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媛君が希うこと  作者: 佳耶
第二章 太陽の国
19/52

10

 銀朱の話に、エセルバードは興味深げに相づちを打った。国王主催の舞踏会のために身なりを整えた彼は、普段にも増して秀麗さに磨きがかかっている。蜜蝋燭の灯りにぼんやりと照らされた廊下を、銀朱は王子とともに渡っていた。

 ディアンは発言どおり、銀朱の力添えを完璧にこなした。出席した顔ぶれには二人の側妃に四公爵家の各夫人、その他重臣の妻や令嬢などが顔をそろえていたが、ディアンはさりげなく銀朱に話題を振ったり、逆に投げかけられた皮肉に会話の腰を折ることなく対処したりした。王后が銀朱に親切に接するのを間近で見た彼女たちの中には、茶会が終わるまでにすっかり態度を豹変させた者もいる。それほどディアンの影響力は強いのだと、銀朱はまざまざと見せつけられた。

 エセルバードは視線を廊下の先へ向けて、しばらく考えに耽っていた。銀朱はディアンに何か裏があるのではないか、とは問わず、態度が豹変したのは何故だろうと尋ねた。息子であるエセルバードに、母親を疑っているとはとても言いづらかったのだ。

 しかし、銀朱の気遣いは無駄だった。エセルバードは少しもためらうことなく、的確な答えを返した。

「勘ぐる必要はないだろう。陛下を信用してもいいよ」

 あまりにも平然とした態度に驚く。詰まるところ、エセルバードは母親を疑うことを苦にもしないのだ。

「……どういう意味かしら」

 銀朱の問いに、王子は笑みを深めた。

「君は本当に賢いね。けれど、あまり嘘をつくのは得意ではないかな。君の質問の本質は、はたしてディアン陛下の豹変には何か思惑があるのではないか、ということだろう?」

 銀朱は諦めた。この男には親切は無用らしい。

「……ええ、そう。だって、おかしいでしょう?」

「確かにね。けれど、陛下はシグリッド陛下に説得されて改心したと話したのだろう? しかも自分の境遇まで持ち出したとなれば、信頼していいだろう。両陛下はあまり祖母のことを語らないからね」

「理由を聞いてもいいかしら?」

 あれだけ慕っていたという育ての親のことなら、せめて子どもや近しい者には話したがらないだろうか。もしそれが公でも口に出せる内容ならば、銀朱は話したいと思う。

「まぁ、これはいつかは銀朱の耳に入ることだろうけれど、王太后――祖母は毒殺されたんだよ。だから皆が話題にするのを厭う」

 銀朱は無言で瞠目し、思わず顔を伏せた。しかし、それで合点がいった。ディアンが見せた感情のざわめきも。

「罪人は処刑されたけれど、先代国王の正妃が王宮内で毒殺された話はやはり忌み嫌われてね。その祖母の話を君にしたということは、陛下の誠意の表れなんだろう」

「……そう……」

 口の中に苦いものが広がった。ひとつ心配事が無くなったというのに、銀朱の心は晴れない。

「それで、銀朱は母君への手紙を書くのかな?」

 扇を握った拳に、かすかに力を込める。桐と基本的な構造は同じだが、装飾も扱い方も異なるため、まったくの別物だった。

「いいえ。書かないわ」

「……恋しくなるから?」

「そうね。……思い出したくないわ」

「けれど、陛下は否応なく請求してくるだろうね。来月にはようやく交易品を携えた使者が到着するそうだから、彼らが桐へ戻る時に託すことになるだろう」

 来月、と銀朱は頭に刻みこんだ。早ければあと半月だ。全身が緊張に強ばったが、エセルバードに悟られるわけにはいかない。

「……わかったわ。何か書いたものを用意するわ」

「それがいい」

 話し込んでいるあいだに、ふたりは大広間に到着した。玉座に近い位置で列に加わり、国王と王后の到着を待つ。

 ようやく慣れてきた気がしていた夜会だったが、今日は人が多いためか、香水や脂粉の匂いがいつも以上にきつい。室内の温度も人熱でなまぬるくなっている。

 シグリッドとディアンが玉座に着き、挨拶ののちに会が始まると、早速国王に謁見するための人集りが形成された。集中した匂いや熱に、銀朱は疎遠になっていた眩暈を覚えた。耐えきれずに、わずかに扇を開いてそっと口元を隠す。

