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その3

「タマキちゃん、俺さ」

「言わなくてもわかっているし、余計なことは言わせない。もしそれを口にしたら私も今の関係を終わらせなければならない。それは私にとってもソールにとっても望まないことだろう?」

「そうだけどさ……」

 またしても私の寝ている耳元でタマキとソールの二人は話しているようだが、今回は荷物を漁るわけではなく、瞼を開ければ二人と目が合う。私の寝顔を覗き込んでいたようだ。

「戻ってこれたの……?」

 仲のいい家族の時間が現実であればいい、これが私の望んだものだと思ったけれど、それが現実でないことぐらい、一番辛い真実を知っている私にはわかる。

「おお、かんな……じゃなくて、宮代さん、無事に戻って来れたんだね」

 ソールが少年のような屈託のない笑顔で両腕を広げて抱きついてこようとする。

 迫ってくるソールをさっきのように返り討ちにしてやりたいのに、寝起きということだけでなく、思考が定まらずに動けないため、黙って見つめ返すと、なにか悔い改めたように表情を改めた。

「冗談だよ。かんな……じゃなくて、宮代さんの嫌がることはしない」

 妙にリアルな夢を見た気分なんだけれど、それが夢のようなおぼろげのようなものではなく、今まさに映画でも見てきたかのように脳に焼き付いている。

 頭がぼーっとするし、目の前にいるソールが私の知らないソールみたいだ。

 そういえば、呼び方を次までには直しておいてやるって言ってたけど……本当に直そうとしてくれたんだ。あの時だけの言葉の勢いだと思ったのに。

「かんなでいいわよ。宮代さん、なんてソールに畏まられると気持ち悪い」

「そうか、かんな。パンツ見せてくれ」

「殴るよ?」

「半分冗談だ。それと……よだれ、拭いた方がいいぞ」

 電車の座席に横たわっていた私は飛び起きて、手の甲で口元を拭った。すると、すぐに目の前にポケットティッシュがタマキから差し出される。

「ありがとう」

「これはあなたが置いていったものです」

 鏡なんて見なくても、きっとまた変な寝癖がついて髪の毛がぐちゃぐちゃになっているだろうし、頬にくっきりと座席の布の痕があるのがわかる。

「かんな」

 感覚の麻痺したままの頬にソールの大きな手が触れて、そっと撫でられて気づく。

「涙も拭いておけ」

「私、泣いてたの?」

「お、おう」

 私に触れたことで殴られるとでも思ったのか、ソールは驚き半分で何度も頷いた。

「……俺は、かんながなにを見ていたのかまでは知らないが、よく負けなかったな」

「負けないよ。一度は夢の中で救われたけれど、結果は変わらなかった……ううん、今よりももっと悪かった」

「そっか、それでもよかった」

 私が見ていたのは過去であり未来だったのかもしれない。だから、私の知る限りの選択肢をどうしようとも、あれ以上の未来は変えられない。現実にまだ離婚という言葉の出ない今を見れば、十三歳の誕生日の日に祝ってもらえなくて正解だったのだ。

「満足、しましたか?」

「親のことに関してはね」

「まだやり直したい過去はありますか?」

「……うん、その前にさ、ここってソールの話だと電車内で恋をした人がこの電車には乗れるって言ってて、確かに私は恋をした。それ以外の条件ってさ、もしかして電車に乗っている間、嫌なことを忘れられるとかって条件があるんじゃないの?」

 そうでなければ私の今見てきた世界の説明がつかない。

 本当に恋だけに深く関係しているというのであれば家族のことではなく、私の小学生の時の片思いで終わった初恋や船木くんとの失恋のことが出てくるはずだ。

「それで夢で見るのはその忘れたい嫌な過去――つまり、やり直すチャンスを与えてくれるみたいな感じなんじゃない?」

 私がずっと後悔していた十三歳の誕生日の日、あれで両親の関係が壊れてしまった。あれをやり直せれば、今のようにはならなかったのではないかと常々思っていたが、実際にやり直して無駄だということを知った。

 ソールとタマキを見ると、ソールもタマキを見ていて、幼い顔立ちのタマキは諦めがついたとでも言わんばかりの憂いを帯びた表情で首を横に振った。

「正解です。第一条件に電車の中での恋がありますが、電車に乗っている間、少しでも嫌なことを忘れてくれている人という条件が第二にあります」

 第一と第二って、本当にそれだけなのかな。って、ソールのなにか言いたそうな顔を見ると、それだけじゃない気がする。

「わかってもらえたところで、次は都合良く宮代さんの望む世界に行けるとは限りませんが、次行きますか?」

「次……やり直したい過去、ある」

 非情と思われるかもしれないが、両親のことよりも、もっと大事なこと。

 私はもう一度やり直したい過去のことを思い浮かべながら、隣の車両へと黙って歩を進める。今度は失敗できないし、私の与り知らぬところでなにかが起こったわけじゃない。

 私の力でどうにか出来る過去がある。

「なあ、タマキちゃん、今度は俺も一緒に行っていいかな?」

「他人の心に干渉するのはいただけません。それに宮代さんが許さないでしょう」

「ソール、あんた来てくれるの?」

「行っていいのか?」

「でも、どうなるの? 私の過去にソールはいないんだけど」

「今見ていた両親との過去は【追想型】ですが、【現行型】にすれば今の状態で会いたい人に会えるかもしれません」

 私は別に両親に会えないわけじゃない。でも、あの頃の仲の良かった両親には夢を見るような【追想型】でしか会えないが、もう一人会いたい人は過去ではなく現在で会いたい。

「よくわからないけど、それでお願い。毎度眩暈みたいになって時間を送られるのは嫌だし、過去を変える必要なんてない。今、謝ればまだ間に合うから」

「わかりました。では、先ほどと同じように隣の車両に行ってください」

 なにがどうさっきと違うのかわからないけれど、タマキは傘をくるんと手の中で回して、柄の方を前方車両の扉へと向けた。

「さっきは親だったから説明は省いたけれど、会いたい人間との幸せだった時間を思い浮かべるんだ。俺がついてるから、どんなに辛くても負けるな」

「……もう負けた過去だからね。でも、大丈夫、勝てないとわかってもちゃんと向き合いたいだけだから」

 心臓が今まで以上にドキドキと跳ねる。

 会いたいけれど会えない。

 会いたくないけれど会いたい。

 そんな人間がこの六十億人以上存在する地球の中で、たった一人だけいる。

「俺は非力かもしれないが、俺だけは味方でいてやる」

「どうしてさっき会ったばかりの私にそこまでしてくれるの?」

「俺が男で、かんなが女だからだ」

 結局それって誰でもいいってことじゃない。

「行くぞ」

 有無を言わさずに私の手首を取るソール。

「自分勝手ね」

「かんなも同じだろうけど、後悔だけはしたくないからな」

「変なの。開けるわよ」

「おう」

 私は会いたい人間を思い浮かべて、扉を開いた。

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