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その4

「なにここ?」

 さっきのように気づかぬ間に過去の時間、電車の外に送られることはなく、そこは今までいたのと同じ電車の中だった。

「また無限ループ……失敗したの?」

「いや、これが【定着型】だ。座って待てば相手が来てくれるかもしれない」

「来てくれるに決まってるよ」

 ソールの手を解いて、真ん中の座席に座ると、ソールは浮かない顔で追いかけてきて隣に座った。

「辛くなかったか、さっきの両親のこと」

「辛いよ。そりゃあもうね。でも、抗えないんだってわかったら、なんか諦められた」

「大人だな」

「……違うよ。駄々を捏ねても欲しいものは手に入らないってわかってるだけ。私、悲観主義者だから」

 船木くん相手でもこんなこと話したことないのになんでソールみたいな相手に私はなんでも話してしまえるのだろう。

 どうせ今日だけの付き合いだから?

 それとも私のことを本気で心配してくれるから?

 どちらにせよ、ソールは私が今まで接点を持ってこなかったタイプの人間だ。

「ソールってなんでソールって名前? 日本人でしょ?」

 答えを返してくれないソールの横顔を覗き見ると、彼の視線は電車の中の中吊り広告に向けられていたが、なにかを考えてる様子。

 こうやって顔だけ見れば船木くんよりも顔のパーツ全部が尖ってて、黒目であることが不思議なぐらい鋭い顔をしている。

「……星空うたたってめっちゃ可愛いよな」

 女性週刊誌のスキャンダルネタ。

 今、巷を騒がすアイドル歌手が芸能活動を休止か、という見出し。中を読んでいないが、ネットで見た限り、過去のことを穿り返されてカメラや報道陣を避けて、逃げるような生活を送っているらしい。

「そうだね。うたたは可愛いよ」

 なんとも言い難い沈黙が二人の間を包んだが、その静寂を切り裂くように、タマキがいる、私たちが来た扉からではなく車両の前方の扉が開き、そこからキャップにサングラスにマスク、地味なグレーのトレーナーにゴムパンツといった独身女が深夜に近所のコンビニに出歩く時のようなラフすぎる格好をした女がやってきた。

