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媛君が希うこと  作者: 佳耶
第二章 太陽の国
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3

「シルエラが?」

 エセルバードが眉をひそめる。ジゼルは消え入りそうな声でうなずいた。

「はい。殿下と銀朱様にお会いしたいと……」

 銀朱は急いで相関図を引き出した。シルエラはエセルバードと同腹の末妹のはずだ。だが、なぜ彼女がここに訪ねてくるのか。

「お兄様!」

 するとまだ幼さの残る声が、ジゼルの背後から聞こえた。止める暇もなく室内へ入ってきたのは、金髪の十四、五の少女だ。ひとめでわかるほど、王后にうりふたつである。父親譲りの榛色の瞳はエセルバードを認めると、ぱっと花開くように笑みを咲かせた。

「やっぱり、ここにいらっしゃったのね!」

 シルエラは刺繍のあしらわれた裾を絡げながら、部屋の中央へと進んだ。殿下、とカリンが諫めるが、足を止めることなくエセルバードの側まで近づく。

「お兄様ったら、どうしてお部屋にいらっしゃらないの? わたくしずっとお会いしたかったのに、みんなお兄様はお忙しいからって聞く耳も持ってくれなくて。寂しくて寂しくてたまらなかったのよ? あぁもう、カリン、早くわたくしの椅子を持ってきて」

「シルエラ」

 低い声が彼女を叱責した。びくり、と少女の細い肩が跳ねる。

「見苦しい。わきまえなさい」

「お兄様……」

「部屋の主人に挨拶もできないのかい?」

 シルエラは、なりゆきを見守るしかない銀朱をわずかに見たが、すぐに兄へと視線を戻した。ほんのりと上気した頬が、怒りに反して王女の愛らしさを引き立てる。

「お兄様、いつでも訪ねていいって仰っていたわ」

「ここは私の部屋じゃない。それぐらいわかるだろう?」

 エセルバードの声は氷の刃だった。やわな少女の心には鋭利すぎると、銀朱が哀れみを覚えるほどだ。シルエラはかすかに震えながら、レースの手套をはめた手でドレスの裾を固く握った。

「ここは空き部屋だったはずよ。わたくし、誰かの部屋になるなんて聞いていないし、挨拶もしてもらっていないわ」

「シルエラ」

「王女のわたくしが知らないなら、ここは空き部屋のはずよ」

 今日まで銀朱が顔も見せずにいたことに腹を立てているのだろうか――たしかに予定が立て込んでいたとはいえ、シルエラを訪ねるのが道理だったかもしれない。不慣れな銀朱にはそこまで考えが及ばず、また誰にも提案されなかったので、気が回らなかったのだ。

「シルエラ殿下、わたくしが至らず……」

「銀朱」

 銀朱が立ち上がろうとすると、エセルバードの腕がついと伸びてきて押し留められた。

「君が謝罪する必要はない。シルエラが非礼なだけだ」

 その言葉に、王女は火がついたように顔を赤くして叫んだ。

「わたくしは悪くないわ! みんな言っているもの、お兄様は面倒ごとを押しつけられたのだって! 本当はもっとお兄様にふさわしい人がたくさんいるのに、お母様がお産みになった王子じゃないと体裁が悪いからって選ばれてしまったのよ。野蛮な辺境国の王女なんて、その辺の貴族にやってしまえばいいのに。しかも黒髪だなんて信じられない!」

「シルエラ、謝りなさい」

「嫌よ! お兄様の馬鹿!!」

 シルエラは涙声で兄を罵り、部屋を飛び出していった。エセルバードが片手で額を覆う。

「カリン」

「御意」

 その一言で通じたのだろう、カリンは王女を追いかけて退室した。

 急に静まりかえった室内で、銀朱はぼんやりと閉じられた扉を見つめる。何が起こったのか――罵倒された気がするが、シルエラがいきなり訪ねてきて激怒して出ていったことの方が衝撃的だった。

