないところを鑑みると、やはり天へ帰られたと考えるのが妥当かと思われます」

「女神がわざと姿を隠している可能性はないのですか?」

「そのようなことをなさる理由が考えられません。それに、万が一女神が地上におわすのなら、なぜ末裔の前に現れないのでしょうか。そもそも神は、易々と人間の前には現れない――ちがいますか?」

 その言葉に、唐突に銀朱は理解した。彼らにとって神は姿が見えない存在なのだ。だから女神が地上に留まっている可能性は、自然と消失する。女神は天にいなければならないのだから。

 そもそも、彼らの言う『天』とはどこなのか。少なくとも、銀朱の知る『天』にはシェリカはいないだろう。

「殿下、そろそろお時間です」

 ぱちん、と懐中時計の蓋を閉める音が響き、それを合図に銀朱は沈んだ思考を呼び戻した。昼過ぎに来たが、もう夕方近いのだろう。床に落ちる影がずいぶん長くなっていた。

「では、挨拶だけして帰ろうか。君も行きたいだろう?」

「どこへ?」

「墓所へ。ここはまだ門だからね」

 エセルバードは立ち上がると、優雅に手を差し出した。それを借りて銀朱も椅子から腰を上げる。

「そうだな、今日はアーロンを連れて行こうか。カリンは以緒よりつぐと……まぁ、せっかくだから彼に堂内を案内しろ」

「待って」

 離れかけた手をきつく握る。振り向いた王子の顔を、銀朱はまっすぐに見上げた。

「以緒も連れて行きたいわ」

「なぜ?」

 手を掴んだまま、銀朱はくちびるに歯を立てた。エセルバードが肩を竦める。

「墓所は神聖かつ重要な場所でね。なにせあそこには聖遺物がある」

「……とても大切な場所なのはわかっているわ。けれど、お願い」

 エセルバードの視線が痛い。だが、逸らしては銀朱の負けだ。

 辛抱強くすがりついていると、根気負けしたのかエセルバードの方から白旗を揚げた。

「わかったよ。では全員で行こうか。案内を頼めるかな、ウェイマス大司教」

 老人は王子の言葉にうなずくと、廊下へ向かって灯りを持ってくるように命じた。

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