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媛君が希うこと  作者: 佳耶
第二章 太陽の国
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2

 半時間ののちに以緒に起こされ、銀朱は身なりを整えてエセルバードを出迎えた。王子はふたりの騎士を従えており、彼らはそろって壁際に控える。

 深い緑色の衣装をまとったエセルバードは、銀朱の姿を見るや優美に破顔した。

「今日も相変わらず麗しいね。君には特に淡い色が似合うようだ」

 男性との交流に不慣れな銀朱も、顔を合わせるたびに言われ続けていれば、さすがに慣れてくる。ありがとうございますと適当に応じ、軽食の準備された円卓の前に着席した。

 普段は他愛もない会話を交わすだけだが、今日はエセルバードの予定が空いていたため、王族について詳しく教えを乞う約束になっていた。ジゼルが濁した四公爵家についても彼なら詳細を把握しているだろう。

「お忙しいところ、お時間を割いていただいてありがとうございます」

 エセルバードは手套をはめた手を組むと、計算されつくした動作で首を傾げた。

「ところで、いつまで銀朱は僕に敬語を使うのかな?」

「え……?」

「そろそろ、打ち解けてくれてもいいんじゃないかな」

 銀朱は面食らい、少しの間を置いて言葉を絞り出した。

「……夫となる方に気安く話しかけるのは、失礼ではないかと思うのですが」

「そういう考えもあるけれどね。僕は君と対等に会話をしたい」

「ですが……」

 桐では夫に対して謙るのは当たり前であり、ヘリオスでも国王夫妻の様子を見るかぎりでは当てはまると銀朱はとらえていた。エセルバードが名前で呼ぶよう求めただけでも、充分な驚きだったのだ。

「カリンの願いは聞けて、僕の願いは叶えてくれないのかな?」

 どこから聞き出したのか、隊商宿でのことを指しているのだろう。翠緑の双眸でのぞきこまれ、銀朱はおとなしく従うしかなかった。

「……わかったわ」

「ありがとう」

 エセルバードが愉快げに笑う。出会ってから半月にも満たないが、自分の婚約者が少々特殊な性格であることを、銀朱は少しずつ理解していた。どうあしらうのが正解なのかはわからないため、素直に従うことにしている。何か問題があるのなら、以緒が黙って侍ってはいないだろう。

 用意された紅茶で喉を潤すと、エセルバードは本題に移った。

「さて、何から話そうか?」

 銀朱は磁器のカップを円卓に置いた。独特の澄んだ音色が耳に触れる。

「王族について、備えておくべき知識を教えてほしいの」

「全員の名前は把握しているのかな?」

「ええ」

「それなら話は早いね」

 エセルバードは騎士に命じて、紙とペンを用意させた。金属製のペン先が紙の上で華麗に踊る。整った美しい字だった。

「陛下には三人の妃がいる。王后のディアン陛下は、隣国王家の出身だ。まだ幼い時分にヘリオスへ嫁いできたから、陛下との関係は誰よりも長い。コンスタンツァ妃殿下はコルトサード侯爵の遠縁なのだけれど、侯爵のことは覚えているかな」

 脳裏に峻厳な表情の男が浮かびあがる。コルトサードとは離宮に入った時と王宮へ上る時に顔を合わせただけで、形式的な挨拶しか交わしていなかった。銀朱がうなずくと、エセルバードは新たにコルトサードの名を書き加える。

「侯は陛下の母方のいとこ――つまり陛下の生母はコルトサード侯爵家の出だ。先々代から陛下の信任は厚い。今回、コルトサード侯を使者に立てたのも、彼が国の重要な事案を任せるのに値する人物だと評価されたからだよ」

 その割にはコルトサードは冷淡だったと、銀朱は記憶をさらった。ビリジェの領主のように、手厚いもてなしを受けたわけではない。おそらく、彼自身は銀朱の婚嫁を快く思っていないのだろう。

「ジラ妃殿下は、レーゲン侯爵家の出身だ。三人の仲は比較的良好と言えるかな。家族は仲良くしろという、シグリッド陛下の方針があってね」

 王后のディアンは第三子のエセルバードと第四子のビセンテ、末娘のシルエラ。コンスタンツァは第一子のマデュークに第五子のジュール。ジラは第二子のクラウスを授かっている。シグリッドの周囲だけで、九人の人間を覚えなければならないのだ。

「まぁ、外見や性格はおいおい覚えていけばいいよ。嫌でも顔を合わせる機会は多いだろうからね」

 エセルバードの言葉に、銀朱は安堵した。この場で特徴を教えられても困るだけだ。

「ところで、銀朱は我が国の王位継承については知っているかな」

 ええ、と銀朱は首肯した。

 ヘリオス王族は女神の血を引く――つまりは神の子孫だ。数千年前から続く血脈を確実に守るため、家長の子女から性別や年齢を問わずに最も優秀な者を跡継ぎに据えてきた。跡継ぎに求められる条件は時代ごとに異なったが、国主である現在では当然国王にふさわしい人物が選ばれる。

