理由
探偵を嫌がるのも無理は無い。道明は憤然たる様子の境生を目を遣った。レベルが違う。しかもよりにもよってこんなに近くで働いているだなんて――栄都のバックグラウンドではなく、会った瞬間に感じ、乗車する際にみせた栄都自身の身体能力に驚きを隠せずにいた。目的を達成する為の能力が栄都と境生では比べ物にならない。幼い頃から日本武道を修練していた道明にとって、栄都が見せた動きは驚嘆にあたいするものだった。ぶれない体幹と流れるような手足が、まるで舞をまっているかのようだった。単に鍛えているのではない、実践的な動きをしている。道明にはそれが分かった。
移り行く街並みと、とうに限界を超えた軽トラックの金切り声を聞きながら、ただ黙ってシートに身を委ねていた境生だったが、どこまでいっても変わり映えのしない風景に飽きたのか、呟く様に栄都について語り出した。
「あいつ、成功と富の象徴である一葉さんを知らなかったな。あれか、カードと言う奴か。ったく、やな野郎だぜ」
「先生、諭吉さんって知ってますか?」
「ああ、誰だ、それ」
「あ、いや、知らないのならいいんです、はい」
疑問を抱えた者にとって、回答というものが必ずしも歓迎されるとは限らない。道明は小さな欲求が満たされ、大きな失望を得た。
「あの、あ、いや、やっぱり何でもないです」
「何だよ、気持ち悪いから言えよ」
「……先生はですね、その、本当に栄都さんに勝つつもりなんですか? というか、勝つ見込みはあるのですか」
「何言ってんだ、やる以上は勝つ、それ以外に何があろう! それにさ、お前にももうちょっと給料払わないといけないからな」
「先生……」
境生がわざと勝負に負けて菱川グループの一員になろうと企んでいるのでは、と疑っていた道明にとって、希望とはいかないまでも、負けた時に納得できるだけの理由が少しは見つかったように感じられた。
「ま、とりあえず適当にサボって給料貰ったら速攻辞めれば良いんだよ。要するに、既にして俺の勝ちって事だ。探偵なんてやりたくねえしな」
「…………」
「ほら、探偵って証拠とか探して原因を突き止めなきゃいけない訳で、そんなのってさ、はっきり言ってメンドイじゃん? だから妖怪退治とかいって誤魔化そうと思ってたわけ。だって妖怪退治なら原因を全て妖怪のせいにすれば良いだけだしぃ。なんていうかおれってあったまいいー、みたいなぁ。あ、いや、差別化って大事だと思うんだよね。まあ確かに今のところ、思いっきり収入には差別化ついてるけど、これって一時的な要因の一つであって、相対的に見れば将来的にはこっちの方が……それに、それにっ――」
「……………………」
ある種の境界線に立たされた道明だったが、境生の負けを前提とした正確な分析力を、なんとか無理やり評価する事で、一応のところで踏み留まれていたし、境生の人間性について、再度、認識の下方修正する冷静さも失わずにいた。
なにより道明は完全に絶望していたわけではなく、つまり、僅かながらの希望を抱いていたのである。
境生にも起因せず、栄都にも起因せず――道明只一人において完結し、故に道明が持てる唯一の希望――それはそういった類のものであり、道明の根源的な存在理由、つまり狐蔵境生の元で嫌々ながらも助手をしている理由、それこそが道明に残された最後の希望であり、道明の父によって紡がれた境生と道明を結ぶ唯一の運命糸でもあった。
道明は知っていた。己のなすべき事を――
道明は気付いていた。この街が普通でない事を――
こうなったら運を天に任せるしかないか、そう覚悟を決める道明を余所に、依頼者宅に到着するまで境生は一人、延々と狭い車内で道明にとってはノイズでしかない、あるいは呪詛のようなものを垂れ流し続けていた。