「すまない、銀朱。僕から謝るよ」

 はっと銀朱は我に返った。凶器のような犀利さは、エセルバードの表情からとうに消えていた。

「シルエラは唯一の王女だから、皆甘やかしてしまってね。よく言い聞かせるから許してほしい」

「別に……気にしないわ。それより、わたしこそ失礼なことをしているのではない?」

「それはない。シルエラは僕が君にばかりかまけているから、拗ねているだけだよ」

 そういうものだろうかと、銀朱は考えた。しかし、親しい者を他人に横取りされれば不快にもなるだろう。その感情は理解できる。

「ずいぶんと慕われているのね」

 ぽつりと呟くと、彼は穏やかな色の双眸を細めた。

「家族は仲良くしろという、陛下の方針でね」

 さっきも聞いた言葉だ。平民ならばともかく、王族の長の方針としてはいささか違和感を覚えるのは、銀朱が家族というものに恵まれなかったからなのか、それともシグリッドが変わっているのか。考え込むと頭痛がしそうだったので、銀朱は疑問を頭から追い出した。

 紅茶をひとくち含み、驚きで緊張した身体を宥める。シルエラにどう対処するか――今後銀朱がアストルクスで過ごすだろう時間を考えると、避けては通れない道だろう。このまま無視を決めこんでくれれば楽だが、いちいち押し入れられては身が持たない。

「銀朱にも妹がいると聞いたけれど」

「……ええ。いることはいるわ」

 ひとつ下の腹違いの妹とはほとんど交流がなかった。シルエラのように慕ってきた記憶はまったくない。

 銀朱がヘリオスへ嫁ぐことが決まった時、彼女は胸を撫でおろしていた――自分が選ばれなくてよかったと。彼女は銀朱とはちがい、外へは出られない姫だった。

「シルエラ様は、舞踏会へは出られるのかしら」

 妹の影を追い出し、銀朱は話題を変えた。不自然な彼女の行動に反応することもなく、エセルバードは答えた。

「シルエラはまだ十五だから、社交の場には出ないね。王族関係の儀式を除いて、成人を迎える十七歳までは公の場には参加できないんだ」

 ということは、数日後の舞踏会で顔を合わせることはないのだ。ほとぼりが冷めるまで、シルエラには関わらない方がいいだろう。

 王女を追いかけていったカリンが戻ってくる気配はなかった。黒髪なんて、と叫んだ王女は、アーロンよりカリンの方が気に入っているのかもしれない。銀朱は王宮に入ってからアーロンを紹介されたが、黒髪の騎士はエセルバードのように眉目秀麗で、女性の扱いにも長けているように思えた。

 年頃の少女ならばアーロンに惹かれそうなものだが、と銀朱は考える。よほど黒髪が気に入らないのだろう。

「そういえば」

 エセルバードの声に、銀朱は振り向く。光を紡いだような繊細な髪は、王子によく似合っている。アーロンとは正反対の色なのに、なんとなく彼らは雰囲気が似ているような気がした。

「以緒や未良の服も誂えた方がいいね。いつまでも桐のものを着ているわけにはいかないだろう?」

 以緒はアーロンから離れた場所で、微動だせずに控えていた。わずかに表情が険しげなのはシルエラが原因だ。いくら以緒でも、王女に対しては慎んだようだった。

「そうね……。こちらの衣装のことはわからないのだけれど」

「君がかまわないのなら、カリンかアーロンに一任させよう」

 銀朱は以緒をうかがった。守人と視線が絡みあう。

「わたしが立ち会って進めるのならかまわないわ」

「そう。では、君の時間が空いたときに」

 以緒が目礼すると、エセルバードは鷹揚にうなずいた。

「さて、遮られてしまったけれどお茶にしようか?」

 王子に勧められ、銀朱は焼き菓子を手に取った。さっくりと焼かれた生地は甘く、ほのかに香辛料が香る。

 残りの時間はすべて無難な世間話に費やされたが、エセルバードが自室に引き上げるまでカリンが戻ってくることはなかった。

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