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願い  作者: はー
ひかれあう二人
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選ばれた男

 菱川栄都――


 財閥解体指令を逃れた財閥にして日本最大、都内に広大な敷地を有する本社を悠然と構えている現ゴールド・ディ・カンパニーの会長、菱川延幸の八番目の子供であり、末息子でもある。働かずとも一生楽して暮らせるだけの財力を持ちながら、常にグループの成長を強いられてきた兄達とは違い、栄都は道楽に生きる事を許された只一人の子供。菱川延幸が自分の趣味に興味がない以上、栄都は日本で最も好きな事にお金をかけられる男、と言っても過言では無い。そして彼は何故か探偵をやっており、その能力は類を見ない。と、これが道明がマスコミを通して得ていた菱川栄都に対する情報である。


 車から降りた栄都は境生を一瞥するなり、うんざりとした顔つきで、至極正確な挨拶をした。

「やあ、久しぶりだね、境生くん。その様子だと相変わらず世間の人々に迷惑をかけ続けている様だね」

「ああ? 何だと、この野郎!」

「おや、てっきり餓死寸前かと思ったが、フム、やはり君はゴキブリ並の生命力をもってるようだね」

 この事は道明にとっても確かに不思議であった。道明はこれまで境生がまともに食事しているのを見た事がない。この二週間、道明は自分で買った昼御飯を、物欲しそうに見つめる境生に奪われる危険を感じながら、急いで食べるという状況にある。おそらく本当にお金を持ってないのだと思ったのだが、その考えに反し、境生は特にやつれる事なく、健康そうな肉体を充分に維持していた。本当に、境生にはゴキブリ並の生命力がある、と常々思っていた道明は、だから栄都の意外そうな顔にも納得したのである。


「うるせー、大体なんでお前がこんなところに居るんだよ。さっさと家に帰って一葉さん相手に探偵ごっこでもしてろ!」

「何を言っているか分からないが、それは無理な相談だ。我家では一葉さんなんて人を雇っていないのでね。それにここには仕事で来たのであって、君達のように恥かし気も無く、迷惑を垂れ流す輩とは違うのだよ」

「は、お前に依頼するとはなんとも可哀相な依頼者だ。わざわざ金を出してまで不幸を買うなんてな」

「相変わらず失礼な奴だ。まだ君は探偵と言う仕事を理解していないようだね。よろしい、ついて来たまえ」

「ああっ、なんで俺がお前についていかなくちゃいけないんだよ」

「フン、依頼者に引き合わせてやろうと言うのだよ。無論、僕より先に問題を解決すれば報酬は君のものだ」


 え?――道明は二人が知り合った理由や何故仲が悪いのか気になっていたが、今はそれ以上に久々に仕事にありつけるかもしれない、という強い期待感が心の大部分を占めていた。しかも、菱川探偵事務所の依頼料は他とは比べ物にならないくらい高額だ、と聞き及んだ事がある道明である。

 境生は仕事を得る為に、故意に栄都に対し悪口を言っているのかも知れない。もしそうであるならば、境生の事を多少見直す必要がありそうだ。そう思った道明とは別に、境生は未だに辛らつな表情を崩さないでいた。


「ほら、早速不幸の第一段階だ。守秘義務も糞もあったもんじゃねえ」

「それは心配しなくても良い。何故なら僕が君より先に解決したら、君には僕の部下になってもらう。同じ会社の人間なら問題あるまい。丁度、使い走り係がいなくなってねぇ。ああ、心配はいらない。猿でも出来るような仕事だけを、この僕がちゃんと選んであげるから」

「オレが先に解決する可能性だってあるだろうが」

「ははは、何の冗談だい、それは」


 道明はようやく、先ほどから境生が浮かない顔をしていた原因、あるいはその一端を理解した。たしかに無条件で仕事を紹介してもらえるのであれば、恥をかいてまで依頼人を探していた道明達にとって、これほど美味しい話はない。だが、美味しい話には相応のリスクがあり、その事で始めてバランスが取れているという大原則を、その時、道明は迂闊にも忘れていたのだった。

「あ、あの、その際僕は……」

「ん、君は誰だい」

「こいつはオレの助手だよ。どうしてもやりたいっていうから雇ってやったんだ」

「はじめまして、狩夜道明といいます」

「君、本気かい?」

「えと、あ、はい、いちおう」

「どうだ、うらやましいだろう」

 自慢げに胸を張る境生を無視して、栄都は道明をさっと見た。

「見た目は多少はまとものようだが、自分で選んだ道だ。責任も自分で取るんだね。ああ、心配しなくて良い。丁度、トイレ掃除係も不足していた所だから」

 この瞬間、栄都とって道明は境生側の人間でしかなく、その事に気付かされた道明は、天井から吊っていた糸が切れた人形のようにガクリと肩を落した。


「さ、どうするんだい、境正くん。無論、自信が無いのなら止めてもらっても構わない」

 道明は境生が当然断るものと思っていた。相手は日本一有名かつ有能な探偵と言われる菱川栄都である。豊富な財力を使え、世間の信用もあり、その上、好きな事を許された栄都がわざわざ選んだ職業なのだから、世間の評判もあながち的外れではないはずだ。なにより、境生を蔑みつつも嫌らしさを感じさせず、むしろどこか穏やかで涼しげな虹彩を有した栄都の瞳が、彼自身の能力の高さと、それに付随する自信を示しているように、道明は感じていたのである。


「ちっ、しょうがねぇやってやるよ。けど言っとくが、報酬の為じゃねぇ。これ以上不幸な人を増やさない為だ。勘違いするなよ」

「フフ、僕もその意見には同感だ。ようやくこの街に寄生する害虫を駆除出来ると思うと、とても嬉しいよ。放っておくと中々死にそうにないからね」

「言ってろ」

「フン、大体あの時だって君が邪魔をしなければ――」

「けっ、大体あの時お前が邪魔をしなければ今頃――」


 二人の言い争いの最中、道明は境生の導き出した結論に納得がいかない様子で、ただ呆然としていた。結局、道明はそれから約一分間ほど二人に対し「僕は無関係である、二人で勝負して欲しい」と主張したが、元々彼の意見を聞く気配が無い風の二人には、受け入れてもらう事が出来なかった。せめてあと一分間だけでも時間を貰えれば……あまりにも理不尽な条件を論拠とし、二人に条件の改善を了承させる自信があった道明だけに、残念な結果に終わった事がとても悔やまれたし、人の話を聞こうともしない二人を途轍もなく恨んだ。


「さあ、それでは諸君、依頼者宅に向かおうか。心配せずともそちらの車が付いて来られるようなスピードしか出さないよ」

 そう言うと栄都は素早く、そして優雅に車に乗りこんだ。その動きは男性である道明にとっても美しいと思える所作だった。

「この車だって全開すりゃあ四十キロくらい出せるっつーの」

 境生は下り坂で最高時速三十キロメートルをたたき出した事がある軽トラックに乱暴に乗り込み、荒々しくドアを閉めた。

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