「銀朱?」

「ごめんなさい。……人に酔ったみたいだわ」

 これが何日も続くのかと思うと最悪だ。精神的な苦痛はいくらかやわらいでも、物理的な苦痛はどうしようもならない。せめて窓辺に寄りたいと考えていた時、思わぬ人物が銀朱の前に現れた。

 母親よりも明るい白金の巻き毛を華やかに結い上げ、ほんのりと化粧をほどこした少女は、兄に連れられて銀朱をじっと見上げていた。今日のために仕立てられたドレスはシルエラによく似合っており、十五歳ながらも衆目を惹きつける華がある。

「こんばんは。兄上、寿春じゅしゅん様」

 ビセンテの無愛想な挨拶に、銀朱も慣習どおりの挨拶を返した。エセルバードによると、彼は元々愛敬を振りまける性格ではないという。

「二人そろって、何か用かい?」

 エセルバードが問うと、ビセンテは妹を見下ろして何かを囁いた。シルエラは大きな瞳をさまよわせ、ぎゅっとくちびるを噛みしめた。目元がどんどん朱に染まっていく。

 王女は兄の腕をつかんだまましばらく顔を伏せていたが、やがてためらいながら言葉を紡いだ。

「……ひどいことを言って、ごめんなさい」

「……え?」

 シルエラの表情は真剣だった。冗談でも、何かの間違いでもないらしい。

「だから……ひどいことを言ってごめんなさい」

 シルエラは緊張のせいか、瞳を充血させていた。何かに怯えるようにビセンテとの距離を埋める。

「……お父様に怒られてしまったの。お母様もそのとおりだって仰って……だから……」

 今にも泣き出しそうな少女に、銀朱はいっそ哀れみを覚えた。シルエラはよほど大切に育てられてきたのだろう。あれほど嫌っていた人間に直接謝罪してくるほど素直で、両親に従順であるように。

「……いいえ。元々怒っていません」

「……本当?」

「はい」

 おずおずと様子をうかがうシルエラの視線に、銀朱ははっきりとうなずいた。実際、シルエラに対する怒りはなかった。ただあまり関わりたくはないと思っていただけだ。

「……仲良くしてくださる?」

 この人たちはいったい何を考えているのか――銀朱は頭を抱えたくなった。いきなり仲良くしようと言われても反応に困るだけだ。

 そもそも銀朱は両親に顧みられずに育ったし、腹違いの兄妹とも親しくした覚えはない。血の繋がりのある人間でさえそうだったのに、赤の他人となど対処の仕方がわからない。戸惑いしか抱かないのだ。

 だが、ここで拒むのも難しい話だった。だから銀朱は首肯した。

「はい。わたくしでよければ……」

「本当?」

 シルエラの顔にほんのりと喜色が生まれた。

「お姉様って呼んでも?」

「……ええ、まぁ……」

「うれしい! わたくし、本当はずっとお姉様がほしかったの。だからすごくうれしいわ。ありがとうお姉様!」

 ぱっと花開いた笑顔は無邪気そのもので、心の底から姉ができたことを喜んでいるようだった。ディアンもシルエラも、銀朱にしてみればよくわからない思考の持ち主だ。ある意味、よく似た母子なのかもしれない。

「わたくし、黒髪は駄目だって教えられてきたけれど、本当は初めてお姉様を見たときにすごく綺麗だと思ったの。長くて艶があって、まるで絹みたいだわ。お姉様の御髪おぐしは絹糸でできているの?」