「あれが、かんなの会いたいやつなのか?」

「うたた!」

 私が立ち上がってその名を呼ぶと、変装をしたその女はマスクとサングラスをずらしてこちらを見た。

「かんな? どうして、ここに? え、ここはどこ? 私、社長の実家にいたはずなんだけど」

「ここにはマスコミはいないよ。そうだよね、ソール」

「ああ、他の誰もいない」

 ソールは現れたのが本物の星空うたたで驚いているが、私にとって彼女はアイドル歌手の前にたった一人の親友で幼馴染なのだ。

「そうなんだ。電車に乗るのってすごく久しぶり」

 今、マスコミで騒がれているうたたはどこかで潜伏生活をしているのはマスコミ情報だ。

「私、どうしても謝りたくて、ここに来てもらったの」

「これってさ、夢、だよね?」

 うたたはノーメイクでも本当に綺麗な顔をしている。

 彼女の写真集を私も買って持っているけれど、女の私でも、昔は一緒にプールやお泊りで裸を見た間柄であっても、際どいショットなんかには胸がドキドキしてしまう。

 アイドルで歌手。それなのにモデル以上のものを持っている、私たちの世代の女の子から憧れられるようなタイプではないけれど、男の子からは多大な人気を持っている。

「うん、ここは夢の世界みたいなものだよ。私が会いたいって願った人と会えるの」

「私も会いたいって思ってたよ。ずっと……でも、マネージャーも社長も許してくれなくて、連絡も出来なかった」

「私はずっと見てて、ずっと謝りたいって思ってたの」

「謝るっていうなら私もだよ」


「ごめん」「ごめん」


 二人で揃って頭を下げて謝って、おかしくなって笑ってしまう。

「ふふ、かんな全然変わってないね」

「うたただってテレビと違って昔のまま」

 うたたと両手を合わせて握り合う。

「かんな、あの……うたたさんとどういう関係なんだ?」

 私のことを馴れ馴れしく呼び捨てにするのに、なんで、うたたはうたたさんなんだ。

「幼馴染で親友だけど……五年半前にケンカしちゃったから、ずっと謝りたかったの」

「私も。でも、かんなに会ったらそれよりも嬉しくなっちゃって」

 二人で並んでなんだか落ち着かない様子のソールを見ていると、ソールはズボンで必死に手を拭いて、手を差し伸べてきた。

「星空うたたさん、俺、すっげーファンなんです。握手してください」

「はい。いつも応援してくれて、ありがとうございます」

 うたたの営業スマイルにソールは胸を打ちぬかれたかのか、顔を赤くして固くなっている。緊張しているようだ。

「男なんて単純だね」

 散々私にセクハラを働いてきたソールは大好きなアイドルを前に普段の様子ではない。

「なあ、二人の間になにがあったのか教えてくれないか?」

「いいよ、私が触れたかった過去だから」

 それに、数年振りに会った、うたたとの思い出話も楽しいかもしれない。

 私とうたたが並んで座ると、ソールは私の隣ではなく、うたたの正面に座った。


 幼稚園からずっと一緒だった私とうたた。ちなみにうたたは本名だが苗字の方は芸名だ。

 当然、小学校に上がってからも毎日ずっと一緒に遊んでいたけれど、決定的に私たちの人生を引き裂いたのは中学一年生の時。私の誕生日の半月ほど前のこと。

 いつも一緒に遊んでいたのに、その日、うたたは他の友達と、私がずっと行きたかった渋谷に行ってしまったのだ。

 初めての渋谷に限らず、初めてのことはいつだってうたたと一緒がいいって子供のように思っていた私は、当時のその行動を裏切りと判断して、冷静さを欠いて、翌日に渋谷のすごさを教えられた私は約束を反故されたことに怒ってしまった。口汚く罵倒を浴びせて、挙句「絶交だよ」なんて、何年も一緒にいて初めて大喧嘩をしてしまった。

 うたたは申し訳なさそうにしたまま、私の誕生日の数日前、忽然と転校して姿を消し、次にうたたを見たのは一年と少し後、新人アイドルがたくさん出ているテレビ番組だった。

 あの日、うたたが他の友達と一緒に渋谷に行った時、うたたはスカウトされていて、芸能事務所に親と相談して所属した。それをうたたは黙っていた。彼女の気持ちを考えれば言えないことはわからなくもないのだが、置いて行かれてしまった私は寂しい気持ちでいっぱいで、八つ当たりのように一方的に怒って、うたたの話を聞かなかった。

 うたたはきっと謝ろうとしていたのに、私が一方的に子供じみた理由で怒って、うたたの謝らせるチャンスを潰してしまった。

 ずっと後悔していて、うたたがテレビで出るのを私はずっとチェックしていたが、うたたの歌唱力の高さとルックスの良さ、そして誰もを惚れさせるような愛嬌を持ってすれば人気が出ないという方が難しい話だ。


「私はうたたが転校した後……私の誕生日の前の日に、うたたと一緒に渋谷に買い物に行った子に教えられたんだ。プレゼント、探してくれたんだよね」

「うん、でも、約束を破ったのは私だし、プレゼントも選べなかった」

「どうしてだ?」

 なんで私じゃなくてソールが聞くの?

「だって渋谷で買い物をするのが目的じゃないもん。かんなと一緒に行きたかった、それがわかっていたはずなのに、行って帰ってきて、かんなの気持ちを知ってから、本当に後悔した。私、馬鹿だなぁって泣いてた」

「でも、うたた転校しちゃったじゃん」

 私もうたたも泣いていた。

「時期的に勘違いされてるけど、お父さんの海外転勤が実はずっと前から決まってたの。でも、私もお母さんも日本を離れたくないから、親戚の家でお世話になるために引っ越したんだよ。クラスの子には最初からお別れを言うつもりはなかったけど、一緒に渋谷に買い物に行った子が私がスカウトされたからっていう理由で芸能活動に専念するため、とかって勘違いしたんじゃない?」

 確かに私はそう聞いたけれど、うたたから直接聞いたわけではない。

「そうかもしれない……。ケンカしたままうたたが転校しちゃったことに、ずっと後悔してたから」

 深く真実など探ろうとしなかったし、調べようと思えばうたたの居場所など簡単に掴めたかも知れない。それなのに私は変な意地を張っていた。

「本当はね、転校すること、かんなにだけは伝えようとしたんだよ」

 座席の上に置いて握った拳にうたたの冷たい手が重ねられ、包まれる。

「誕生日までいられないことは知ってたから、プレゼントだけでもって思ったんだけど、結局見つけられなかったんだから、私が裏切っただけだよね。ごめんね、かんな」

「いいよ。こうして、うたたと会えて、ちゃんと謝れたから、それで十分」

「私もちゃんと謝れてよかった」

 些細な誤解。高校生の今、それと同じことが起こっても気にはかけないかもしれないが、ほとんど小学生と変わらない、中学一年生の春の出来事で、私はうたたが中学に入って変わってしまったって思ったんだ。

