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媛君が希うこと  作者: 佳耶
第二章 太陽の国
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1

 室内は、あたかも色彩の祭典のごとく、さまざまな色の布が広げられていた。

 銀朱ぎんしゅは部屋着のままそれらと対面していたが、わずかもしないうちに頭がくらくらとしてきた。椅子に腰かけ嘆息すると、銀朱とともに布を検分していたジゼルが苦笑をもらした。

「そろそろ休憩にいたしましょうか。お茶の準備をさせますね」

 ええ、とうなずき、ふたたび視線を布の山へと向ける。独特の光沢を放つ布地の色は、やはり銀朱にはなじみのないもので、好みを聞かれても返答に窮するばかりだった。

 銀朱がアストルクスの王宮へ入ってから、四日が経過していた。寝室で以緒よりつぐの袖を握りながら眠りに就き、目を覚ましたのはすでに翌日のことである。いまさら手遅れな気もしたが、銀朱は洗面の際に右手の甲も念入りに洗った。意図的ではないとは言え、不快感はやはりぬぐえなかった。

 その日はほとんどを寝台で過ごしたが、二日目となると体調も回復し、銀朱は早速立てこんでいる予定を消化する作業に追われた。

 彼女の役目は、まずはヘリオス風の衣装を用意することだった。ヘリオスのドレスは身体の線に沿って作られているため、着る本人から細かく採寸しなければならないのだ。昨日は午後を採寸に費やし、今日は朝食を摂ったあと延々と布地を見せられている。ジゼルは年頃の伯爵令嬢として流行にも詳しく、宮廷で好まれる布地や色を丹念に説明してくれたが、とうでも流行に興味の無かった銀朱にはさっぱりだった。

「難しく考えなくてもよろしいのですよ。仕立てあがるとまた印象が変わってきますし、何となくこれは好みだ、という程度でかまわないのです」

 本音を言えば、銀朱はすべてジゼルに任せたかった。作業の効率としても、そちらの方が捗る。

 しかしそうしないのは、一生ジゼルに頼るわけにはいかないからだ。銀朱自身が流行を理解し、自分の立場や好みを考慮して取捨選択する能力を身につけなければならない。女性でも社交の表舞台に立つヘリオスで、場違いな衣装を着るほど無様なことはなかった。

 用意された紅茶を口に含み、ようやく一息つく。ヘリオスでは茶に砂糖を入れる習慣があったが、銀朱は三日で飽きたので砂糖は使わない。

 桐の茶葉は残り少ないため、大切に保管することにした。両国間の交易が本格化すれば手に入るかもしれないが、いつになるかは銀朱にわかるものではなかった。

「たとえば、銀朱様は桐ではどのようなお色をお好みでしたか?」

 ジゼルの問いに、銀朱は唸った。衣裳のほとんどは、ようが用意したものを疑いもせずに着ていたのだ。

 助けを求めて侍女を見ると、心得たとばかりに洋がうなずいた。

「はい。わたしが銀朱様のご衣裳を用意していたのですが、紅や紅梅、紫などを多く使いました。淡い撫子色や浅黄色もよくお似合いですし、萌黄色などの緑も使いましたが、青色はあまり使うことはなかったですね」

「では、先日のご衣裳も銀朱様のお好みで?」

「いえ、あれは――」

 今度は銀朱が続きを引き継ぐ。

「あれは、慶事に着る色なのよ。桐では行事によって着用する色が決まっているの」

 はたして本当にめでたいのかどうかは別だが――名目上、王子の婚約者としてヘリオスへやってきた銀朱の正装は、皇女の婚姻の際に着用するものと同類だった。

「まぁ、そうでしたか。ヘリオスにも似たような習慣はございますよ」

「そうなの?」

 はい、とジゼルは答え、銀朱に断ってから右隣の椅子に腰かけた。

「わかりやすいのは、正装時のマントの色でしょうか。両陛下が深紅色のマントをお召しだったのは覚えていらっしゃいますか?」

 銀朱は首肯した。国王も王后も、貂の毛皮が張られた壮麗なマントをまとっていた。

「深紅の貂のマントを着用できるのは、陛下オルメストと呼ばれる国王陛下と王后陛下のみでございます。たとえ陛下のご寵愛を賜っていても、王后の地位にない者は深紅のマントを着ることはできません」

「……つまり、妃は使えないのね」

 ヘリオス国王は、複数の妃を持つことが許されている。現在は王族の血筋を残すため、元来は女神の血を絶やさないためだ。王族以外の貴族は、たいていが一夫一妻だという。

 だが、后として国王と対等の地位の者は、最も出自の高い女性に限られる。一方、側妃はあくまで国王に仕える身分の女性だ。どれほど王から寵愛を受けようと、后と妃では雲泥の差があるのだ。