「ありがとうございます。……けれど、絹糸ではありません」

「毎日どんなお手入れをされているの? 桐の人はみんな黒髪だっていうのは本当?」

「シルエラ」

 かすかに笑いを含んだ声音で、エセルバードが話を遮った。

「質問ばかりしていては、銀朱が困ってしまうよ」

「ごめんなさい……」

 しゅん、と肩を落とした妹に、王子は微笑みかけた。

「ここで立ち話するのも無粋だろう。ふたりで何か食べながらおしゃべりに興じたらどうだい?」

 思わぬ提案に銀朱が振り仰ぐと、エセルバードは妹に向けたのと同じ笑みしか返さなかった。

「でも、まだ両陛下への挨拶が済んでいないわ」

「かわいいシルエラの願いだと聞けば、陛下も怒りはしないよ」

 どうやらエセルバードが譲る気はないらしい。シルエラは兄の提案にすっかりその気になっている。

「本当? お姉様、わたくしと一緒にお食事してくださる?」

「…………ええ。よろこんで」

 まさかシルエラとふたりにされるとは――銀朱はエセルバードの仕打ちに腹立たしさを抱かずにはいられなかった。つい先日まで毛嫌いされていた少女にいきなり姉と慕われて、いったいどうすればいいのだろう。

「じゃあ、一緒に隣に移りましょう! 今ならまだ人も少ないし、ゆっくりお話しできるわ」

「ただし、カリンを連れて行くんだよ」

 シルエラは銀朱の手を握ったまま、隣に立つ兄を見上げた。可憐な眉が不満げに寄せられる。

「カリンもついてくるの? わたくし、お姉様とふたりきりになりたいわ」

「女性だけでは心配だからね。君たちの会話を邪魔するほど、無神経な男ではないよ。給仕がわりに使うといい」

 進み出た騎士にシルエラは不服の一瞥をくれたが、それ以上反論することはなかった。ふいと視線をそらすと、銀朱の手を軽くひっぱった。

「しかたないわ。行きましょう、お姉様」

「しばらくしたら迎えに行くよ」

 笑顔で見送られ、銀朱は渋々とシルエラに従った。

 人垣を越えて隣へ移ると、食堂と似た部屋に円卓がいくつも並べられていた。シルエラの言ったとおり、室内にはまだ誰の姿もなく、舞踏会の喧噪がかすかに聞こえてくるのみだ。

 シャンデリアの光が降り注ぐ中、シルエラは銀朱を奥の机へと導いた。

「ここは、特別な部屋なの。王族や偉い貴族しか入れないのよ」

 シルエラが自慢げに言った。澄んだ空気に、銀朱はほっと息をつく。ここなら香水や脂粉の匂いに悩まされることはない――それから、ようやくエセルバードがわざと自分たちをここへ行かせたのだと気づいた。何故だか悔しくなり、銀朱はシルエラに気づかれないようにドレスの裾を握った。

「ねえ、お姉様。桐の衣裳は何枚も衣を重ねるのだって聞いたけれど本当? それにとても変わった形をしているけれど、とても綺麗だってお兄様から聞いたわ」

 食事の準備を待つあいだに、シルエラは瞳をきらきらさせて尋ねてきた。当然無視するわけにもいかず、銀朱は当たり障りのない会話をすることにした。

「はい。色の異なる衣を何枚も重ねて着るのです」

「どうして何枚も重ねるのかしら? 重くはない?」

「たしかに重いですが、理由はわたくしにも……」

「桐の女の人は、みんなそれを着ているの?」

「ええ。ですがあれは正装ですから。普段はもっと軽いものを着ています」

「お姉様、敬語は使わなくていいのよ? だって、お姉様はわたくしのお姉様だもの。姉が妹に敬語を使っていたらおかしいでしょう?」

「…………ええ。そうね」

 しかたなく銀朱が態度を軟化させると、シルエラはうれしそうに破顔した。

「わたくしも一度見てみたいわ。今度、お姉様の時間がある時に見せていただけないかしら?」

「ええ……かまわないわ」

「ありがとう! そうだわ、今度はお母様と三人でお茶をしましょうね。ドレスも三人で選べばきっと楽しいわ。わたくし、よくお母様と一緒に選ぶのよ。お母様はとても趣味がいいの」

 そういえば、いつかの晩餐の席で、シルエラは大祭用の衣装をディアンと相談して決めたと話していた。ドレスはシルエラによく似合っていたので、ディアンの感性が優れているのは事実だろう。

「コンスタンツァ様は派手すぎるし、ジラ様は地味でしょう? でもわたくしはジラ様の方がいいわ。だって、あの人いつもお父様に宝石をねだるのよ。このあいだだってそうだったでしょう?」