「一生……ううん、未来永劫親友だよ」

「うん、私もうたたが一番好き」

 涙を流して、手を取り合って、笑った。

 ずっと会いたくても会えなかった。

 デビューしてすぐの中学二年生の頃、事務所を通してもらってうたたに連絡を取りたかったけれど、マネージャーに門前払いされて、私は毛虫のような扱いを受けた。

 すごく辛かったけれど、三年生になって高校受験で他に気を殺がれるわけにはいかず、必死に忘れようとしたが、アイドル歌手としてのうたたではなく、たった一人の幼馴染で親友のうたたのことは忘れられなかった。

「仲良しこよしのところ申し訳ないんだけど、あの真偽を聞かせてもらいたい。一人のファンとして」

 ソールが中吊り広告を指差す。

「私も気になってたけど、どうして?」

「うん……社長にも言って了承は得たんだけど、大好きな親友一人を笑顔にできないのに、日本中のみんなを笑顔になんてできない。だから、少し休みが欲しいってお願いしたの」

「じゃあ、長期休業とかじゃないのか?」

「うん、暇をもらってかんなに会いに行こうとしていたんだけど、逆に身動きが取れない状態になっちゃって……いいことなんてないね、芸能人なんて」

「こうして会えたし、うたたのファンはたくさんいるんだから、そんなこと言っちゃダメだよ」

「うん。かんなはやっぱり私を理解してくれる。一番の親友だよ。あーあ、やだな」

 うたたはテレビで見るのとは全然違う、地味に地味を重ねた格好で、座席にだらけきって四肢を投げ出した。

「この夢が覚めなきゃいいのに」

「私も同じだよ」

 私はこのドリームトレインで、中学一年生の一緒に笑っていた時期に戻りたいが、両親の離婚のようになにも変えられずに同じ結果になるかもしれない【追想型】ではなく、今のうたたと話せる【現行型】でよかった。

 同じ過ちを繰り返さないし、私はうたたが芸能界デビューなんて当時知ったら、絶対に止めていた。芸能人は好きだし、アイドルになるという憧れは小さな頃からずっとあった。でも、本当になりたいわけじゃない。

 芸能人に憧れる子供でいたいだけなのだ。

「今でよかった」

「うん、今でよかった。私、事務所に戻って仕事復帰する」

「日本中がうたたを待ってるよ」

 うたたは立ち上がって、低い天井の電車の中で手を伸ばした。

 うたたが私と同じ大きさの手で掴めるものは、きっと私の何倍も大きい。と見惚れていると、座席に爪先を引っかけて立って、中吊り広告を剥がしているソールがいる。

「これにサインください!」

 女性週刊誌の中吊り広告の裏とマジックペンをうたたに差し出す。

「いいよ。かんなをよろしくね」

 ささっ、とうたたはサインを書いていく。子供の頃、自由帳に悪戯書きをした、芸能人のサインの真似ではなく本物のうたたのサインだ。

「ねえ、ソール」

「なんだ?」

「座席に土足で上がったことと中吊り広告を勝手に剥がしたこと、タマキに言ったらどうなるのか試していい?」

「ぶっ殺されるからやめてくれ。いいか、良い子のみんなは座席に土足であがっちゃいけないし、広告も勝手に剥がしちゃダメだぞ」

「全部自分でしたことじゃない……」

 くすくす、とうたたが肩を震わせて笑っている。

「かんな、昔は男の子嫌いだったのに、その人とは仲いいんだね」

「こいつとはさっき会ったばかりで、彼氏とかそういうんじゃ絶対にないからね」

 こいつ、とソールの頬を爪が伸びた人差し指で突付く。

「でも、将来的にはわからないんじゃない? 私だってネットとかで共演者の誰々と付き合っているんじゃないかって書き込まれてるって共演者から聞かされるけど、知ってる? 芸能人同士だからって連絡先交換することなんてまったくないんだから」