「はい。王妃様は陛下のご子女と同じ、濃紺のものを着用されます。殿下チェファクと呼ばれる王族の方は、濃紺のものを使うことが許されているのです」

 エセルバードが濃紺のマントをまとっていたのは、王子である証だったのだ。たしかにエセルバードの周辺の者は同じ色を使っていたが、入り口近くでは目にしなかった気がする。

「あとは、四公爵家と呼ばれる特殊な四家は、濃紺より薄い青をまとうことがございます。これは古代『星の民ヴァソ・ハマン』であった頃の名残なのだそうです。玉座の間でもお召しでしたけれど、お気づきでしたか?」

 銀朱は記憶をさらったが、エセルバードの色より明るい青はどうしても思い出せなかった。そもそも周囲をあまり視界に入れないようにしていたのだ。あの場にいた人間では、国王と王后、エセルバードの顔しか覚えていない。

 正直に否定すると、ジゼルはやんわりと微笑んだ。

「銀朱様のいらした位置からは少し離れていましたから、無理もございません。四公爵家のことはご存じですか?」

「ええ。大昔からの忠臣だとか」

「はい。四公爵家も、女神とイシュメル様の血を引いておられます。古代より兄弟として、ヘリオス家に仕えていらしたのです」

 女神シェリカと始祖イシュメルの間には五人の子どもがおり、そのうちの一人が王として跡を継ぎ、四人は王家を支える臣として代々ヘリオスに忠誠を誓ってきた。ヘリオス家が国王でない時代も彼らは常に側に控え、主を守ってきたという。そのため、王族から降った公爵家よりもよほど重要だと、銀朱は教わった。

「四公爵家については、わたくしよりよほど詳しい者がおりますから、そちらから聞いた方がよろしいかと思います。間違った知識をお教えしてはなりませんから」

 そういうものかと、銀朱は深く考えずに納得した。一度に大量の情報を詰めこまれても覚えきれないので、むしろありがたい。今はとにかく、布地の山を処理するのが先決だ。極彩色の難問をちらりと見やり、銀朱は肩を落とした。

 するとその時、下がっていた以緒が姿を見せた。動きやすいからと、守人はいまだに長袍を身にまとっている。しかし腰に愛剣を下げていないのは、守人が帯剣する許可を得られていないためだった。

 それでも奪われた剣に未練を示さなかったのは、どこかに武器を隠し持っているからだろう。長袍の袖に短剣は仕込みやすい。

「以緒」

 名を呼ぶと、以緒は返事をして銀朱の側までやってきた。

「どこへ行っていたの?」

 守人は日に焼けた顔に、穏やかな笑みを浮かべた。

「荷の整理がまだ終わっていないので、未良みよしとともに片づけておりました。御前を離れましたこと、どうかご容赦ください」

 銀朱はむっと朱唇をとがらせた。

「……整理に何日もかかるほど、荷物を持ってきていたかしら」

「なにぶん、ああいった作業が苦手なもので……」

 以緒はそれ以上の追及を許さなかった。ついとまなざしを布地へ向け、わずかに首を傾げる。

「生地を選んでいらっしゃったのですか?」

 不服な銀朱の隣で、洋がうなずいた。

「ええ、ジゼル様に教えていただきながら選んでいるんだけど、なかなか決まらなくて。以緒はどれが銀朱様にお似合いだと思う?」

 以緒はちらりと布地を一瞥してから、銀朱に微笑みかけた。

「何をお召しになられても、銀朱様の美しさに変わりはありません。きっとよくお似合いです」

 悩む必要などない、と言いたいのだろう。瞠目したジゼルを横目に、銀朱は深く嘆息した。

「……もういいわ。終わるまでそこで待っていて」

「何かお気に召しませんでしたか?」

「これでも真剣に悩んでいるのよ」

 以緒は銀朱を否定するような言動をいっさい取らない。喜ばしげに褒めるが、それは決して世辞ではなく本心からなのだ。悩んでいるこちらが馬鹿馬鹿しくなってくる。

「申し訳ございません」

 謝罪してから、守人は壁際に下がった。もう一度ため息をつき、銀朱は生ぬるくなった紅茶を飲み干した。




 一日をかけて布地を選び終え、翌日から女性ならではの作法や知識をジゼルから教わった。

 女性同士の話題、つまり宮廷で人気の詩歌や物語、戯曲に音楽、絵画などの芸術に関する知識である。だが、当然すべてを短期間で身につけることは不可能なので、頻繁に会話に上る作品をまずは覚えることになった。