 だが、具体的な指針があるわけでなく、成人する十七歳までに王位を継ぐ意志を宣言し、候補に名を連ねるだけだ。〈選出者〉と呼ばれるもの――それが特定の人物なのか機関なのかさえ知られていない――が候補者からふさわしい人物を選び、選ばれた者が継嗣となる。

「候補者は僕をふくめて四人だ。末のふたりはまだ十七にはなっていないけれど、立候補する意志がないからこれ以上増えることはないだろう」

 エセルバードが書き綴った名の横に丸を打つ。彼から見て上の兄ふたりと、すぐ下の弟が該当した。

 そこには様々な思惑が絡みあっているのだろう。銀朱は政治や権力闘争に疎いが、妃の実家が王子の後ろ盾になり擁立することは充分にありえる。コルトサード家がいい例だ。

 だが、エセルバードの同腹の弟が候補者に入っているのはなぜなのか。彼女の印象として、エセルバードは異常なほど崇められている。それこそ噂がビリジェに届くほどにだ。弟としては負け戦に近いのではないだろうか――それとも銀朱が知らないだけで、彼も優れた王子なのだろうか。

「……候補者は、何か特別なことをするの?」

 銀朱の問いに、エセルバードは平然と答えた。

「何も。強いて言うのならば、品行方正でいることかな。顔も知らない選出者の悪評を買わないようにね」

 彼の端正な顔がほころぶ。笑うと父親の面影がうかがえた。

「実際、優秀の定義も不明なんだ。過去の例を見ても、ただ単に為政者としての才覚で選ばれているわけでもなく、生母の血筋で選ばれているわけでもない。ましてや、すべての家長が優秀だったわけでもないからね。彼らの好みじゃないかと勘ぐりたくなるよ」

 エセルバードは大仰に肩を竦めた。

 銀朱もひと通りの歴史は習っている。たしかにエセルバードの言うとおり、歴代の家長の中には問題のある人物もいたようだ。跡を継ぐ以前は有能であろうと、家長に就いてからもそうだとはかぎらない。それは代々長子が継承する場合でも同じだが――どちらが血筋を残すのに有用なのか、銀朱に判断できることではなかった。

「何か気になる点でも?」

「いいえ。……気を揉まされるわね」

 よほど銀朱の言葉が気に入ったのか、エセルバードは喉の奥でくっ、と笑った。

「たしかに。これでもかと焦らされるねぇ」

 まるで一等愉快な喜劇でも鑑賞したかのような、陽気な表情だった。それほどおかしなことを言っただろうかと、銀朱は首を捻った。

「まぁ……君が気をつけるべきことは、僕や騎士の目が届かない場所には行かないことだね。女性のみで行動する場合も、必ずジゼルを連れて歩くことだ。不愉快なことがあっても、誰か側にいれば回避することができる」

「そうね……。わかったわ」

 銀朱は、ひとりだけ離れて待機している以緒を見やった。左腰が寂しい。

「以緒の剣は、まだ返してもらえないのかしら」

 エセルバードの瞳が、以緒に向けられる。

「そうだね。まだ陛下からの許可がいただけなくてね」

 桐人に武器を持たせることに反発する者が多いのだろう。守人という立場も桐に限ったことで、ヘリオスでの扱いは保留されている。銀朱の護衛になるのなら、以緒は近衛隊に所属しなければならないが、桐人が正当な方法で軍に入隊できるあてはない。国王からの特別な許可を待つしかないのだ。