 そういえば少し前に、うたたファンを公言しているお笑い芸人の男が、共演者なのに連絡先を知らないからって事務所に花束を贈ったって話して笑われていた。

「うちのマネージャーも社長もスタッフもガード固いよー。それで、かんなにも酷いこと言われたりしなかった? あ、連絡とかしてくれた?」

「うん……中二の時にね」

 あなたには教えられない――あなたには話すことではない――子供は知らなくていい――そんなことより自分のことをしろ。

「うわっ、そんなこと言われたの? ごめんね。うちの事務所うるさいから」

「でも、当たり前だよ。一般人と人気アイドルの差。友達を装って近づく人から、うたたを守ってるんでしょ?」

「多いらしいよ、この業界」

「じゃあ、メアドと携帯番号交換しよう。それなら直接話せるよね?」

「うん……でも、ここに通じるのかな?」

 うたたはズボンのポケットからスマートフォンを出した。やっぱ芸能人は新しいのを使うんだね。私なんてまだ二つ折りだよ。

「平気だぞ」

 私とうたたの視線を受けて、ソールは鷹揚に頷いた。

「俺は暇な時ネットゲームしてるから」

「じゃあ、交換しよう」

 私には友達がいないので、こういうことが不慣れでうたたに教えてもらいながら番号登録をした。

 友達がいないのはうたたの件が多分にあるが、私はそれで恨んだりはしていない。

「大好きな親友一人を笑顔にできないのに、日本中のみんなを笑顔になんてできない。だから、少し休みが欲しい」

 うたたの芸能活動休止の余波はあらゆる業界に広まっているが、スキャンダルではないしレギュラー番組なんかは持っていないため、CMは出ていても支障はなかったがファンは違うし、私とうたたの過去を知っている周りの人間からすれば、私のような地味で暗い女に日本一のアイドル歌手が親友なのも面白くないし、うたたの言葉は確実に私のことを言っているのをみんな気づいているからだ。

 それだけではない。高校一年生の春が終わる頃には私とうたたの関係は全校生徒が知ることとなり、今のソールのようにうたたのサインをもらってくれと頼んでくる人が後を絶たなかった。

 もちろん、全部断った。

 そんなことでも私は周りの人間からすれば面白くない、鼻につく女に見られた。

 もらえたら苦労しないし、もらえたからといって親友をそんな道具のようにはしたくないから、どの道断っていただろう。

「はい、かんな。登録しておいたよ」

「ありがとう」

 うたたに返された携帯はどこか温かい。

「さ、そろそろ起きないと」

 うーん、とうたたは伸びをする。

「また会えるよね、かんな」

「私はうたたみたいな売れっ子じゃないから、いつだって平気だよ」

「そっか。だって、かんな――私の夢の中にいる存在だもんね」

「どういうこと?」

「ここって夢の世界でしょ? そうじゃなきゃおかしいもん。私、ベッドに入ったところまではちゃんと覚えてるから。それに」

 私にとっても正常な場所とは思っていないけれど……でも、このうたたは私の記憶にはないうたただ。この五年半まったく会わず、その間にアイドル歌手になってしまった、星空うたただ。

 両親の離婚の明確なきっかけを私が知らないため、タマキ曰く【追想型】というので夢を見て同じ結果になったことを悪夢だと感じて目覚めたけれど、このうたたは私の記憶にはないうたただ。

「うたたさん、もう帰った方がいい」

 ソールが私とうたたの間に割って入った。

「どういうこと、うたた」

「かんな、事故で死んじゃったじゃん」

「……死んだ、私が? なに言ってるの、うたた。そんな冗談面白くもなんともないよ」

 私はここにいるし、死んだつもりなど一度だってない。

「かんなが事故死だって聞いた時、すごく泣いたよ。謝らなきゃいけないこともたくさんあったのに謝れなかったし。だからね、夢の中ででも会わせて欲しい。謝らせて欲しいって願ってたの。そしたら、ここで会えた」

 うたた、なにを言っているの?

 私、死んでないよ?

「かんな、考えるな! うたたはもう帰ってくれ! あっちの扉から出れば、すぐに目覚められる!」

 ソールが必死に形相で私の肩を掴んで、顔を覗きこんでくる。

 うたたのこと好きなんじゃないの?

 帰しちゃっていいの?

 私だってまだ聞きたいこと、話したいことたくさんあるのに。

 でも、今はそれよりなによりも――。

「じゃあね、かんな。また話そうね」

 芸能活動で毎日慌しく動き回っているうたたは実にあっさりとしたものだけれど、そんなのが気にならないぐらいに、私は今狼狽してしまっている。

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