「え?」

「祭のために新調したドレスに合う指輪がないからって、お父様からルビーの指輪をいただいたの。覚えていない?」

 ああ、と銀朱は相づちを打った。たしかに、コンスタンツァはシグリッドから指輪を下賜されていた。

 運ばれてきた湯割りのワインを飲みながら、シルエラは続ける。

「あの人、祭典のたびにお父様に宝石をねだるのよ。けれどお父様はおやさしいから、ねだられたらあげてしまうの。だからあの人の宝石箱には装飾品がいっぱいで、飽きたら売り払って他のものに替えてしまうんですって。でも、本当に大切なものはあの人も存在を知らないのよ。だから欲しがることもないの」

 つまり、コンスタンツァは国の財産を私有財産にしているのだ――しかも頻繁に。しかしその横行を知る者が、重要な王家の財産はコンスタンツァの手に渡らぬように工作している。彼女が知れば、心優しい国王が側妃に与えてしまうかもしれないからだ。

 一国の妃がそんな愚かな行為を犯すだろうかと、銀朱は自問した。しかし、コンスタンツァは王后しか座れない玉座に腰を下ろそうとしたのだ。あり得ない話ではないのかもしれない。

「ああいうの、乞食って言うのでしょう? わたくし知っているわ。エウリア川の向こうにいっぱいいるのですって」

「シルエラ様」

 騎士の低い声がシルエラを叱責する。王女はまるい頬をさらにぷっくりとふくらませた。

「カリンは嫌い。いつも口うるさいもの。ラナドを見習ったらどう?」

「あいにく、ラナド様のような愛想のいい性格ではありませんので」

「公爵と夫人もお堅いものね。本当、そっくりな親子だわ」

 文句を言いつつも、シルエラは本気でカリンを嫌っている様子ではなかった。本当に毛嫌いしているのなら、エセルバードが妹の目付役に利用しないだろう。

 だが、初めてシルエラと会った時と言い、彼は必ずカリンを指名する。小言が嫌なら、いかにも愛想のよさそうなアーロンの方が適任だ。

「……アーロンも口うるさいのかしら?」

 すると銀朱の質問に、シルエラはさっと顔色を変えた。今まで楽しげだった雰囲気が急に暗転する。

「あれは嫌。あれは汚いもの――それこそ本当の乞食なのよ。お姉様、ご存じないの?」

「……え?」

 シルエラは今まで一度も見せたことのない、険しい表情で続けた。

「あれは道端に転がっていたのを、アマル子爵に拾われたの。だから、本当は王宮には入れない人間なのよ。でも、お兄様はあれの剣の腕を評価して騎士にしたの。お兄様は実力主義だから……でも本当はわたくしは見たくもないし、お母様も嫌っているのよ」

 思わずカリンを振り仰ぐと、騎士ははっきりと肯定した。

「彼が孤児なのは事実です。元々どこの出なのかは、私も殿下も知りません」

 まさか、あの誰よりも貴族然とした彼が孤児だとは、銀朱にはとうてい信じられなかった。あれほど貴族社会に馴染んで貴族の振る舞いを身につけているというのに、かつては日々の食事にさえありつけなかったというのだ。勝手に良家の出身だと思いこんでいた銀朱にしてみたら、常識を覆された気分だった。

「だから、お姉様もあまりあれに近づいたら駄目よ? カリンもお姉様も守るのよ、わかったわね?」

 あまりの衝撃に銀朱はぼんやりとしつつ、シルエラの説得を聞いていた。これだけ嫌われていたら、騎士の役目はとうてい果たせないだろう。

 やがて運ばれてきた料理に視線を落としながら、銀朱はそれほど気にしなくてもいいだろうと結論づけた。エセルバードだけでなく、レノックス家出身のカリンもその婚約者だったジゼルも、アーロンを騎士として扱っている。周囲の人間も、少なくとも銀朱が今まで気づかなかった程度には騎士として認めているのだ。だとしたら、銀朱が心を裂く事柄ではない。

 やわらかくなるまで煮込んだ葱をくるみで和えた前菜は、とろりとした葱の甘みがよく生きていて美味だった。料理に満足したせいかシルエラはすっかり饒舌になり、銀朱はエセルバードが迎えに来るまでひたすら相づちを打つことに精を尽くした。

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