「心配しなくてもいい。悪いようにはしないよ」

 銀朱としては、以緒の立場にはこだわりはない。自分の側にいてくれれば、それだけでいい。目の届かない場所に追いやってしまう事態だけは、絶対に避けなければならない。

 エセルバードはちらりと銀朱の横顔を一瞥すると、紅茶で喉を潤した。

「それで……ほかには何かあるかな?」

 耳心地のよい声にひっぱられるように、彼の方を振り向く。翠の双眸がわずかに深まっているように見えた。

「四公爵家についても教えてもらえるかしら。王族と同じく女神の血を引く一族だと聞いているけれど」

 男にしては整いすぎた口元が湾曲する。エセルバードは紙とペンを引きよせ、騎士の名を呼んだ。灰色の騎士の制服に身を包んだカリンが、壁際から歩み出る。

「銀朱の言うとおり、四公爵家はヘリオス家と同様に女神とイシュメルの血を受け継いでいる。彼らは古代より忠臣として、ヘリオス家に仕えてきた」

 ペン先を滑らせ、エセルバードは四つの名を綴った。

「エルー家、シュヴァイツ家、バレロン家、レノックス家、この四家だ。何かと顔を合わせる機会も多いだろう。ねぇ?」

 王子の問いかけは、正面に立つカリンに向けられたものだった。

「詳しいことはおまえに頼もうか?」

 質問の意図を理解できず、銀朱は疑問を抱いた。何故カリンに話を振るのか――それからはたと理由に気づく。

「……カリン・レノックス」

 振り仰ぐと、カリンはいささか渋面でうなずいた。

「はい。私はレノックス公爵の長子です」

 銀朱の隣から笑声がもれる。広い肩を揺らしながら、エセルバードはカリンを見上げた。

「僕よりおまえの方が詳しいだろう? なにせ当人だからねぇ」

 まさか、と驚きに絶句しながら、銀朱は騎士の顔を凝視した。だからジゼルは言及するのを避けたのか――彼女は元婚約者の話を嫌ったのだ。ジゼルの教養が深いのも、ヘリオス家と並ぶ四公爵家の夫人になるための教育を受けたが故だろう。

「……もしかして」

 はっ、と銀朱の中で糸が繋がった。彼は言っていた。ラスミアの天罰を受けると。

「ジラール様がカリンを同席させたがったのは、レノックス家の出だと知っていたからなのね」

「はい。その折は失礼いたしました」

 カリンは一介の騎士としての立場を貫きたかったが、ビリジェに住まうジラールからすれば、女神の子孫と親交を深める絶好の機会である。彼は信心深かったから、カリンの存在を無視できなかったのだろう。やけに友好的だったのもそのためだ。カリンはビリジェにとって、この上ない客人だったのだ。

「カリンはレノックス家とは縁を切っているからね。公爵家の継嗣としての立場は取れないんだよ」

「どういうこと?」

 エセルバードは答えず、代わりにカリンが口を開く。

「我々四公爵家は、代々ヘリオスのために尽くしてきました。長い歴史の中でヘリオスが王座を手にしていなかった時代、それこそ市井で生活していた時代も、側でヘリオス家を支えてきたのです。その大役を永久に果たすために、四公爵家の者は、ヘリオス家の特定の者と親密になってはいけないという規律があるのです。我々が派閥争いの筆頭に立つのを防ぐためですね」

 四つの公爵家がヘリオスの後継者を各々擁立すれば、当然互いの関係は険悪になる。誰が家長になっても、公爵家の間でわだかまりは残るだろう。それを数千年も平穏に続けられるはずがない。女神の末裔同士で首を絞め合うことになるのだ。

「私はその規律を犯しましたから、廃嫡を申し出たのです。今は弟が継嗣になっています」

「……家を捨ててまで騎士になりたかったの?」

「いえ、そういうわけでは」

 カリンは灰色の瞳をわずかに眇め、エセルバードを見下ろした。しかし、彼の主は気にするそぶりも見せない。

「なりゆきですね」

 なりゆき、と銀朱がくりかえす。なりゆきで廃嫡されるなど、ありえるのか。

「気づいたら騎士になるしかありませんでした。王族と深く関わった者が家を継ぐわけにはいきませんから、この道しか残されていなかったのです」

 呆気に取られつつエセルバードの様子をうかがう。王子は秀麗な笑顔を銀朱に返した。

「レノックスの長男はどんな人物だろうと、少し交遊するだけのつもりだったのだけどね。公爵には悪いことをしたと思っているよ」

 カリンがジゼルとの婚約を解消するはずだ。レノックス家の跡継ぎの妻になるはずが、騎士の妻に変更したのだ。家同士の話である以上、ジゼルの実家は騎士のカリンに娘を嫁がせるわけにはいかない。どれほど騎士が宮廷にて重視されても、レノックス家にはとうてい及ばないのだから。

「彼らは異常なまでに潔癖だからねぇ。ヘリオスの家長にさえ媚びず、ひたすら家を存続させるために影で支える存在だ。発言力は宰相よりあるだろうけれど、彼らが国政に対し意見することは決してない。家長に忠実に従い、ヘリオス家のためにならないことは排除するだけだ」

 エセルバードは金で縁取りされた皿に焼き菓子をいくつか盛ると、言葉を失った銀朱に差し出した。

「頭を使うと疲れるだろう? 少し休憩しようか」

 目の前に置かれた皿をぼんやりと銀朱は眺めた。きつね色に焼かれた菓子からは甘い匂いがただよう。鈍った思考をぎしぎしと動かしたが、結局銀朱は返す言葉を見つけられなかった。言いたいことはあったが、ここで口にするのは憚られる。

 細いため息とともにそれを吐き出し、疲れを癒すために菓子に手をつけようとした。するとその時、下がっていたジゼルが控えの間から姿を現した。白い顔にはどこか戸惑いが滲んでいる。

「失礼いたします。エセルバード殿下にご用件なのですが……」

 ジゼルは視線をさまよわせ、銀朱の様子をわずかにうかがってから告げた。

「シルエラ殿下が、お見えです」

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