 物語や戯曲はジゼルが要点をまとめ、詩歌は銀朱が必死で読みこむ。音楽や絵画は限界があるため吸収するのは困難だったが、結局のところ最後は『愛』に尽きるとジゼルは言った。

「難しいことは考えなくてもいいのです。女性が好むものは大方が愛を取り上げた作品ですし、音楽も華麗で美しい旋律の曲に人気があります。絵画は、女神様とイシュメル様の仲睦まじいお姿のものが有名ですからね。逆に小難しいことを発言する方が嫌われることもあるのです」

 ジゼルから与えられた本を片手に、銀朱は曖昧にうなずいた。詩歌の本は、七日をかけてこれで五冊目である。たしかに、内容は胸焼けのする愛の詩ばかりだ。これなら難解な古語の聖典を読んでいた方がよっぽどいい。

「ご存じない作品の感想を求められたら、正直に内容をお尋ねになるのもよいかと思います。そこから話がふくらみますから」

「……嗤われたりしないかしら」

「恥じることはございませんわ。銀朱様がこちらのことに疎いのは、当然のことです。堂々としていらっしゃればいいのです。そして、教えてくださった方に感謝を伝えれば、お相手も快くお過ごしになれます」

 冴えない表情の銀朱に、ジゼルはやさしく目を細める。

「ご心配なさらないでください。当分はわたくしがお側に侍りますし、エセルバード殿下もご助力くださると思います。晩餐会のお席も、陛下がお気遣いくださるそうですよ」

 実際、ジゼルは優秀な教師だった。毎日、朝から晩まで銀朱につきあい、さまざまな知識を授けた。ともに過ごすだけで貴族としての振る舞いも学べるので、ただ会話をするのも勉強になる。練習のために銀朱は前もって用意されたドレスを身につけていたが、ジゼルを観察することで細かな所作を知ることができた。

 彼女から偏見を受けない現状がどれほどの厚遇であるか、今の銀朱には痛いほど理解できる。女官の態度が劣悪でないのも、エセルバードの配慮だろう。

 王子は、毎日何かしらの用事で銀朱の部屋に顔を出す。エセルバードの自室は向かい合った北側の棟にあり、銀朱の住む棟とは渡り廊下で繋がっていた。上階は王后の居室だったが、一階から二階へは中央棟へ戻り面会の許可が下りなければ入れないので、ディアンと顔を合わせる機会はない。

「……世話をかけるわね」

 王族の名前は叩きこまれているが、顔は知らない。人付き合いの狭かった銀朱にとって、他人の顔を覚えることは至難の業である。会話を弾ませるどころか、談笑に加わる術さえ覚束ない。

「いいえ。お気になさらないでください。これがわたくしの役目でございますから」

 ジゼルはそう答えると、椅子からゆったりと立ち上がった。

「そろそろ殿下がお見えになる時間ですわ。お茶の準備を申しつけてまいりますから、銀朱様は少しご休憩ください」

「ええ、そうするわ」

 銀朱は詩歌の本を閉じ、背もたれに寄りかかった。ようやく甘ったるい文章から解放され、安堵に息をつく。

 本当はもっとちがうことを学びたいのだが、銀朱にその余裕は与えられなかった。部屋の隅に控えた以緒に視線をやる。

「いかがなさいましたか?」

 銀朱は眉根を寄せ、まぶたを下ろした。

『気が遠くなるわ……』

 以緒が銀朱の足下に膝を着いた。

『どうか、ご無理はなさらないでください。お身体が第一でございます』

 それでも、時間がないのだ。すでにヘリオスに着いてから十日以上が過ぎ、数日後には舞踏会に参加するよう言われている。踊らずに済むようにエセルバードが取り計らうというが、貴族との会話は求められるだろう。

 また今回の婚姻の条件として、銀朱は改宗した後、約二年半を女神への祈りに費やす必要があった。彼女がヘリオスに敵対する存在ではないと証明するために、大司教らが提示したのだ。毎月一回、月の満ち欠けに合わせ日を変えながら祈りを捧げなければならない。そして約三十か月ののちに、銀朱はエセルバードの妃になる。

『……何をしに来たのだか』

 焦燥の炎が、閉じられたまぶたの裏をちりりと灼いた。饐えた煙が気道に入り、異臭に喉が引きつる。

 ありもしない錯覚から逃れるために瞳を開き、銀朱は以緒の青い双眸を見つめた。

「少し横になってもいいかしら?」

 はい、と以緒がうなずいた。

「時間になりましたらお声がけしますので、どうぞお休みください」

 銀朱は椅子からソファへ移り、以緒が用意した枕に寄りかかって目を閉じた。暗闇の中、小さな炎が揺らめくのが見えた気がした。

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